11-1 腐敗の英雄
記憶が回想する。
とてつもない速さで。
八雲蓮はぱっと目を開けた。
そのときにはすべて思い出していた。
“地下ダンジョン”──。
そうマリゼラースが言った地下空間。
あそこで起きたすべてを。
真っ白な天井。
真っ白なベッド。
布団。
かけ布団。
床から壁からカーテンから。
気味が悪いくらいに白い部屋。
一つの部屋に両壁に分かれ、ベッドが並んでいる。
隣のベッドの天使れむが眠っている。
彼女の寝顔を見て、八雲はほっとしたように笑う。
すぐに地下での記憶がフラッシュバックする。
頬が強張った。
怒りが湧いてきた。
「何であいつがあそこに……」
旭川千鶴だ。
どうしてあいつがいたのか。
八雲はベッドから下りた。
「おはよう」
目を覚ます同級生たち。
彼らへつくろった笑顔を向けた。
部屋を出た。
廊下も真っ白。
家の廊下みたいだ。
細い長い。
廊下の両端に部屋がいくつかある。
それぞれ小さな部屋だった。
白いベッドが一つだけ。
不意に視界に入った。
ベッドの下に誰かいる。
丸まって震えていた。
目が空虚だった。
「何やってんだよ」
八雲は苦笑しながら声をかける。
「シェルショックという言葉をご存じですか」
不意にそばで問が聞こえた。
八雲はびくっとして振り向く。
マリゼラースが立っていた。
「戦争神経症のことです。戦地で経験した極度の恐怖やストレスによる心理的外傷。ダーリング王家の地下牢──あそこから帰ってきた者はみなこのようになります」
「それをわかっていてあんたは……ダーリング王家の地下牢? ダンジョンじゃなかったのか」
「違います」
「あんたがダンジョンだと言って──」
「同じことです。地下牢もダンジョンも」
「何なんだよ、あそこは」
「ダーリング王家の居城、その跡地、その地下に位置する地下牢です。古い記録によれば、地下牢であった以前は居城であったとも記されています。つまりは地下につくられたもう一つの城」
「あいつらは何なんだ。あの熊とか自転車の奴は……どうしてあそこに、旭川が」
「わたくしが依頼したのです。勇者たちを助けて欲しいと」
依頼……。
と八雲はマリゼラースの言葉をなぞった。
何故だか頭がぼうっとしている。
話が入ってこない。
「旭川は……あいつは死んだはずだ。あんたそう言っただろ」
「わたしくしは一言も死んだなどとは言っておりません。旧市街は人の生きられぬ環境と説明したまでです。わたしくしも当然、彼は旧市街でブッチャーにでも殺されたものと思っていました。が、どういうわけか抜け出し、外で英雄扱いされているようです」
「は?」
知らぬ間に周囲に生徒たちが集まってきていた。
聞き耳を立てていた。
英雄?──と生徒たちが顔を見合う。
「英雄って何だよ。何であいつがそんな……」
「一カ月ほど前でしたか、ベルという小さな港町がサンドワームに襲われたのです」
「サンドワーム?」
「腐敗をまき散らす巨大なミミズだとでも思ってください。砂の海を泳ぐ蟲です。ここフーリュネは辺りを砂漠に囲まれておりまして、サンドワームや狂暴な生き物がうようよいます。よって他所へ移動する際はハイウェイを使うしかなく、万が一旧市街から出られてしても、生きることは難しいだろうと考えていました」
「でもあいつは生きてた。見間違いか?……」
八雲は自身の記憶を漁った。
「見間違いじゃないよ、八雲。ぼくも見た」
誰か生徒が言った。
「ああ、だよな。見間違いじゃねえ……おれも見た……」
「アサヒカワさんは腐敗を吸い取り、ベルの町をサンドワームから救いました」
マリゼラースは続けた。
「グラスヘイムという商業の街で不法に行われていた罹患者コロシアムにて、腐敗をまき散らし、興行を機能停止に追い込んだそうです。先日、そのグラスヘイムがゴーレムに襲われたそうなのですが」
「ゴーレム?」
「教会の尖塔ほどに巨大な岩の巨人です。それが街中で暴れ、無力化したのがアサヒカワさんだと密偵から報告があり、わたしも生きていることを知りました」
「それで、あいつにおれたちの救出を頼んだんですか」
「そういうことです」
気がつくと廊下は生徒だらけになっていた。
一番広い大部屋の入口が生徒でいっぱいだ。
だが八雲は違和感を得る。
「少ない……生徒は、ここにいるので全員ですか」
マリゼラースが口を真一文字に閉じる。
鼻息を漏らした。
「申し訳ございませんが、半数以上が殉職されました」
「……は?」
「アサヒカワさんたちのご報告では、これが見つけたすべて、だそうです。その後、勇者教会側へ捜索へ出かけようにも、深部へ踏み入れば腐敗の瘴気があります。あれは目に見えない凶器です。玄関口付近は清潔だったのですが……」
「あいつはいまどこにいるんですか」
八雲の握りしめた拳が震える。
「はい?」
「旭川です。あいつは、いまどこに」
「グラスヘイムにご滞在中だとか」
「方角は?」
「南西ですが……」
「余計な真似しやがって、どこで何してたか知らねえが」
早々に話を切る。
八雲が生徒を押しのけ、廊下を歩いていく。
「みっともないと思わないのか、八雲」
八雲が足を止める。
振り返った。
「ああ?」
目鼻立ちの整った顔。
高身長。
気にくわない二枚目が廊下の先に立っていた。
「かつて見下していた者に助けられた気分はどうだ」
「おまえこそどうなんだよ」
「おれは彼を見下したことなど一度もない。おまえらのように、彼の手を黴菌扱いするような幼稚な真似をしたこともな」
「信じがたい力を身に着けていらっしゃるそうです」
マリゼラースが話に割り込む。
「信じがたい力?」
八雲が訊ねる。
「彼はどうやら腐敗を操れるそうです。事前に密偵に調べさせました、確かな情報です」
「腐敗を操れるというのは、つまり……」
明智が詳細を求めた。
「彼は腐敗病の罹患者から腐敗を除去できるようなのです。各地で腐敗病が蔓延しております。これに特効薬はない、というのが常識だったのですが、彼の出現により巷は大騒ぎだそうです。詳細は、いま密偵に調べさせて──」
「おれが調べてきてやるよ」
八雲は「“【
雷雲に乗り、玄関扉を開け放つ。
そのまま空へ飛び上がっていった。
「八雲!」
明智が玄関先まで出て行った。
雷雲が離れていく。
「舐めた真似しやがって」
八雲は雷雲の上で歯ぎしりした。
そしてすぐ方角がわからないことに気づく。
「南西はどっちだ!」
*
「先生、腐敗が消えてすっかり楽になりました」
「英雄様、ありがとうございます」
「英雄よ、あんたがいなきゃおれぁ、娘にも会えなかった」
「腐敗の英雄様、貴公は命の恩人だ」
ずりゅりゅりゅりゅ──。
という麺をすするような音が診療所内に響く。
「罹患者の数もだいぶ減った。もうほとんど街に罹患者はいないそうだ」
ウィケットさんが言った。
「ぼくのこの街での役目もそろそろ終わりそうですね」
即席で作られた仮設の診療所である。
ウィケットさんとベルが手伝ってくれてる。
あまり必要ないが、ベルは桶の湯を変えたりしてくれる。
この先生としての役目が終わったら、ぼくはどうなるんだろう。
早く決めないと行けない。
グラスヘイムに来て色んなものを見た。
経験した。
巻き込まれて、成り行きで助けて。
いまじゃ英雄扱いだ。
市長の代わりに行われた、ゴーレムに関するビアンカさんの説明会。
あれは不発だった。
誰もゴーレムなどという逸話は信じなかった。
でもぼくの仮設診療所によって変化があった。
グラスヘイムの隔離施設や。
地方の病棟から罹患者を集めた。
順番に治してゆくと噂はすぐに広まった。
*
午前の診療が終わり、ぼくらは一度砦に戻る。
「──あれ、英雄様じゃないですか」
瓦礫の街を歩いていると声をかけられた。
気がつくと、そこはコロッセオの跡地だった。
いまは見る影もない。
「こんにちわ」
挨拶しておいた。
「英雄様も大会に出られるんですかい?」
「大会?」
「元罹患者たちでコロッセオの跡地に作った会場でさあ。ここで開催されるんです」
そこにステージが出来上がっていた。
外と中を遮断するようなボウル型の構造ではない。
山形だ。
急勾配な古墳みたい。
おそらく頂上で戦うのだろう。
「安全ですよ、武器も木剣だし」
「木剣?」
「前のコロッセオは殺害現場だったでしょ? 人が死ぬのを富裕層が見て、お金を賭けて楽しんだ。隔離牢の中で仲良くなった同じ罹患者たちが、いつか病気は治ると何人も夢を見て、弄ばれ、死んでいった」
覚えてる。
あそこは酷い光景だった。
「じつはわたしも罹患者だったんですよ」
「え、そうなんですか」
「はい。英雄様に治していただきやした」
「あの、どうして闘技場を作って……その、だってあれはつらい過去なんじゃ」
「だからですよ」
「……だから?」
「過去をトラウマにしないためですよ。わたしらなりに向き合ってるんです。健全なスポーツの大会にしてやります。閉鎖的ではない、誰でも無料で観覧できる山型のステージ、武器は木剣……そうだ! 英雄様も大会へ参加してみませんか?」
「え、ぼくが?」
「自由参加なんです」
「でもぼく、剣術をまったく知らないんです」
「習えばいいじゃないか」
ウィケットさんが横から提案してきた。
「剣術の指導なら適役がいるだろ」
*
「ぼくに剣術の指導を?」
焼却隊の砦。
中庭にボルトラさんの姿があった。
「構わないけど。丁度、彼を指導していたところだ」
辺りで隊員たちがへばっている。
「もう駄目だ」
「水、水をくれ……」
「手に力が入らねえ」
ぞっとする。
ボルトラさんは鬼教官らしい。
「どうして急に剣を?」
「チヅルがコロッセオ跡地に建設される闘技大会に出るんだよ」
ウィケットさんが説明する。
「あー、あのぬるい大会か」
「ぬるい、とか言うなよ。みんなこの街を復興しようと頑張ってるんだ。てか潰したのおまえだろ、ボルトラ」
「チヅルくん、きみは優勝したいのか?」
「出てくれって頼まれたんですよ」
「じゃあ今からやろう。フーリュネにいたころ、ぼくは剣の指導員をしていたことがある。よく教会員たちの夢を潰した」
「夢を潰した?」
「ぼくが指導するとみんな何かに挫折する」
「何かって?」
「さあ。他人の挫折は他人にはわからない」
「みんな剣の夢を諦めて故郷に帰るんだ」
「感謝して欲しいくらいだ。そのおかげで、彼らは腐敗病に罹患せずに済んだ」
「まあ、そういう言い方をすれば、そうだな」
「優秀な生徒たちはみな旧市街でブッチャーになった。いや、だとすると彼らは優秀ではなかったのか……」
ボルトラさんは空を見上げた。
*
「まずはオンガード──構えからだ」
ボルトラさんの指導が始まった。
言われるがまま剣を構える。
フェンシングみたいに。
「前足を相手に向け、後足を横へ。腰を軽く曲げ、刀身を相手へ向けておく。次にアドバンス──進む。下がる──リトリート。そしてルンジ──突く」
人型を模型へ刃先をつく。
「相手との距離を常に把握する。さらに相手を狙うだけでなく、パリィだ」
ボルトラさんが剣を構えた。
「突いてきなさい」
「え、でもこれ真剣ですよ」
「構わない。腐敗の操作は一流だがチヅルくん、きみの剣は三流以下だ。蛇公の技を使わなければ、ぼくに傷一つ付けることはできない。さあ、遠慮なくきなさい」
少し迷った。
それから思いっきり突いた。
「パリィ──剣で防ぐ。リポスト──反撃を意識する」
簡単に弾かれ、ぼくの剣が飛んでいく。
ボルトラさんの剣先がぼくの喉の前にあった。
ぼくは固まった。
「これが基礎だ」
ボルトラさんが剣を離した。
思い出してぼくは呼吸する
「一、間合いを見誤るな。届くか届かないか、その境目を体で覚える。二、構えは止まって見えても、心は常に動かせ。相手の呼吸を待つ。三、突く時だけは迷うな。ためらいは一瞬で読まれる。以上だ」
ボルトラさんがぼくの落とした剣を自身の剣先で
「さあ、剣術を始めようか」
*
焼却隊の砦、入口前。
その陰からチヅルの練習風景を覗き見る姿があった。
分厚いローブ。
頭がすっぽり隠れるフード。
八雲蓮である。
彼は恨めしそうに睨んだ。
「あんな奴に、俺が劣るわけねえだろ」
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