5-1 罹患者コロシアム

 高層建築の最上階。

 グラスヘイムの夜景が一望できる部屋。

 紐パンビキニの美女がベッドに二人。


「ほっひょー!」


 豪商キルヒム・ウォードゥリンは、そのベッドにダイブする。

 スケベ丸出しの顔を撫でられながら、彼は愉悦を味わう。

 

 コート姿の美形な男が部屋へ入ってきた。

 キルヒムの意識がそれる。


「なんだ、ボルトラか。おまえも楽しむか」

「話がある」


 美女に体をまさぐられるキルヒム。


「手短に頼む。おまえがいると女の気がそれる」

「腐敗を吸収する者がいるそうだ」

「ベルの一件だろ。聞いた」

「ああ」

「人はどれだけ苦しくても、本人なりに幸せを見出すものだ。生きている間はな。でなければ生きられん」

「何が言いたい?」

「民衆の願いなのだよ、腐敗をどうにかできる救世主が現れてくれないかという」

「デタラメだと言いたいのか」

「噂に気を取られて歳を取りたくない。生きたいのではない、わたしは人生を味わいたいのだ」

「兄が会ったそうだ」

「ん?」

「腐敗を操る少年に」


 キルヒムは女を待たせた。

 上体だけ起こし、ボルトラを見る。


「ではノストラを連れてこい。直接聞く」

「療養中だ」


 キルヒムは黙った。


「……殺したのか?」

「療養中と言ったはずだ」

「何かしたのか? 実の兄だろ」

「興行は順調か? それを確認しにきた」

「もちろんだ。聞かれるまでもない」


 ボルトラが入口そばの壁に手をかける。


「おまえも、ぼくも、罹患者を減らされては困る」


 ボルトラは部屋を出て行った。


「薄気味悪い男だ」


 キルヒムは両脇の美女に笑いかける。

 楽しみに興じた。



*



 ぼくを黴菌扱いしていた同級生たち。

 みんなの気持ちがわかってしまった。


 この世界へ来る前。

 あのときのぼくは腐敗していなかった。

 けがれているという設定を押し付けられていたに過ぎない。

 楽しかったんだろう。

 わかってる。

 でも多分、同じことだ。


「チヅル、起きてるか」


 日の入らない船倉の奥。

 砂糖袋の上で横になっている甲板からパイロが顔を覗かせた。


「どうしたんですか」

「出かけるってよ」

「誰が」

「ウィケットだよ」

「勝手に出かけたらいいじゃないですか」

「チヅルに見せたいものがあるって」

「何やってんだ」


 パイロの後ろにウィケットさんの顔が見えた。


「行くぞ、チヅル。見せたいものがあるんだ」

「見せたいもの?」





 闘技場の外観は、ローマの観光名所であるコロッセオみたいだった。


「闘技場って血生臭いあれですよね」

「血生臭い?……いや、おまえが考えてるような清潔な血の匂いはしないはずだ」


 何を言ってるのかさっぱりだ。


 ウィケットさんに連れられ、ぼくはパイロと着いていく。

 受付を済ませ中へ入った。


 通路は閑散としていた。

 きっと人気がないんだろう。

 と思ったら歓声が聞こえた。


 薄暗い通路に一部、陽光が差していた。

 眩しさをくぐると歓声の正体がわかった。

 ボウル状の観客席は満席だった。

 ボウルの底に闘技フィールドが見える。

 

「ここに漂ってるのは腐敗の香りだ」


 意味がわからない。

 ウィケットさんが「よく見ろ」と闘技フィールドを指差した。

 二人、戦っている人がいる。

 腕や足、頭に巻かれた包帯。

 その包帯に侵蝕する腐敗の斑紋。

 

「これ、前に言ってた“罹患者コロシアム”ですか」

「よく見ておけ。おれたちが何を相手にしてるのかを」

「相手?」

「いずれ腐敗はどうにしかないといけない。焼却隊は焼却に命をかけ、おれの場合はサンドワームに勝機を見出してるわけだ。だがな、どうやったって取り除けないものがある。それがこれだ」

 

 ウィケットさんがが神妙な顔をした。


「──人間だよ、チヅル。一番の腐敗は人間そのものだ」

「チヅル、あそこを見てみろ」


 パイロが耳元で囁いた。

 それは観客席よりも上の階だった。

 何かの部屋が見える。

 どういう部屋かすぐにわかった。


「VIP席だ」


 鏡餅みたいな体形の男が見える。

 七福神みたいな顔だ。


「豪商──キルヒム・ウォードゥリン。コロッセオの主催者だ」


 ウィケットさんが説明をつづける。


「弱者は競い合うことを強いられ、強者に競争はなく、安置であぐらをかき独占状態……それが市場の原理だ」

「あの人たちは無理やり戦わされてるってことですか?」

「さあな。何らかの契約があるか……どちらにせよ碌なもんじゃないだろ。弱者は清潔に肥えた奴らに利用される。罹患者は興行の道具だ。腐敗を相手にするってのはな、今やああいうのを相手にするってことなんだよ。勇者教会だけじゃないんだ。取り除こうとすれば阻む者が現れる。もしかすると、特効薬はすでに生まれているのかもしれない。だが流通しない理由がある。グラスヘイムでは、これだ」


 客席の人たちがみんな手に札束を握りしめている。

 いけ、いけ──。

 みんな同じような単語を発している。

 目が一点を見つめている。

 どこを見ても同じ光景、同じ顔。


「パイロが、どうしてチヅルを焼却隊に通報しないかわかるか?」

「帰ります。気分が悪い」

「チヅル、おまえの力が必要だからだ」

「待てよ、チヅル」


 パイロが呼び止めた。

 背を向けたまま、通路の入口でぼくは立ち止まる。


「疲れてるんです、休ませてください」

「先週ヴァルハラへ飲みに行った日だ。おまえ急にいなくなったろ。戻ってきてから変だ。どこへ行ってた」

「別に……」

「罹患者の列を見たからか?」

「……そういうわけじゃ」

「ひとこと言っておく。あの程度のものを見て気に病むなんてお笑いだ」


 ぼくは横目にウィケットさんを睨んだ。


「おまえは罹患してないんだろ、ん?……だろ? しっかり健康体じゃないか」

「何が言いたいんですか」

「精神がやばけりゃ船倉にだって籠れる。しかし罹患者どもは違う。利用されようとやるしかない。望み薄でもな。選択肢が、はなからないんだ」


 ウィケットさんが気怠い薄目をぼくに向けた。


「おまえは偽善者だ」

「おまえはきっと、いい世界から来た、、、、、、、、んだろうな」


 パイロがタバコに火をつけ、壁にもたれた。


 息が止まった。

 目が反応で見開く。

 パイロにはまだ言ってない。

 何でぼくが勇者だって知ってるんだ。

 ウィケットさんの目を見た。

 彼はぼくの問に気づいて首を振った。

 彼は言ってない。

 パイロへ視線を戻すと彼は目を空へ向け、煙草をふかした。


「チヅル、ウィケットの言う通りだ。おまえに腐敗の恐怖はわからない。罹患者の気持ちもな。おまえは手から腐敗が出るだけだ。触れても感染しない。この世界じゃ、ある意味無敵だ。他人の痛みに同情するなんて無駄なことやめて、自分にできることだけ考えとけばいい」


 ぼくは無視して立ち去った。


「チヅル」

「パイロ、独りにさせておけ。腐敗をどうにしかないといけない。病なんてこじらせてもらっちゃ困る。あいつには、何か大きな役目があるはずだ」


 最後に薄っすらと、それだけ聞こえた。





 観客席を後にした。

 薄暗い通路へ戻る。


 気分が悪い。

 最悪なものを見てしまった。

 今日のウィケットさんは何だかおかしい。

 あんなものを見せるなんて……。


 “最悪なものを見たなら忘れちまえ”──。

 以前にパイロはそう言った。

 でも忘れることなんてできない。


「罹患者のストックは十分にできとるか」

「そのはずだ」


 声が聞こえた。

 振り返り見ると人影が二つどこか通路へ消えていく。


 ──“罹患者のストック”?


 ぼくは後をつけていた。

 一般通路から外れた場所。

 さらに薄暗い地下だった。


「選手の状態はどうだ」

「万全であります」

「結構」


 ぼくは柱の陰に隠れた。

 覗き見るとVIP席にいた男がいる。

 その鏡餅の隣に、長い銀髪の人がいた。

 男だ。

 でも女の人みたいに綺麗だった。

 肌が透き通ってる。

 この場に不一致な雰囲気、風貌。

 腰にサーベルが見える。


「優勝者にはエリクサーを与える。腐敗病の特効薬だ。一般流通は随分先と聞いている。一足先に闇で手に入れた。では選手諸君、本日も黄金の汗水を垂らし、励みたまえ」


 何人もの男と女の気合が地下に響いた。

 何だこの部屋……?

 通路の左右に鉄格子が並んでいる。

 そこから手が伸びている。

 まるで収容所だ。


 二人が戻ってくる。

 ぼくは息を潜めた。

 

「まさかもう特効薬が生まれていたとは。──ルーヴェルか?」


 二人がすぐ目の前で止まった。

 柱の後ろで息を止めた。

 辺りが暗いからかぼくに気づいてない。


「ルーヴェル? 何を言っとるんだ」

「エリクサーのことだ。優勝賞品なんだろ」


 鏡餅がため息をついた。


「あるわけなかろう」

「いま彼らにあると……」

「相変わらず変わった男だな、ボルトラ。いいか、よく聞け。人心掌握の基本だ」


 柱から片目を出し、二人の顔を見た。


「人は追い込まれるほどリスクを取りたがる。罹患者やつらを自分の意志でコロシアムに参加させるのは難しくない。わたしほのめかすと、彼らは心の奥底で特効薬などないと気づいていながら、一縷の望みに賭けるのだ。何故かわかるか?」

「さあ」

「賭けている間は騙されていない、とそう自分を騙せるからだ。連中は気づきたくないのだ、自分たちが騙されてしまったことに」

詐欺ペテン師め」


 二人が軽く笑い声を上げた。


詐欺ペテンはわたしの専売特許だ。そんなことより、早くここを出よう。臭くてかなわん。連中と長く同じ空間にいると、息の吸い方を忘れてしまう」





 二人は去った。

 忍び足で地下牢へ下りる。


 通路の左右に独居房がある。

 奥の方まで続いている。


「3番、出番だ」

「うぃー!」


 ブザーが鳴り響いた。

 何かが開閉するような音が聞こえた。

 通路奥から看守が歩いてくる。

 どこか隠れられる場所は……。

 と何かがぼくの服を引っ張った。


「掴んだ、掴んだ!──触った、触った!」


 背後の鉄格子から手が伸びていた。


「しまっ──!」


 勢いよく引っ張られた。

 逃げようとしたら鉄格子に叩きつけられた。

 頭を打ち付けられた。

 意識が遠く。


「何ごとだ!」

「掴んだ、触った!」

「わかった、わかった。落ち着け」


 看守が傍へ来たのがわかる。


「何だこいつ、侵入者か」


 看守に髪を持たれた。


「そうだ、4番が今朝死んだんだった」


 ぼくは薄目に見た。

 歯茎が剥き出しの看守の笑顔があった。


「罹患者に触れられたやつは罹患者だ。おれは運がいい」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る