5-2 亞死吐暴威

 ベッドから落ちたような衝撃。

 でも手に砂の感触があった。

 何か騒がしい。


 薄目を開けると自分の部屋じゃなかった。

 ベッドもない。

 見えたのはボウル状の客席。

 そして闘技フィールドだった。


 スタンディングオベーション──。

 客席で札束握りしめたやつらが興奮してる。

 奇声を上げてる。

 ぼくはフィールドに立っていた。

 向かいで鉄格子が上に開く。


 見覚えがあるような巨漢が出てきた。

 多分、さっきぼくを格子に叩きつけたやつだ。


「うぃー!」


 客席に肉体をアピールしてる。





 パイロは座席から立ち上がった。


「嘘だろ……」

「パイロ?」

「見ろ、チヅルがいる」

「チヅル?」

「ほら、フィールドに」


 ウィケットはパイロが指差す場所を見た。


「チヅル?」


 二人は席を離れた。

 急いで一番下まで階段を下りる。

 手すりから身を乗り出した。


「おーい、チヅル。何やってんだ!」


 パイロが叫ぶ。





 巨漢が楽しそうに笑ってる。


「ちょろい。オレ、今日ついてる。おまえ、小さい、弱い」


 客席の手すりにウィケットさんとパイロが見える。

 何か叫んでるみたいだ。

 全然聞こえないけど。


「さっきぼくを鉄格子に叩きつけた人だね」


 ぼくは巨漢と対峙する。


「おまえ、運、悪い。おれ、おまえ、興味ない。でも殺す。エリクサー、おれが貰う」

「エリクサー?……ああ、あれか。違うよ、嘘だ。全部嘘なんだ。エリクサーなんて初めからないんだよ。腐敗病を治す薬なんてないんだ」

「おまえ、嘘、下手。キルヒム、嘘つかない」

「あの鏡餅のことか」

「おまえ、ペテン師」

「ペテン師はキルヒムだ。きみは利用されてるんだ。騙されたんだよ」


 巨漢の眉間に怒りの筋が浮かぶ。

 それが額へ広がる


「おまえ、嘘下手!」


 こちらへ走ってくる。

 無理だ。

 こんな巨体、受け止めきれない。


「“【腐敗分身ドッペル】”──!」


 赤い腐敗の粘液の分身。

 彼が巨漢の攻撃を感知する。

 巨漢の遅い拳をすべて受け止めた。


 ぼくは後ろへ下がりながら距離を取るだけ。


「うっとうしい、うっとうしい……」


 殴れば殴るほど、巨漢は苛立つ。

 殴ると分身は弾ける。

 3秒ほどのクールタイムを経て、地面に散った腐敗を再利用して構築される。

 攻撃を見切る必要がない。


「腐敗病は治らないんだ」

「嘘、聞いた。喋るな」

「治るなら、とっくのむかしに治ってるはずだ。エリクサーを量産してるはずだ」

「おまえ、動揺、誘ってる。嘘、下手。ガキ」

「ぼくが治してあげようか?」


 一瞬、巨漢の手が止まった。


「はあ?」

「ぼくがきみのその腐敗、治してあげようか」


 巨漢の全身に腐敗の斑紋があった。

 衣服の下はもっと酷いだろう。

 この人はもう長くない。

 でもぼくなら一瞬で治せる。


 ぼくは両手を自分についた。


「おまえ、何、してる?」


 観客が煽る。

 殴れ、殺せ、やり合え──。

 試合が止まるとゴミがフィールドへ投げ込まれた。


 ぼくはプールの中にいる。

 騒音が籠って聴こえる。

 

 ──“人間だよ、チヅル。一番の腐敗は人間そのものだ”。


 ウィケットさんの声が聞こえた。

 手すりから何か叫んでる。

 目が合った。

 ぼくは言った。


「腐敗は、人間そのもの……」


 聞こえてない。

 でも伝わったはず。


 緑の灯火──羊皮紙パピルスがある。

 新しい呪文。


「“【亞死吐暴威アシッド・ボーイ】”──!」

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