4-3 当然の拒絶
ぼくは礼拝堂内を逃げ回った。
男は長椅子から長椅子へ飛び移る。
素早い。
柱を蹴り、壁から壁へ飛んで追いかけてくる。
「すばしっこい小僧じゃ」
こっちのセリフだ。
なんてアクロバティックなじいさんなんだ。
「チヅル様、ノストラ様の采配を受け入れてください」
モイラさんが大声で言った。
「腐敗を吸収されては困るのです。チヅル様はここで死するべきなのです」
「その通りじゃモイラ、よくぞ言うた。サンドワームの腐敗を浴びて戻るという、そんな簡単な使命すらまっとうできんかったお主じゃが、ここにきて百点をたたき出しおったわい」
サンドワーム?
だからあの町にいたのか。
でもさっき夫の故郷だって……。
「お主の旦那もこれで浮かばれる。彼は腐敗に侵されたのではない、神に迎えらえたのじゃ。新天地へと旅立ったのじゃよ。それは名誉なことなのじゃ。清き者ほど早くに迎えられる。少年よ、お主はその架け橋を、縄を切り、谷底へ落とす邪悪。放置するわけにはいかん」
ぼくは記念剣を抜いた。
「愚劣を極めるのは焼却隊だけでええ」
剣と剣が触れる。
何とか一撃しのいだ。
「んん? お主その剣……いや、ありえん」
ノストラと呼ばれた老人は、首を振った。
「少年よ、動くでない。次で確実に殺してやるでの」
本当に殺されそうだ。
剣の扱いがわからない。
ウィケットさんやパイロと一緒だ。
フェンシングみたいな剣術。
一瞬だけ加速する動き。
加えて、あの身のこなし。
どうしたらいい……。
すると
いつものように。
ぼくの気持ちに応えるように。
「新しい呪文……」
またノストラが迫ってくる。
“もう腐敗も出すな”──。
パイロの言葉を思い出した。
でも仕方ない。
「“【
地面に三つ、血のような赤色が現れた。
腐敗だ。
そこから、ぬうっと何かが上がって来る。
人型の赤い粘液。
それが三体現れた。
「お主、まさか勇者か?」
ノストラの動きが止まる。
「だったら何だ」
「そうか、そういうことか。マリゼラースめ、まだ勇者召喚をしとったのか」
ノストラが歯ぎしりする。
「なおさら殺さねばならん」
ノストラが飛び込んできた。
刃先が迫る。
ぼくは構えた。
──までもなかった。
ノストラの攻撃に合わせて、人型の腐敗が動いた。
ぼくでなく、ノストラはぼくの分身を斬った。
「ん、わしの剣が!」
途端、ノストラの刃先が錆びて、ぼろぼろに崩れ落ちる。
「“【
ぼくは鞘に剣を納めた。
両手に腐敗をコーティングする。
「その手……お主、腐敗を吸収できるだけではないのか!」
亡霊のような目がぼくを見た。
「わしの剣がぼろぼろに崩れ落ちた。この錆びつかせる効能、そしてその手。まさに腐敗の類」
「何を言ってるんだ」
「腐敗を生成できるのか? ええ? どうなんじゃ、そうなんじゃろ」
とりつかれたような目つき。
悪徳商人のような笑顔。
ノストラが剣を捨て、近づいてくる。
「じゃと話がちごーてくる。悪かった。悪かったのー、すまんかった。だったら殺さん。なしじゃ。で、どうじゃ、教団へ入らんか?」
「だから何を言って……」
「悪いようにはせん。──そうじゃ! お主を教祖にしてやろう。それでどうじゃ。すべて思いのままじゃ、何でも叶うぞ」
「近づくな!」
「そう言うな、悪いようにはせん。どうじゃ、
ノストラをぶん殴った。
コーティングした腐敗を引っ込めておいた。
殺す価値もない。
ぼくの弱いパンチで、ノストラはよろける。
転んで、尻餅をついた。
頬を押さえながら面食らったような顔してる。
「腐敗が崇高? 崇高なわけないだろ」
笑えてくる。
「街で罹患者を見なかったの? 腐敗病を患った人がどういう死に方するのか、知らないわけじゃないだろ。広場のあれのどこが崇高なんだ」
「広場のあれ?」
ノストラが顔を押さえながら上体を起こす。
「ああ、尻穴から一刺しの、あれか」
ノストラが笑顔になった。
「確かに、無知なる者にとってはそうではないじゃろう。拒絶し嫌悪するじゃろう。しかし、だからこそ教えを与えてやらねばらん。そうではない──それは女王陛下が愚鈍なる我らに下賜してくださった終末なのじゃ、と」
駄目だ。
何言ってるのかわからない。
ただの変な人だ。
話が通じない。
「嫌悪されて当然だろ。腐敗してるんだから」
ぼくはモイラさんのところへ行った。
彼女は棒立ちだった。
でも顔は笑顔。
傍にシーファちゃんがいる。
「旦那さん、腐敗病で亡くなったんですか」
「はい」
声が明るく、はっきりしてる。
「もしかして、広場で」
「はい」
ああ、だからか。
だからこんなカルトに……。
「そう、だったんですか……でも、腐敗は尊いものなんかじゃないです」
「いいえ腐敗は……」
「ベルの町の人たちを覚えてますか。みんなぼくに出て行けって言ってましたよね。あれが普通なんですよ」
「受け入れてください」
「じゃあどうして、あのとき叫んだんですか」
「……あのとき?」
「娘さんが、シーファちゃんがサンドワームの腐敗を浴びたときです。あなたは悲痛な声で叫んだ。娘が死ぬと思ったからでしょ?」
「それは……」
「本当は受け入れてなんかないんだ。わかってるんだ──」
ぼくは両手から腐敗を出した。
「この手が尊くないことを」
手を近づけようした。
モイラさんの笑顔が消えた。
思い出したように顔を引き
後ずさった。
唇と手が震えてる。
「ごめんなさい、わたし……」
モイラさん自身わかっていないかのようだ。
何故震えているのか。
「謝る必要なんかないですよ。いいんです、それで」
わかってしまった──。
「それが正常な反応です」
「お兄ちゃん、もう行っちゃうの?」
「うん。またね、シーファちゃん」
「また会える?」
「……どうだろう」
シーファちゃんが「バイバイ」と手を振る。
手を振り返した。
ぼくは礼拝堂の扉に手をかけた。
初めから正しかった。
ブラック・ワーム号の船員たち。
彼らの言葉、反応──恐怖、拒絶、嫌悪。
すべて普通のことだった。
マリゼラースの反応。
エルミールの反応。
旧市街へ飛ばされたこと。
蛇公が初手でぼくを殺そうとしたこと。
すべて普通のことだった。
ぼくだけが普通じゃなかった。
拒絶されて当然だ。
それが普通。
ぼくは最初から普通の中にいた。
教室の嗤い声の意味に、いまさら気づいてしまった。
ぼくは、
*
礼拝堂の扉が開く。
一人の男が入ってきた。
目鼻立ちの整った美男。
白いコート。
長身。
長い銀色の髪。
「おお、弟よ、来てくれたか」
ノストラは彼を「弟」と呼んだ。
「兄さん、どうしたんだ。信者たちの姿が見えないが」
彼の甘い声がモイラやシーファ、人のいなくなった礼拝堂に響く。
「みーんな裏切りおった。不義理なやつらじゃわい。腐敗して死ねばええーのに」
「兄さん、それじゃあ困るんだ。言っただろ、信者が必要だって」
「しかしみんな出ていってしもーた」
「まったく……兄さんはいつもそうだ」
「ん?」
「昔から何もできない。頼まれたことひとつできない。勉強も運動も、先に生まれた癖に、ぼくに遠く及ばない。何をやってもぼくより下だ」
「どうしたんじゃ、ボルトラ。なんか変じゃぞ」
「無能はいらないんだ、兄さん」
ノストラの顔を青い光が照らす。
ばちばちと音がする。
「よせ、ボルトラ、わしはおまえの兄じゃぞ!」
「ぼくに必要なのは女王陛下、ただ一人」
「よせ」
「
青い光が走る。
ノストラは悲鳴を上げた。
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