5-3 ボルトラ・ロッケンフィールド
「よせ……」
ウィケットは呟いた。
「ウィケット?」
パイロがウィケットの横顔を見る。
チヅルがこっちを見ている。
じっとウィケットを見ている。
口元が動いた。
何か言った。
「チヅル、いま何か言わなかったか?」
「“腐敗は、人間そのもの”──」
ウィケットは答えた。
瞬間、フィールドと観客の地面からしぶきが上がった。
鯨の潮吹きのような。
巨大な水の柱。
ただし色は、血のような赤。
それが何本も現れては消える。
柱は人の足元から現れた。
人を飲み込んでいた。
飲み込まれた人間の体が肥大する。
悲鳴が上がる。
その者は、ブッチャーへ変異した。
歓声が止んだ。
ぴたっと止まる。
客席全体から悲鳴が上がる。
吹き上げる腐敗。
ブッチャー。
腐敗の流水が客席を襲う。
フィールドを飲み込む。
巨漢が体勢を崩す。
*
「ボルトラ、どうなってる、あれは何だ!」
VIP席。
黄金の背もたれ。
赤いクッションの上で胡坐をかくキルヒム。
「……色見からして、腐敗だな」
「何が、“腐敗だな”、だ! なぜ闘技場が腐敗の海になっとるのか、それを聞いとるんだ」
「あの少年、おそらくは兄が先日出会ったという例の──」
「腐敗の少年か」
「多分」
キルヒムはフィールドを覗き込む。
「確かに、服が違う。囚人服ではない」
「どうする」
「どうするもこうするも、このままでは客が逃げていく。何とかしろ。教団へ出資しないぞ」
ボルトラが舌打ちした。
「おい、いま舌打ちしたか」
「いや」
ボルトラが手すりに立つ。
ちっ──。
舌打ちした。
「おい、やっぱり舌打ちして──」
ボルトラは飛び降りた。
*
ブッチャーが人を襲っている。
拳で殴り、踏み潰し、肉を貪り食っている。
腐敗の海が干上がっていく。
観客席。
闘技フィールドに広がる腐敗。
それが地面に着く千鶴の手に吸収されてゆく。
ずりゅりゅりゅりゅ──。
くちゃくちゃぐちゃぐちゃ─。
咀嚼するような音がする。
何事もなかったように。
すべての腐敗は吸収された。
波に呑まれて倒れていた巨漢が起き上がる。
すぐに何かに気づいたような顔をする。
「あれ? 体、軽い?」
「きみの腐敗は治った」
「体、軽い! 体、軽い!」
巨漢がぴょんぴょん飛び跳ねた。
囚人服を脱ぎ捨てた。
斑紋もない。
「腐敗、治った、おまえ、すごい、おれ、治った!」
ぼくも釣られて笑った。
それで気づいた。
最初からこうすれば良かったんだって。
「うれしい、うれしい、家、帰れる。ありがとう、おまえ、ありがとう」
「どういたしまして」
「パパ、ママ、会える……会いたいな」
涙が出てきた。
ぼくは拭った。
笑い泣きしたぼくの顔に、青い光が当たる。
光は闘技場全体を照らした。
空の色が一瞬変わった。
瞬間、雷でも落ちたような音が響く。
空気が、鼓膜が揺れる。
何が起きた……?
わからない。
目の前で、巨漢の彼が黒焦げになってる。
背中からゆっくり倒れてゆく。
スローモーションに。
空から誰かが下りてきた。
静かにフィールドへ着地した。
時間が動き出す。
さっき地下牢で見た人だ。
美男な人。
外だと余計に綺麗に見える。
透き通った肌。
長身。
長い銀色の髪。
「兄の言っていた、腐敗を生成できる少年というのはきみか?」
甘い声がぼくに訊ねた。
男の後ろに倒れる巨漢。
美男。
ぼくは交互に見た。
声が出ない。
「もう一度聞く。腐敗を生成できるのか?」
「なんで……」
巨漢の人はもう動かなかった。
ぼくの前に二つの人影が立った。
動きが見えなかった。
ウィケットさんとパイロだった。
「チヅル、下がれ」
ウィケットさんが言った。
「こいつはやばい」
パイロの雰囲気がいつも違う。
お茶らけてない。
「ぼく……腐敗を治して……」
ぼくは両手で顔を覆った。
わからない。
せっかく治したのに。
なんであんな酷いことを……。
「ああ、わかってる。おまえは腐敗を治した。人を救ったんだ。だがこういうこともある。言っただろ、取り除こうとすれば阻む者が現れる、と」
パイロとウィケットさんが剣を抜いた。
剣先を美男子へ向けている。
「阻む者……?」
美男の怪しげな目つきが見えた。
「ウィケット・ディケンズ……パイロ・ウエストウッド……久しいな」
「ボルトラ・ロッケンフィールド」
ウィケットさんが名を呼んだ。
「あそこにキルヒムもいる。第二世代の同窓会でも開くか」
ボルトラの体から青い電流が散った。
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