4-1 商業の街グラスヘイム

 船員たちの恐怖は一層強まった。

 ぼくはもう人だと思われてないらしい。


 甲板でコーヒーカップを持つ船員たちの手が震えている。

 目が合うとそらされた。


「ありゃ腐敗が人の形してんのか」

「サンドワームが人の形してんだ、きっと」

「全身から吹き出してやがった。血のように赤いあれを」

「おれたちの腐敗の斑紋まで吸い取りやがった」

「どこの神だ、ありゃ」

「邪神じゃないことだけ願っとく」

「船に置いとべきじゃねえ」

「ウィケットは旧市街を忘れちまったんだ」


 ずっとこんな感じだ。

 もうため息は枯れた。

 悲しいとも思わない。


「チヅル、見えたぞ」


 船首からウィケットさんが呼んだ。


「あれが商業の街──グラスヘイムだ」

「グラスヘイム……」


 砂漠と同化する黄土色の大きな街が見えていた。


「ありがてえ──」

「これでしばらくあれから離れられる」


 船員たちの小声が聞こえた。


「何しに立ち寄るの?」

「サンドワームを捕獲するための道具が足りない。ベルの町で、サンドワームを沖へ誘導するために使ったから」


 ブラック・ワーム号が埠頭へ停泊する。


「もう着いたのか」


 船倉から伸びをしながらパイロが出てきた。


「しばらく滞在する!」


 ウィケットさんが大声で船員たちへ知らせる。

 ありがてえ、と船員たちがまた安堵する。


「パイロ、暇だろ。買い物に付き合え」

「なんでおれが」

「え、この人も連れてくんですか?」

「パイロの方が土地勘ある。荷物持ちが必要だ」


 ウィケットさんが言うなら仕方ない。


「お、救世主。今朝はさえない顔ですな」


 パイロがからかってきた。


「いつ焼却されるかって警戒してるだけだよ。ぼくの背後に立たないで。あと、その呼び方やめて。気持ち悪い喋り方も」

「愛想ねえな、ったく」


 パイロの口が呆れるように曲がる。

 ぼくの傍を素通りしていった。





 市場は人で賑わっている。

 路地を見上げると、鮮やかな布が広がっていた。

 日差しを遮っているのだろう。

 果物や雑貨を見ながらウィケットさんとパイロの後ろを着いていく。


「少年、あんま離れんな」


 パイロがちらっと振り返る。

 頷いておいた。

 二人はどこから周るか相談しているようだった。


「どいたどいた!──」


 市場が途切れたところで荒い声がした。

 

 ぼろい麻布で作ったようなローブ。

 顔を包帯で隠している人がちらほら。

 みんな裸足だ。

 健康的だとは思えない。

 何か患った人たちだろう。

 二列縦隊で何人も歩いていく。


 周囲が静まり返っていた。

 みんな、それらをゴキブリでも見るような目で見ている。

 頭に電気が走った。

 八雲くんや天使さん、同級生たちの顔が流れた。


 似てる……。


 みんながぼくを黴菌扱いする、あのときの目に。

 あの目が、ここにいる人たちの目と重なる。


「チヅル、よく見ておけ」


 パイロがぼくの耳元で言った。

 ぼくはハッとした。

 彼に名を呼ばれたのは初めてだ。


「これが腐敗だ」

「……その、この人たちは?」

「腐敗病の罹患者たちだ。あの赤い斑紋が見えるだろ」


 頭に巻かれた包帯にまで侵蝕する斑紋。


「罹患者は被害者であって加害者じゃない。だが健康的な人々は、彼らへ汚物を見るような目を向ける。腹の底で、明日は我が身だと震えながらな」

「どうして……」

「どうして?」

「いや、だって、この人たちは被害者なんでしょ」

「怖いからさ」


 パイロが煙草に火をつけた。


「忘れちまえ」

「え」

「憂うな。最悪なものを見たなら忘れちまえ。でないと、おまえもいつか、この健康的な市民みたいになっちまうぞ。ベルの町民を覚えてるだろ。辺りをよく見ろ、本当に健康そうな顔してるか? 腐敗した世の中ではな、不健康こそ正常なんだ」


 力一杯肺に吸い込んだ。


「ぼくなら……この人たちを助けられる?」


 そんなことを口走っていた。


「は?」

「ぼくの力なら──」

「やめとけ。誰も信じねえよ」

「パイロの言う通りだ」


 ウィケットさんが言った。


「そんなことしても拘束されるだけだ」

「そのうち誰かが特効薬を作るはずだ……そう信じていたフェーズはもうとっくに過ぎた」


 パイロはぼくと目線を合わせた。


「チヅル。いいか、間違っても“腐敗を治せる”だなんて口にするな。もう腐敗も出すな」


 パイロの顔が離れてく。

 ぼくは唾を飲んだ。


「モイラ教団の関係者だと勘違いされたくない」

「モイラ教団?」

「腐敗を信仰してる宗教団体だ。腐敗は女王フーリュネを殺した人間たちへの裁きだとか言って、人類終末論を唱えながら信者を増やしてる」

「行こう。空気が悪い」


 ウィケットさんが移動する。

 ぼくらはその路地から離れた。

 

「その……関係者だと思われたらどうなるの?」

「ああなる」


 丁度、大きな広場に差し掛かった。


 女の人がデカい丸太にはりつけにされていた。

 太い木の杭が尻の穴から入って、口から飛び出してる。

 多分、そんな感じだ。


「おえぇ……」


 ぼくは吐いた。


「初めて見たのか」

「……うん」

「珍しいな。あんなのどこでもやってるだろ」


 パイロはぼくが勇者だと知らない。


「あれは、焼却隊が?」

「焼却隊? 違う、違う。うちはあんなことやらない。市長だ」


 いまになって変なにおいがした。

 酸っぱいような甘いような。

 糞が湿ったような。

 すえたような。





 ウィケットさんに連れられ、『ヴァルハラ』という名のパブにいた。

 ぼくらはカウンター席に座った。


 罹患者の列。

 広場で見た光景。

 におい。

 それが頭から離れない。

 鼻孔ににおいがついてる。

 鼻に指を突っこんで拭った。


「チヅル、何にする? おれの奢りだ」


 ウィケットさんには申し訳ないけど。


「じゃあ、水で」

「水? 水は高いんだ」

「ここは酒を飲むところだ」


 カウンターの向こうで店主が不愛想に言った。


「ぼくは未成年です」

「だからどうした」

「ラムをください。彼にも」


 ウィケットさんが代わりに注文した。


「あの罹患者たちはどうなるんですか」

「時代は変わった」


 パイロが続ける。


「いまじゃ罹患者コロシアムなんてのがあってだな」

「お客さん、そういう話は他所で頼む」


 店主がぎろっと睨んだ。

 パイロが「悪い、もう言わない」と謝った。


 ぼくはまた吐きそうになった。

 口を押えた。


「吐くなら外で頼む」


 不愛想な店主だ。





 店の外で吐いた。


 ゴキブリを見る目。

 あの目が自分に向けられているように感じた。

 ”罹患者コロシアム”……。

 まるで自分のことを言われてるみたいだ。


 人助けしたいなんて思わない。

 でも同じにはなりたくない。

 普通になりたい。


「あのぉ……」


 吐いてると声がした。

 口を拭う。

 振り向くと見覚えのある顔が二つ。


「その節は、どうもありがとうございました。覚えていらっしゃいますか?」


 ベルで助けた女の子と、その母親だった。

 女の子が笑顔でお辞儀をした。

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