10-3 千鶴の無双
「ベル、大丈夫だよ、もう戻って。ありがとう」
『もういいの?』
「うん」
『ふうん……つまんないの』
ベルが人型に戻っていく。
彼女が開けた穴から四人が飛び上がってくる。
広間に並んだ。
「まさかあのサンドワームがその子だったとはな。教えてくれよ、チヅル」
パイロが言った。
「ごめん。言うの忘れてた」
でかいヒグマが見えた。
その隣に自転車に跨った……男?
人形みたいな顔してる。
「ビアンカ?」
自転車の男が目を細めてビアンカさんを見ている。
「あれ、兄ちゃん。あれボルトラじゃない? いつか姉ちゃんに料理した」
「うん、だね。あの目鼻立ちは忘れない。ボルトラだ」
ボルトラさんが剣を抜いた。
「レオン殿下、ニコラス殿下、お久しゅうございます」
ボルトラさんが貴族のようなお辞儀をした。
「やっぱりそうだ、ボルトラだよ。久しいねえ」
巨大ヒグマが手を叩いた。嬉しそうに。
「旭川?」
声がした。
振り開けると八雲くんが倒れてる。
「どうしてここに……」
何も言わないのも変かな。
「マリゼラースの依頼だよ。きみたち勇者を助けに来た」
「はあ?」
八雲くんが目を細め、ほほ笑む。
疑問を浮かべた。
「助ける……?」
「ボルトラ、物騒だね。その剣は何?」
自転車の男がボルトラへ言った。
「レオン殿下、残念なご報告です。いまぼくはあなたの敵です」
「ふうん、そんなこと言うんだ、きみ。偉くなったね。上のやつらに洗脳された? 姉さんを裏切るつもり?」
「恐れながら、殿下──」
「ん?」
「ぼくがお慕いしているのはフーリュネ女王陛下であり、殿下お二人ではありません」
自転車の男のやわらかい表情が崩れた。
「おもしろーい、兄ちゃん、ボルトラがおもしろいこと言ってるよ」
「つまらない男になったね、ボルトラ。ビアンカも、同じ気持ちかい?」
「殿下」
ビアンカさんが怒りを浮かべていた。
「わたしの友人を殺しましたね」
ビアンカさんの声色がいつもと違う。
怒りに震えている。
「ああ、聞いたのか……じゃあ、仕方ないね」
ビアンカさんが駆けて行った。
自転車の男が傘の持ち手を抜いた。
仕込み傘?
剣になった。
自転車に跨りながらビアンカさんの刀をさばいている。
パイロが熊へ駆けてゆく。
その後ろをウィケットさんが。
加勢しようとしたボルトラさんへ大砲の玉が飛ぶ。
ボルトラさんが玉を斬り、ビアンカさんに加勢する。
熊の咆哮が室内に轟いた。
熊の体がどんどん大きくなっていく。
巨大化した熊の爪に、ウィケットさんとパイロがおされる。
ぼくも加勢しないと──。
「“【
*
「腐敗を使いこなして……」
八雲は仰向けになりながら、千鶴の姿を見た。
千鶴の手から蜘蛛の巣状の腐敗が飛び出ている。
それが巨大化した熊に当たる。
熊が絶叫して暴れた。
翡翠色の髪をした女が千鶴の袖を引いた。
「いける?」
振り返った千鶴が確認する。
彼女は頷かない。
「“【
女が光に包まれた。
光がみるみる大きくなっていく。
巨大なミミズが現れた。
千鶴はミミズの頭の上にいる。
「なんだよ、これ……」
八雲は目を見開く。
表情がそのまま凍る。
「“【
千鶴が叫ぶ。
ミミズの頭に腐敗がコーティングされる。
そのままミミズが熊へ突進した。
「ニコラス!」
レオン殿下が弟を気遣う。
八雲には理解不能だった。
雷雲が何も通用しなかった。
煽りに煽られた。
みんな弄ばれた。
それが何だ。
どうしてこうなる。
あの黴菌野郎が来ただけで、どうして……。
自転車に跨る人形顔の男が焦っている。
「“【
ミミズの全身から腐敗が吹き出した。
巨大熊だけではない。
旭川千鶴と共にやってきた他の面々もそれを食らう。
だが痛がっているのは熊と自転車男のみ。
「ニコラス、撤退だ、撤退!」
そのとき、ミミズが巨大熊の腰から上をぱくっと食った。
「ニコラァァァアアアス!」
自転車男の叫びが玉座の間に響く。
彼の顔から表情がすうっと消える。
真顔になった。
そのまま方向転換し、室内を飛び出した。
回廊を自転車で走り去ってゆく。
「隊長、自転車野郎が逃げます!」
「行かせましょう。勇者たちの救助が先です」
会話が室内に響く。
そうか。
おれは……おれたちは助かるのか。
八雲は安堵した。
そのうち目を瞑った。
最後に見えたのは、光から現れた女と手を繋ぐ千鶴の姿だった。
「チヅルさん、勇者はこの部屋にいる方ですべてですか?」
ビアンカが確認する。
「違うと思います。もっとたくさんいたはずです」
千鶴は大聖堂でのことを思い出そうとする。
「ひとまずここにる生存者だけでも除去をお願いします。他の生存者を保護しつつ、正面門へ向かいます」
「でも門は閉じられてるんじゃ」
「マリゼラースが万が一門を開けなかった場合は、すみませんが、ベルさんと門を破壊していただかなければなりません」
「……わかりました」
「食堂街がどうなろうと、わたしたちの知ったことではありません」
*
当然のように開いた門の先に、階段が見えた。
横幅の広い大きな階段だ。
日が差し込んでいる。
ぼくらは何時間、地下牢にいたのだろう。
階段の頂上に、マリゼラースの姿が見えた。
「入口付近の瘴気はチヅルさんが取り除きました。これが見つけた生存者たちです」
ビアンカさんが大声で知らせる。
「生存者を医務室へ!」
エルミールが部下たちへ指示を出す。
教会員たちが勇者たちを担架で運んだ。
ぼくらは階段を上がってゆく。
「先生は元気にしておられるか」
すれ違うとき、エルミールがウィケットさんへ声をかけた。
「自分で確かめに来ればいい。学びの門はいつでも開かれてる」
「ルーヴェル先生に伝えてほしい。われわれは罪から逃げられません、と」
「罪?」
階段の頂上へ辿り着く。
「約束通り、チヅルさんは依頼を達成しました」
ビアンカさんが対応した。
「ええ、お見事です」
マリゼラースが応えた。
「彼に報酬を渡しなさい。そして二度と関わらないことです」
「どうしてあなたに命令されなければ──」
「ダーリングの穢れた血が見えます、リリー。あなたの中に」
ビアンカさんの表情が険しい。
マリゼラースの言葉に被せた。
「……聖肉依存者ですか?」
マリゼラースが皮肉のように何か言った。
「彼を殺したのはあなたじゃない、女王フーリュネです。わたしはあなたを恨んでいない。しかし仲間でもありません。それだけです」
しばらく二人を睨みあった。
マリゼラースの口元が笑う。
「認めましょう、わたしのミスです。惜しい人を見捨ててしまった。アサヒカワ・チヅルさんと、どうしてあなたがご一緒に? なれそめを伺っても?」
「報酬を」
「……わかりました」
マリゼラースが鼻息をもらす。
「エルミール、報酬を渡してください」
「は!」
「まるでダーリングの騎士のようだ、エルミール卿」
階段を駆け上がるエルミールへウィケットさんが言った。
「ルーメンハイムの教えをこのような依存者共のために使うとは」
「ウィケット、貴公は何も知らんだろうが、われわれの罪は、そのルーメンハイムの学長であるルーヴェル先生から始まったのだ」
階段を駆け上がり、エルミールはビアンカの前へ。
「あなたの友人を殺したのも、ルーヴェル先生の持ち込んだ知恵によるものだ、違うかね。ロストレイクのビアンカ」
エルミールはビアンカへ膨れた布袋を差し出す。
ビアンカは顎と目線でぼくを示した。
エルミールは溜息をつき、ぼくの元まで歩く。
「チヅル殿、これが報酬です」
「ありがとうございます」
「どうです、勇者教会へ戻ってきませんか」
「お断りします」
エルミールが真一文字の口で離れていった。
「アサヒカワさん」
マリゼラースに呼ばれた。
ぼくは振り向く。
「戻ってきませんか、勇者教会へ。今なら厚遇しますよ」
睨むでもない。
ぼくはただマリゼラースの目の奥を見た。
ビアンカさんの目の奥には熱が宿ってる。
ウィケットさんの目の奥にも。
パイロにだって感じる。
ボルトラさんだってそうだ。
「何も感じない」
「はい?」
「あなたの目を見ても、何も感じない」
マリゼラースは苦笑いし、「はい?」ともう一度聞いてきた。
ぼくは、舐められてる。
そう思った。
追放したのはマリゼラースだ。
人を病人扱いし、死ぬと分かっていて旧市街へ放った。
それら行為に対する謝罪はない。
今ならもう戻ってきても大丈夫ですよ、と言っている。
この沈黙の間も何の謝罪もない。
ただ謝ってほしかった。
でもこの人に謝られても、何も感じなさそうだ。
「チヅル」
「チヅル、行くぞ」
パイロとウィケットさんが。
「チヅルくん」
とボルトラさんが。
「チヅルさん、行きましょう」
ビアンカが。
──呼んでいる。
マリゼラースから離れた。
四人の背中が前に見える。
ベルがぼくの歩幅に合わせて歩く。
釈然としない……。
ぼくは立ち止まった。
「ベル、ここで待ってて」
ぼくは姿を消した。
地面を蛇のように這った。
素早く、音もなく近づく。
蛇公の記念剣──。
その剣先をマリゼラースの首筋へ突き立てた。
誰も反応できない動き。
エルミールが傍で驚き、固まっている。
彼の手が腰の鞘の剣へ近づいたので睨んだ。
彼の手の動きが止まる。
場は静まり返っていた。
それぞれの呼吸すら聞こえる。
ぼくはじっとマリゼラースを見つめた。
「その動き、蛇公……」
マリゼラースが気づいた。
「その剣……」
「ぼくはもう、おまえたちの中では、永遠に黴菌で構わない」
剣先をマリゼラースの首筋から離す。
鞘へ戻し、背を向けた。
マリゼラースが鼻で笑った。
「仲間ならいる、というわけですか」
「行こう、ベル」
ぼくはもう振り返らなかった。
ベルと手を繋ぐ。
驚いた顔の四人の元へ向かった。
*
岩の裂け目。
その前に停めておいたバイクでフーリュネを離れる。
沖にあるブラック・ワーム号へ向かった。
炎天下。
昼の砂漠は暑い。
「チヅル、マリゼラースのやつ奮発してくれたみたいだな」
パイロが隣のモービルから言った。
ビアンカさんのモービルに膨れた布袋が積んである。
「おまえにはないぞ、ボルトラ」
パイロが後ろのボルトラへ言った。
「ぼくは罪人だ。当たり前だろ」
「いいですよ。受け取ってください。みんな頑張ったんだし」
ウィケットさんの背中が見える。
ぼくの背後にはベルがいる。
風にさらされていると、ぼうっとしてくる。
遠ざかるフーリュネ。
ふと地下牢で見たものが脳裏を過った。
ある扉の小窓。
そこから覗いた先に見えたもの──。
白いウエディングドレス姿だった。
その何かと目が合った。
深く暗い二つの目。
真ん丸な目。
井戸の底のような黒。
それが人の目だとわかったとき。
背中に悪寒が走り、ぼくは固まった。
あのときベルが腕を引いてくれていなければ……。
──見るな。
口が動いて。
黒い目が、そう言った。
そのときの声が。
顔が。
頭から離れない。
あれは、誰──?
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