王権神授の国
門を通り抜け、国に入った二人と一匹を待ち受けていたのは、無気力さと怒りと興奮が漂う空気でした。
その奇妙な空気の中、フォールは不安そうに辺りを見回し、それとは対照的に、リッタは今までに見たことがない建物を興味津々に見回しており、そんな二人に対して周囲の人々は視線を注いでいました。人々の視線は、新参者に対する敵意でもなく、慣れない田舎者を暖かく見守るものでもなく、ただじっと二人の動向を観察するために向けられていました。しかし、リッタはそんな視線を意に介さず、観光を楽しんでいました。
「フォールはどこか行きたい場所ある?俺はあの大きい城とか見てみたい」
「え?私は、あっちの食べ物屋さんとかかな」
リッタの明るい雰囲気のおかげでフォールも落ち着きを取り戻し、いつの間にか空腹を感じていました。けれど、今まで貨幣を必要としない環境で暮らしていた二人は、関所で言ったようにお金を持っていませんでした。
「すまねえなぁ。こっちも商売なんだよ」
「値上げしといてよく言うよ」
二人が物欲しそうな顔で露店に売っている商品を見ても、周囲の人からやじが飛んでくるだけで、無料で譲られるはずはありませんでした。しかし、そんな二人のもとに、絶妙なタイミングで胡散臭い男がやって来ました。
「店主、そのガレットを二人にあげてくれ。料金は私が支払おう」
「レ、レオーヌ様!?承知いたしました」
あまりにもタイミングが良く、普通に考えたら何かしらの意図を感じてもおかしくありませんが、どうやら二人が気付かないうちに、権力者に恩を売られたようでした。
「どうも、旅のお方。君たちはどこから来たんだい?北東の関所から入って来たと聞いたが」
「私達は森にある里から来ました」
レオーヌと呼ばれていた貴族の男は、フォールの返事に少し考えこんでから、険しい顔をして言いました。
「そうか。それならば君達は一刻も早くこの国から出た方がいい」
しかし、そんな警告がより一層、二人の好奇心を刺激します。
「君達のことを信じて言うが、この国はあまり良い状況とは言えない。王権を神より賜りしものだと主張する者達の支配によって、少なくない国民が被害を受けている。この国とは無関係な君達が巻き込まれることは、私だけでなく、この国の多くの民が望んでいない。君達のためにも、早く出て行くことを勧めるよ」
その言葉が最後の一押しとなりました。自己犠牲の精神が強いフォールも、人を見捨てることが苦手なリッタも、そんな話を聞いてこの国から立ち去る選択肢を取るはずがありませんでした。
「私達にも何か手伝えることはありませんか?」
「俺達にもできることはある?」
二人の返事を聞いたレオーヌは上手く行き過ぎたことに少し驚きつつも、思わず笑いを堪えられませんでした。
「そこまで言うのなら私にはもう止められない。一度しか言わないからよく聞いてくれ。あの十字路を左に曲がり、一分ほど歩いたら右手にあるラビレデフレーという名前の酒場でこう注文するんだ。『炭焼きのパスタ、レオーヌ風で』そうすれば君達は苦しんでいる民の助けになれる」
「ありがとうございました」
「ありがとう」
感謝の言葉とともにレオーヌと別れた二人は、言われた通りに酒場を目指して歩きます。初対面の人間の言葉を簡単に鵜呑みにして、簡単に操られている二人を見て、狼は溜め息を吐きました。
「まだ営業時間じゃないですよ、ってどうして子供がここに?ここは子供だけで来る場所じゃありませんよ」
酒場に入った二人を迎え入れたのは、店主による常識的な注意でした。しかし、二人はそんな当たり前の注意で止まるはずもありません。
「えーっと、炭焼きのパスタをレオーヌ風でお願いします」
「え!?こんな子供に合言葉を教えるなんて、いったい誰が。まあ、仕方がない、ついておいで」
二人が合言葉を知っていたことに驚いた様子を見せた店主は、溜め息をつきながらも二人のことを追い返しませんでした。店主の後を追いかけ、従業員用の控室の床に隠されていた階段を下ると、不自然なほど広い空間に老若男女問わず多くの人間がいました。その集団が二人に向けた視線は、好意的なものではなく排他的なものでした。
その視線を向けた人の中でも特に強く警戒している若い男が、睨みつけるような表情で二人の前に立ち塞がりました。
「ちょっとクレマンさん、誰ですかそいつら」
「アル君、私に文句を言わないでください。彼らは合言葉を知っていたんです。それに、この場にやって来た以上は彼らも仲間ですよ」
「誰が教えたんだよ、こんな怪しい奴らに。フードを被って素顔を見せない奴らなんて信用できるかよ。しかも狼を連れてるってなんだよ、縁起が悪い」
空間に流れる空気は、アルと呼ばれた若い男の意見と同じように、二人への嫌悪感を露わにするものでした。しかし、そんな否定的な雰囲気も、先ほどの貴族、レオーヌの登場で一変します。
「連れてきたのは私だ」
「レ、レオーヌ様!?申し訳ございません。その、別に文句を言うつもりではなくて」
「構わないよ。彼らは我々に協力すると言ってくれた者だ。二人とも自己紹介を頼むよ」
レオーヌの擁護によって二人のことを受け入れようとする人が増え、二人も少しだけ緊張を和らげることが出来ました。
「俺はリッタ、そして彼女はフォール。そしてこっちの狼はルディ」
「そうか、それで君たちは戦えるかい?」
「俺は猟師をやっていたから弓矢の腕には自信があるし、鍛えているから戦える」
「私は治癒魔法を使えます」
「そうか、治癒魔法を使える。これはかなりの収穫かもしれない」
レオーヌのおかげで二人を歓迎するための拍手がパチパチと鳴り響き、拍手が落ち着いた後に会議が始まりました。
「本日集まってもらったのは他でもない、革命の最終確認のためだ。しかし、新人もいるから、少し詳しく話そう。現在、この国は王族であるバイオレット家に支配されている。奴らは王権を女神メアリより賜りし物だと主張し、その権力を笠に着て、奪い、犯し、殺めている。そのことに抗議した者も監獄に収監され、家に帰ることを許されていなかった」
その言葉に辛い記憶を思い出し、すすり泣く人々の声が二人の耳にも届きました。
「しかし、だからこそ、我々は現状を打破するために立ち上がった!既にバイオレット家に不信感を抱く貴族達との話し合いは水面下で進んでいる。城からは大半の武器を持ち出し、使用人や兵士を城外へ避難させる準備は済んでいる。明後日の夜、我々は王族を捕らえる為に城を襲撃する!
その際、我々は三つの部隊に分かれる。王族をとらえる部隊、城内に住む者の避難誘導をする部隊、そして、唯一離反しなかった近衛騎士、ヴァレンティン テンプルと交戦する部隊の三部隊に分かれてもらう。部隊分けは基本的に今までの作戦通りに、そして新人の二人は交戦部隊に加わってもらう。
最後に、今回の作戦は危険を伴う。私はこの国に暮らす全ての人々を愛している。だから、誰にも死んで欲しくない。逃げ出しても私は責めない。それでも、この国を、我々が暮らすこの国の平和を取り戻したい者は、私を信じてついてきてくれ!我々が暮らすこの国を奴らの支配から開放するのだ!」
レオーヌの熱い演説に、人々の熱狂が止みません。
「今日と明日は思い残すことがないように過ごしてくれ」
熱気と興奮にあてられ、二人とも国と戦う決意を固めていました。
「よお、新入り君。俺はチャールズ、君達と同じ戦闘要員さ。それで、今日と明日一緒に過ごさないか?」
演説の後、二人に近付く男がいました。その馴れ馴れしさ二人とも怪訝な表情を浮かべましたが、チャールズはそんな二人の態度を気にしませんでした。
「そんな不審者を見るような目をしないでくれ。命を預けあう関係なんだ、少しでも親交を深めようと思ってさ。お前らもいいだろ?」
「ちょっとチャールズさん、勝手に話を進めないでください。俺は反対ですよ。さっきも言いましたけど、俺はそいつらが今回の作戦に参加すること自体に反対なんですから」
しかしそんなチャールズの誘いを無下にするようにして、先ほども突っかかってきたアルは去っていきました。
「待てよアル坊!…はぁ。すまないな、あいつは頑固な奴なんだよ。それで、お前らは一緒に来てくれるだろ?」
「私はべ、別に構いませんけど」
「よし、じゃあ決まりだ」
こうして騒動の渦中に巻き込まれに行った二人の僅かな平穏は、共闘する仲間達との親交を深めるために過ごすことが決まったのでした。
新入りの二人を加えた交流で最初に口を開いたのは、一回りほど年上だと思われる男、チャールズでした。
「とりあえずお互いのことを知るために自己紹介でもするか。俺はチャールズ、しがない雇われの男だ。今回参加したのは、ここら辺を活動の拠点にしているから守りたかったのと金のためだ。ほら次、次」
わざとらしく金のためだと言うチャールズに、二人は人柄の良さを感じていました。
「じゃあ、私はイヴォンヌ。私の役割は弓矢での戦闘のフォローや、治癒魔法が使えるあんたのフォローになると思う。参加した理由は、その、…何でもいいでしょ」
イヴォンヌは、参加した理由に関して、顔を紅潮させながら早口で誤魔化しました。
「じゃあ次は俺かな。俺はグレゴリー。気軽にグレゴリーって呼んでくれよ。参加した理由は面白い話じゃないから言わなくてもいいかな?」
グレゴリーは笑顔とは裏腹に、二人に対してはっきりと壁を作りました。
「最後はあたしね。あたしはアナベラ。魔法の修行のためにこの戦いに参加したのよ」
アナベラは自信に満ちた態度で、燃えるように赤い髪をたなびかせました。
「それとあと一人、文句を言っていたのはアルテュール。あいつは頑固で不器用なやつなんだよ、許してやってくれ」
そして、二人の参加について否定的なアルテュール、この五人が共に戦う仲間達でした。
「俺達のことはなんとなくわかっただろ。それで二人はどうして参加したんだ?」
自分達の紹介が終わると、次に二人の人柄を知るための交流の時間が始まりました。
「苦しんでいる人がいると聞いたからです」
「…え?それだけなの?」
「そう、ですけど…」
質問に対する二人の返答があまりにあっさりとしたもので、嘘をついているとも思えない態度に、全員が呆気に取られていました。少なくとも、二人のように対価を目的としないで参加するお人好しは他には居なかったようです。
「とにかく、この国のことを知ってもらうために見て回ってみるか。よし、行くぞ」
その後、実際に二人が見て回った国は、お世辞にも良い国とは言えませんでした。
国民は王家の不満を漏らしただけで逮捕され、一部の国民は抗う気力を失い、不満を爆発させた者は監獄を襲撃し、その襲撃の成功に触発されて各地ではさらなる暴動が起きています。分かったことは、良し悪しは別に、この国が変革期を迎えているということでした。
そうして見て回っている内に、気が付くと日は落ちて辺りは暗くなっていました。
「お前達、宿も取ってないだろ。飯食ったら案内してやるからついてこい」
会話を交わして親しみを感じたチャールズは、生来の世話焼き気質も相まって、二人に対して世話を焼いていました。
「昼に行った酒場あるだろ、あそこの飯は絶品でな。それと看板娘が別嬪なんだよ」
「へー」
食事と看板娘、両方に対しての興味を隠しきれていないリッタは、フォールの呆れた視線に気付いていませんでした。
「クレマン、飯食いに来たぞー」
再び訪れた酒場の店内は、静かだった昼間から一変し、人々で賑わっていました。その誰もがこの国に暮らす人々で、美味しい食事という何気ない幸せを享受していました。
「ここにいる人達はどれくらい知っているの?」
「半々くらいだな」
「そっか。ここにいる人達の平和な日常が奪われるかもしれない。…そんなの良くないよな。だからみんな頑張ろう!」
人々の平和な生活を見たリッタは、改めてこの国に暮らす人々の平和な暮らしを守るための決意を固めました。
情熱的で、少し気恥ずかしいリッタの鼓舞は全員に響いた訳ではありませんが、少なくとも何人かは感じ入るものがあったようです。
「皆さんいらっしゃい、うちの人がごめんね」
リッタの言葉に各々が少し照れくさい気持ちになっている中、一人の女性が会話に混ざってきました。先程まで高揚していたリッタはその女性に思わず見惚れ、そんな締まりのない姿にフォールは呆れながら質問をしました。
「うちの人って誰のことですか?」
「あれ、聞いてないの?じゃあ改めて、私の名前はオドレイ。あなたたちに突っかかってるアルテュールは私の夫なの」
リッタのあまりに早い失恋を、酔っ払った面々は笑い飛ばしていました。
「お前達は同じ部屋でいいな?」
食事が終わり、宿に連れて行かれた二人は節約の為に同部屋にされましたが、野宿で慣れているおかげで抵抗はありませんでした。それどころか、二人でじっくり話せる時間ができたことをありがたく感じていました。
チャールズ達と別れて宿屋の一室の中で、二人はじっくりと話し合っていました。
「今日過ごしてみてどう思った?」
「俺達にとってはたまたま立ち寄った国でも、他の人にとっては自分達が暮らす場所だからさ、熱量が全然違かった気がする。自分達が暮らす場所の平和を自分達の手で取り戻すんだって思いが伝わってきた気がする。だから、俺達もそれくらい大切に思える場所を見つけられたらいいな」
「そうだね。私達も平和に暮らせる場所を見付けたいね」
まだ見ぬ終の棲家を思い馳せ、それから他愛もない話をした二人は疲労感から眠りに落ちました。忙しかった滞在初日が終わり、次の日も同じように過ごしました。革命があるとは思えない穏やかな時間は静かに過ぎ、来たる革命の日の朝、いつも通りに日が昇ります。
「エマニュエル バイオレットはこの曜日、この時間になると、閨事のために護衛を遠ざける。その時間は決して長くはないが、確実にヴァレンティン テンプルが護衛の持ち場を離れる時間はそこしかない。我々は間者からその情報が入り次第突撃する。それまでは静かに待機」
静かに、しかし隠しきれない興奮と熱気を抱えたまま、人々は待機しています。ゆっくりと時間が過ぎていく中、一人の男が慌てて駆け込みました。
「護衛、離れました!」
「よし、それではそれぞれの仕事を迅速にこなせ!」
その言葉を合図に、皆一斉に突撃を始めました。
魔法の力のおかげで、先ほどの伝令から僅かな時間しか経過していないのに、交戦部隊はヴァレンティンが控える部屋の前にいました。他の人々の安全がかかった作戦を担う彼らは、程良い緊張感を持ち、意を決すると部屋に押し入りました。
「奴がヴァレンティン、剣の腕はこの国随一だ。人数差があるからって油断するな!」
必要最低限の情報で鼓舞をした彼らに油断はありません。
「反乱か。早く制圧しなければ」
ヴァレンティンテンプルも同様に、驚きや動揺や怒りといった感情から来る油断を抱きませんでした。
場面は変わって、王宮の廊下では戦場に近い人々の避難が進められていました。今回の場合、事前に周知されていたおかげで、我先にと逃げ出そうとする人が迷惑をかける以外は問題なく進行していました。
「早く逃げろ!精鋭が足止めしてるが、危険があるかもしれねえからよ」
露店の店主などの民間人から構成された避難誘導部隊は戦う術を持たず、交戦部隊によって与えられた避難時間が無事に続くことを信じるしかありませんでした。
さらに場面が変わって、王の寝所ではレオーヌ率いる側仕えが何も事情を知らない王家の捕縛を進めていました。
「誰かこやつらを捕らえよ!早く来い!誰かおらぬのか!」
既に求心力の残っていない王族に従う者はおらず、彼らの命令は遂行されず、捕縛は滞りなく進行していました。
「お前達、この国を滅ぼそうとした愚か者どもを地下牢に繋いでおけ」
こちらの作戦もつつがなく進行し、既に王族の大半は捕らえられていました。
「レオーヌ様、ヴァレンティンの方は大丈夫なのでしょうか?」
「こちらの損害を考慮しなければ問題ないであろう。そんなことよりセバスティアンは今後のことを進めておけ。ギロチンを広場に運び、ことの顛末を民衆に知らせるのだ」
自分の周りを信頼できる護衛で固めていたレオーヌは、既になされた革命の影響を考え、今後の予定を立てることの方が重要でした。
場面を交戦部隊に戻してみると、ヴァレンティンは既に目の前にいる存在のことを見ていませんでした。
「早くこの場を切り抜けて、我が王の安全を確保しなければ」
「余裕でいられるのも今の内だけだぞ、レオーヌ様が俺達ならお前に勝てるって言ってたんだからな!」
「よく言った、アル坊。そうだ俺達なら勝てる!行くぞお前ら!」
ヴァレンティンの態度に腹を立てたアルテュールの挑発、そしてチャールズの掛け声によって戦いの火蓋が切られました。
しかし、意気込みとは裏腹に、一進一退の戦いは決着がつきませんでした。入れ替わりながらヴァレンティンと対面する前衛は決定打を与えられず、強力な魔法も弓矢も当てる隙がなく、フォールは常に全員の傷の具合に気を配り、彼らは少しづつ疲労と怪我を蓄積させていきました。
「この男、集団戦に慣れているけどあたしの魔法は明らかに警戒している!当たれば殺せる、隙を作って!」
範囲を絞れば避けられ、範囲を広げれば巻き添えにするかもしれないがおそらく殺せる。アナベラの考えはおそらく正しいものでした。まさしく、この戦いの鍵を握るのは魔法だったのです。
アナベラの言葉で交戦部隊は僅かに元気を取り戻しましたが、ヴァレンティンに動揺はありませんでした。
「テンプル家はこの国の盾であり剣だ。尊き血族を守るためにも、敵を殲滅するためにも戦う私は、治癒魔法使いを擁する集団とも戦ったことがある。だから、私はお前達に勝つ方法を既に知っている。単純な話だ、先に治癒魔法使いを殺せば良い」
「彼女はこの戦いの要だ!なんとかして守れ!」
もしも、ヴァレンティンの言葉通りにフォールが殺されたら、これまでの均衡が崩れてしまい、交戦部隊が敗北することは誰の目にも明らかでした。
だからこそ、ヴァレンティンの挑発でフォールを守りに行った他の人々の陰に隠れ、ヴァレンティンに襲い掛かったアルテュールの不意打ちは完璧だったはずです。
「もしくは」
しかし、そんな不意打ちを読んでいたかのように、ヴァレンティンはアルテュールの剣を躱すと、そのままの流れでアルテュールを蹴り飛ばし、十分にフォールから離れた位置でいとも容易く袈裟斬りにしました。
「治癒魔法の届かぬ距離で仕留める。既に何度もやってきたことだ」
あまりにも呆気ないアルテュールの死は、彼らを絶望させるには十分でした。
「くそっ!諦めるな!自分にできることをやれ!」
チャールズが発した励ますための言葉とは裏腹に、単純に負担が増えた前衛も、狙われる可能性が増した後衛も心理的負担が増え、中には逃げ出そうとしている者さえいました。
しかし、一人だけ、アルテュールが死んでくれたおかげで負担が減った者がいました。気を配る必要がある人間が一人減った者が。
「火よ」
「お前の魔法は警戒してい、る?」
ヴァレンティンを背後から襲ったのはアナベラの魔法ではなく、フォールの放ったとても非力な火の魔法だったのです。
ヴァレンティンは油断や慢心と呼べるほど気を緩めていませんでした。しかし、一人始末したことで生まれた、僅かな心の隙をつくことはできました。
フォールの不意打ちは、その場の居たすべての人間が想定していないものでした。
「今しかない!」
ヴァレンティンはリッタの追撃をなんとか防ぐのに精一杯で、続く矢に腹を貫かれ、チャールズの剣はヴァレンティンの利き腕を切り落とし、アナベラの魔法が足を燃やし、リッタのトドメの一撃は頭を庇った反対の腕を切り落とし、その勢いで兜をひしゃげさせました。
その一撃はヴァレンティンを絶命に至らしめることはありませんでしたが、傷だらけになったヴァレンティンは既に虫の息でした。
こうして、彼らはアルテュール一人の犠牲で勝利を収めることができたのです。
無事に勝利を収めたチャールズは、余韻に浸るのもそこそこに、瀕死のヴァレンティンのことよりもアルテュールのことを考えていました。
「なあ、嬢ちゃん。アル坊のやつを治療してやることは出来るか?」
「すみません」
「そうか、無理ならいいんだ。悪かったな。それでこいつはどうする?」
チャールズはアルテュールが助からないと聞くと、すぐに気持ちを切り替えてヴァレンティンの処分についての話し合いに移りました。
「治療しますか?」
「それはあり得ねえな。この場で始末するか、民衆の前で処刑するかってことだよ」
「殺さなくてもいいではないですか。更生できるかもしれないのに」
甘ったれな思想を持つフォールに対して不満そうな態度を取る人もいましたが、チャールズが怒りを示すことはありませんでした。
「いいかい嬢ちゃん。こいつはかなりの人を殺しているから恨まれてる。そして、今この城にいる奴らはこいつの存在に怯えている。だから俺らの選択肢は、民衆の恨みを晴らす為に処刑台に送るか、仲間を安心させるために早く殺すかなんだよ。お前達はどうしたい?」
「あたしはどっちでもいい」
「私はチャールズさんに任せます」
「俺はこの場で殺してくれた方が安心できる」
「坊主、お前はどうしたい?」
「俺は…」
他の人の意見がある程度出揃い、自分の判断で始末が決まってしまいそうな雰囲気にリッタが躊躇していると、彼らの足元から反抗的な声が聞こえてきました。
「直に助けが来る。王の忠実な僕が助けに来るはずだ。王の権利は神より賜りし物。そうだ、謀反など、革命など許されるはずがない。お前たちは間違っている」
「この国の人たちが苦しんでいるのに、王族が正しいはずないだろ」
騎士の言葉でその場にいた全員が不愉快そうに顔を歪めましたが、リッタ以外にわざわざ反論する者はいませんでした。
「だとしても正しいんだ。王の統治が間違っていたはずない」
「どうしてそこまで頑なに信じているんだよ」
ヴァレンティンはリッタにされた質問に心から驚いていました。王家の統治の是非についてなんて、今まで考えたこともなかったからです。
「理由なんて、…そんなの、…父上がそう言ってたからだ。父上は私より強くて立派ですごい人だった。それに父だけじゃない。祖父も、曾祖父もそう言っていた。だから正しい、正しいんだ」
その答えには理屈もなく、自分の意思もなく、家族の言葉に唯々諾々と従っているだけで、説得力なんて微塵も存在していませんでした。
「そうか、お前は里にいた時の俺と一緒なんだ。両親の意見を与えられるがままに正しいと信じて、思考を放棄して罪悪感から逃げている」
「黙れ!」
そして、リッタの言葉に心当たりがあったのか、ヴァレンティンは今までで一番大きな声で怒鳴り、兜の奥から憎悪の籠った瞳を覗かせていました。
「親が間違っていると思ったのに、嫌われるのが怖くて何も言えなかったんだろ」
「そんなことない。僕は間違っていない。お前が間違っている」
虚ろな瞳での返事からは既に活力を感じられませんでした。
「両親の言うことを盲目的に信じ、彼女を犠牲にするなんて俺には耐えられなかった。だから俺は両親に逆らったんだ。俺だって一歩踏み出せたんだ、お前だってきっとできたのに」
「じゃあ、どうすればよかったんだよ。家族の言うことを疑ったら、僕はただの人殺しになってしまうんだよ。お前は引き返せる位置に居ただけだ。お前は卑怯だ」
それきり言葉を失って項垂れたヴァレンティンは、もう抵抗する意思を持っていませんでした。
「話は終わったな、イヴォンヌもういいぞ」
その言葉で構えを解いたイヴォンヌの様子を見て、リッタは自分の警戒の甘さに気が付きました。
「すみません、勝手なことして」
「別に構わないさ、満足したか?グレゴリーとアナベラにはもう殺したって報告しに行かせたが。それで、お前はどうしたい?」
「俺が、最後までやってもいいですか?」
「いいぞ。ただし逃がしたりするな。確実に殺せ」
リッタは既に生きる気力を失ったヴァレンティンを自分の手で終わらせることにし、そんな彼を止める者はいませんでした。
「仲間に信頼されてるじゃないか。何が自分と同じだよ、俺の持っていないものを持っている自慢しやがって。…僕は、僕はどうすればよかったんですか。父様、教えてください」
リッタの振り下ろした剣は、ヴァレンティンの残っていた兜を砕き、その首を落としました。兜が壊れて露わになった顔は幼く、先程までの強さとはかけ離れていました。
多くの者を殺め、その手を血と罪で汚してきた近衛騎士ヴァレンティン テンプルは短い人生の幕を閉じました。
二人が巻き込まれた革命が無事に終わりを迎えてからの数日は、嵐のように過ぎて行きました。レオーヌは処刑の準備を進め、民に向けてお触れを出し、横暴に関わっていた貴族を罰し、税率などの新法案の会議を行う一方で、平民の参加者達は勝利を祝って飲んで騒ぎ、アルテュールの葬儀を執り行っていました。
そして訪れた処刑を執行する日、多くの国民が待ち望んだ日がやってきました。人々はその幸福に笑顔を浮かべ、広場は興奮と熱気で満ち溢れていました。
しかし、宿屋の一室に居た二人は人々とは対照的に、暗い表情をしていました。
「私は見に行きません。人が死ぬ瞬間も、それを楽しそうに見る人達のことも見に行きたくないです」
「そうか。少年と狼はどうする?」
「俺は最後まで見届けたいです。だから連れて行ってください、レオーヌ様」
こうして、フォールとリッタの二人は処刑の瞬間を別々に過ごすことになりました。
レオーヌに連れてこられたリッタは処刑台の横に立ち、処刑台が設置された広場では、ギロチンが見える位置に人々がひしめき合っていました。
「殺せ!」
その場にいる多くの人間がバイオレット家の人間の死を叫んでいる光景に対してリッタは恐怖を感じていましたが、その不気味な光景からリッタは目を逸らしませんでした。
「おい、誰でもいいから早く助けろ!この僕に逆らうなんて、許されると思うなよ!」
「この者達は王権を神に賜ったものだと偽り、長い間我々のことを騙し続けていた。今こそ、この者共に報いを与えるのだ!」
王族の命令にも耳を貸さず、レオーヌの演説に民衆の怒りは一層白熱します。
「はじめはギロチンによる処刑を考えていたが、神の思し召しかこの場には狼がいる。かつてこの国が狼に襲われたことを憶えている人もいるだろう。多くの犠牲を出した狼はテンプル家の騎士によって始末されたが、あれはもともと王族が飼っていたペットが逃げ出したという話もある。もしそうだとしたら、亡くなった子供たちの恨みを晴らす時だ!」
「良い気味だ!殺せ!」
多くの民から恨みを買っていた王族は、一匹の狼により食い殺され、残虐なその光景に国民からは歓声が上がりました。
関わった者の責任として、リッタは最後まで自分の行動がもたらした結果から目を逸らしませんでした。
一方で、フォールは歓声が少しでも聞こえないように窓を閉め、布団にくるまって過ごしていました。
処刑の翌日から、国では祭りが開催されました。これまでの支配者からの解放、そして新たな統治者の誕生を祝う祭は一週間ほど続きました。
これまで抑圧されたいた分だけ開放的な気分になった国民は笑顔で明るく過ごし、幸せに満ちた雰囲気で祭りは賑わっていました。
しかし、相変わらず宿屋の一室は暗い雰囲気のままでした。
「フォールは祭りにも行かない?」
「行かない。人を死なせて喜ぶなんて、私のときと同じだから」
「そっか、じゃあルディと留守番をお願い」
「うん、リッタはチャールズさんたちと見てくるんだよね」
「何かお土産持って帰ってくるよ」
そうして、リッタはお世話になった人達に感謝を伝えるために出かけていきました。フォールは国の空気に馴染めず、リッタもフォールに合わせてこの国を去るつもりだったため、旅立ちに向けた別れの挨拶を交わしていたのです。
里から逃げた時だって、リッタは一人で残ることができました。それなのに、今回もフォールに合わせて旅に出ようとしていることに罪悪感を感じながらも、彼女は部屋に籠って過ごすのでした。
この国に定住する意思がない二人は報奨金で旅支度を済ませると、普段の日常が戻ったテールデジュから旅立とうとしていました。
そんな二人の出発の際には何人かが見送りに来ていました。共に戦った面々からはグレゴリーとアルテュール以外、そして忙しいはずのレオーヌまでも来てくれたのです。
「リッタ坊も嬢ちゃんも元気でやれよ。お前達のおかげでこの国は平和な暮らしを取り戻せたんだ。そのこと、忘れねえからな」
「あなたたちのおかげで被害も少なかったと思う。ありがとう」
「あたしにもまだまだ成長の余地があるってことを今回の戦いで気付けたわ。だからあたしも魔法の修行の旅に出るから、また会ったらよろしくね」
それぞれが言いたいことを言うと、手を振って二人を送り出してくれました。二人にとって初めての平和な別れは悲しいものでしたが、終の棲家を探す旅を続ける限り避けては通れないことだと思うと、悲しみを堪えて彼らに背中を向けました。
「では、私は城壁の外まで見送るとしよう」
二人と一匹はレオーヌを追いかけるようにして歩き始めました。
そこまで親しくもない間柄のせいで、彼らの間には気まずい沈黙が流れました。
「彼はどうして死ななければならなかったのか。彼はこの国に暮らし、この国を守るために戦った」
そんな気まずい空気の中、沈黙を破ったのはレオーヌでした。レオーヌが語っている人物が誰なのか、二人にとっても明らかでした。
「犠牲になるのならばこの国の民以外がよかった。別に君達に恨みはないが、そのために招いたのに」
二人のことを責め立てるように話は続きます。
「処刑に対して反対していたらしいな。お前達は民の怒りを知らない。亡くなった彼は王族のせいで妹を亡くした。弓術士の彼女は王族によって目の前で両親を殺され、それ以来チャールズに育てられている。他にも数えきれない人々自身、もしくは近親者が王族の被害にあっている。王族の死は国民の悲願だ。処刑をするべきではない、そんな下らぬ正論で彼らの喜びに水を差すな」
考えの足りなさを自覚させるかのような言葉に、フォールは何も言い返せませんでした。
「それではね。君達と会うことはきっとないだろうけど」
最後に捨て台詞を吐くと、レオーヌは去っていきました。その背中を見送りながら、二人はこの国に対する未練をすっかりなくしていました。
「身代わりのためとは知らなかったが、裏があってお前達を仲間に引き入れたことはわかっていただろう。お前達は人を疑うことを覚えるべきだ」
「「はい…」」
なんとも後味の悪い気分のまま、二人は旅立ちました。
落ち込んでいる二人に声をかけてくる女性がいました。
「二人ともちょっと待って!私も一緒に行っていい?」
そう言って二人を追いかけてきたのは、亡くなったアルテュールの妻のオドレイでした。
「クレマンさんが休暇をくれたんだけど、なんとなくこの国に居辛くって」
「もちろん、私は大丈夫です」
「だ、大丈夫です」
フォールが心配そうに横目でリッタを見てみると、少し挙動不審な様子を見せましたが問題なさそうでした。
「オドレイさんはどこか行きたい国とかありますか?」
「王様が横暴じゃないとこがいいな」
「ふむ、それならば良い国がある。あそこはこの国とは異なり、真の意味で王が神に愛される国だ」
「え?誰?誰が喋ってるの?」
「すみません、後で説明します」
こうして次の目的地も決まったところで、人の怖さを学んだ二人と一匹の旅は同行者を連れてまだまだ続きます。
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