鉄のつま先と夏の匂い(前編)

### 前編


 真夏の陽射しに、ウォーカーのフレームが白く光っていた。

 巨大な格納庫の天井は、熱を逃がすために半分だけ開いている。

蒼い空の四角い切れ端から、入道雲がのぞき、油と金属と、焦げた砂の匂いが立ちこめていた。


「……やっぱ、でかいなあ」


 神楽坂リオは、見上げたままつぶやいた。

 目の前にそびえるのは、自分のウォーカー――


**AS-12《シラユリ》**。

 アストラ重工業製の中量級二脚歩行フレーム。全高八・五メートル。片脚だけで小型トラックを押し倒せる出力を持ちながら、細身のプロポーションと白い装甲がどこか女性的だ。


「いまさら何言ってんの。昨日まで一緒に走り回ってたくせに」


 背後からあきれた声。

 振り返ると、ツナギ姿の少女がタブレットを抱えて立っていた。つやのある黒髪を後ろでひとつに束ね、首元には《アストラ女子学院 機関整備科》のネームプレート。


 リオの幼馴染であり、相棒。

 メンテナンス科二年――


「おはよ、志乃(しの)。……いやあ、今日のシラユリは特に大きく見えるっていうかさ」


「大会仕様で肩アーマー増設してるからね。全高三十センチ伸びてる。そういう意味では、でかいのは確か」


 志乃はいつもの淡々とした口調で言いながら、タブレットを操作する。

 格納庫の端末とリンクしているのか、シラユリの胸部ユニットのハッチが自動で開き、金属の昇降リフトがリオの足元まで降りてきた。


「神楽坂リオ。コクピット搭乗準備完了。バイタルチェックするから、ヘルメット」


「あ、うん」


 リオは慌てて近くのベンチに置いてあったパイロットスーツ用ヘルメットを手に取る。

 薄手のコンプレッションスーツの上に着る、白と紺を基調とした簡易耐Gスーツ。企業ロゴ《ASTRA》が肩口に輝き、《アストラ女子学院》の校章が胸に縫い付けてある。


 ヘルメットをかぶると、すぐに内部センサーが生体情報を読み取り始める。

 耳の奥で、人工音声が告げた。


『パイロットID:神楽坂リオ。学院コード:AG-17-032。バイタル正常範囲内。ストレス値、やや高め』


「や、やや高めって、そりゃそうでしょ。だって――」


「全国大会、本戦初日、女子校リーグ準決勝だからね」


 志乃は、リオの言葉をあっさり引き取った。

 からかうわけでも持ち上げるわけでもない、ただ事実を述べるだけの口調がかえってリオを落ち着かせる。


「ここまでくれば、あとはやるだけでしょ。リオ、あんた、この一年で公式記録、撃墜数トップよ? 予選リーグでは全試合でMVP。配信のコメント欄でも“アストラの白百合姫”とか呼ばれてたじゃない」


「や、やめてよ、その呼び方……恥ずかしい……」


「事実。否定しようがない」


 リオは顔を赤くしながらも、心のどこかでその呼び名を嬉しく感じている自分に気づく。

 だがすぐに、視線をシラユリに戻した。


 ――八年前まで、この国でウォーカーといえば「兵器」だった。

 国家ではなく企業が軍隊を持ち、紛争地へと二脚歩行の巨人たちを送り込んだ。

 しかし、国際条約と経済構造の変化、そしてなにより「戦争は儲からない」という身も蓋もない現実の前に、軍事ウォーカーの多くは役目を終えた。


 装甲を削がれ、武器を取り外され、建設現場に運ばれた。

 巨大な「足」は、塹壕ではなく高速道路を造るために使われ、ミサイルラックの代わりにクレーンアームを背負った。


 幼い頃、父が見せてくれたドキュメンタリーで流れていた言葉を、リオはふと思い出す。


『兵器からインフラへ。ウォーカーは、これからの都市生活になくてはならない存在になるでしょう』


 ――そして、それは本当に現実になった。

 ウォーカー免許の取得は、今や車の免許以上に重視されている。

 中学と高校が統合された八年制の学院では、誰もがウォーカーの基礎知識を学び、操縦か整備のどちらかを履修することが義務付けられた。


 表向きは「災害時の自衛力のため」と説明されているが、実際には――


 リオは目を細めて、胸の内で続きの言葉を飲み込んだ。


(実際には、企業のため。ウォーカーを作るアストラみたいな軍事・重工企業が、自分たちの将来の社員候補をふるいにかけるため)


 そんなことは、大人たちの誰も口にはしない。

 だがウォーカーが企業ロゴで塗りつぶされ、学院の校舎にまでスポンサー企業の広告が掲げられる世界では、それはもはや常識だった。


 ――ウォーカー技能大会。

 その頂点に立つものには、決して安くない将来が約束されている。


 操縦科のパイロットには、好条件のスカウト。

 メンテナンス科の技術者には、研究職への推薦枠。

 どちらにも、学費免除と家族への補償。


 リオは、シラユリの脚のあいだに立って、アクチュエーターの光を見つめた。

 胸の奥がじんと熱くなる。


 ――負けられない理由なんて、いくらでもある。

 だけど。


「……志乃」


「なに?」


「今日、勝とうね」


「うん」


 志乃は、こくりと頷いた。

 それから、ふっと目を細める。


「でも、できれば無茶しないで。こないだみたいに、障害物蹴り飛ばして足首のサーボ焼き切るとか、ああいうのはもう勘弁」


「うっ……」


 あのときは、どうしても相手の背後を取りたくて、つい……。


「今日は、予備フレームないんだからね。大会規定で、残機は“二”って決まってるでしょ? 四機編成+二機まで復活。つまり、合計六回分しか“戦えない”。一機が何回落ちてもいいけど、チームで二回までしか“戻ってこられない”の」


「わかってるよ。わかってるってば」


 ウォーカー技能大会のルール。

 四対四のチーム戦形式。

 撃墜判定を受けた機体は、会場併設の整備工場へドローンで回収され、メンテナンス科の生徒たちが急いで修理を行う。

 修理が完了すれば、チームは最大二機まで戦場に再投入できる――それが「残機制」だった。


 だから、無謀な突撃はチーム全体の首を締める。

 わかってはいる。


 リオは、シラユリのコクピットへと続く昇降リフトに足をかけた。

 金属がかすかに軋み、彼女を八メートル上空の腹部ハッチまで運び上げる。


 胸部のハッチが開いている。

 中には、コクピットシートと、三百六十度をカバーする全天周モニターが静かに待っていた。


 リオは振り返り、下で見上げている志乃に、片手を大きく振った。


「じゃあ、行ってくる!」


「うん。……リオ」


「なに?」


「楽しんでおいで」


 その言葉に、胸がすっと軽くなる。

 リオは笑って、コクピットに身体を滑り込ませた。


     ◇


 《全学院ウォーカー技能大会》――。

 ウォーカー教育を行う全国の学院のうち、企業が出資する約百五十校が参加する、年に一度の大規模な大会だ。


 会場は、かつて「国立競技場」と呼ばれていた場所を、全面的にウォーカー競技用に改装した巨大スタジアム。

 今は企業ロゴにまみれ、《ASTRA DOME》という名で中継されている。


 観客席には一般客と各企業の関係者がぎっしりと詰めかけ、空には無数のカメラドローンが浮かんでいる。

 大型スクリーンには、スポンサー企業のCMと、これまでに行われた試合のハイライトが繰り返し流されていた。


『――さあ、ついに始まります! 全学院ウォーカー技能大会、本戦一日目! この時間は女子校リーグ準決勝第二試合! 実況は私、《ミライ・カサハラ》がお送りします!』


 ハイトーンの声が、アリーナ全体に響く。

 観客席の一角で、メンテナンス科の志乃たちクルーが、スクリーンを見上げながら工具箱を抱えていた。


『対戦カードは――《アストラ女子学院》聖ミレニア女学院! どちらも今大会無敗同士、まさに“東西の女王決戦”とも言えるカードです! 解説はおなじみ、元プロウォーカー・パイロットの《篠原ゲンゴロウ》さん!』


『よろしく頼むよ』


 低い渋い声。

 画面には、角刈りで筋骨隆々の初老の男が映る。

 軍事ウォーカーがまだ本物の戦場を歩いていた時代、名前を聞いたことがあるレジェンドだ。


『篠原さん、まずはこの両校の特徴を教えていただけますか?』


『アストラ女子学院は、その名の通りアストラ重工が直営でやってる学校だ。操縦科と整備科の連携が緻密で、ここ数年は“チーム戦”としての完成度が高い。全員が女の子だからって、遠慮してたらすぐ足元をすくわれるぜ』


 観客席から笑いが起きる。


『対する聖ミレニア女学院は、伝統あるお嬢様校だが、ここ十年で一気にウォーカー競技に力を入れ始めた。親会社の《ミレニア・システムズ》は電子戦に強い企業だからな。機体スペックそのものより、“情報戦”でじわじわ相手を追い詰めるのが得意だ』


『――情報戦、ですか』


『ああ。視界妨害、ダミー信号、センサー撹乱……。模擬戦だからって、やれることはなんでもやってくる連中だよ』


 志乃は、スクリーンを見ながら、無意識にタブレットを胸元に引き寄せた。


(視界妨害、か……)


 情報戦に強いミレニア系の学校は、ウォーカーの「目と耳」にあたるセンサー類へのアプローチが得意だ。

 もちろん、大会ルールで禁止されているハッキングや直接的なデータ改ざんはできない。

 だが、合法的な「ノイズ」を用いて相手の認識をずらすのは、立派な戦術として認められている。


 たとえば、赤外線センサーを誤魔化すための集光フィルム。

 音響センサーを攪乱するためのホワイトノイズ・グレネード。

 ドローンと連携した偽目標の投影――。


「……リオ、ちゃんと使いこなせるかな」


 志乃は小さくつぶやき、腰に下げたウェストポーチを確認する。

 中には、予備のファイバケーブルと、あらゆるサイズのネジ、そして緊急用のワイヤレス診断モジュール。


「志乃、緊張してる?」


 隣で、同じく整備科のクルー・三人組の一人、愛想のいいショートカットの先輩が笑いかけてきた。


「……少しだけ」


「だいじょーぶだよ。うちのパイロット陣、今ノってるし。リオちゃんなんて、昨日の公式インタビューで“優勝しか見えてません”とか言ってたもんね。ああいう度胸の塊を前に、私たちは落ち着いてサポートするだけ」


「……あの子、時々ほんとに無茶するから」


「そこをなんとかするのが整備科。でしょ?」


 先輩がウインクする。

 志乃は、かすかに笑った。


「はい」


     ◇


 アストラ女子学院のピットルーム。


 リオは、シラユリのコクピットの中で、深く息を吐いた。

 周囲を取り囲むモニターには、まだ暗い待機画面が映っている。

 内蔵スピーカーから、仲間たちの声が入ってきた。


『こちらリーダー機、《シラユリ1》こと神楽坂リオ。チェック、聞こえてる?』


『シラユリ2、久遠(くおん)ナナ。良好。今日も元気にやっちゃおっか、リオ先輩』


 軽い調子の声。

 アストラ女子学院操縦科二年。細身のフレーム《AS-09》を操る、スナイパーだ。


『シラユリ3、御子柴(みこしば)マイ。通信良好。……すー、はー……よし、緊張抜けた』


 落ち着いた低めの声の三年生。

 近接戦闘を得意とする重装型AS-14の使い手。


『シラユリ4、河合サラ。……あ、あの、聞こえてますか?』


 どこかおどおどした一年生の声。

 軽量偵察機AS-07。ドローンと連携してチーム全体の目となる役割だ。


『全機応答確認。こちらオペレーター、整備科二年・七尾志乃。システムチェック開始するよ』


 コクピットの前面モニターが、次々とテストパターンを表示しては消していく。

 各関節の動作テスト、センサー類の感度チェック、兵装システムの認識確認――。


『AP(アクティブ防護)システム、スタンバイ。ミサイル迎撃用ミリ波レーダー、正常。電子制御式トリガー、感度良好。模擬弾の遅延信管、タイミング補正済み』


『オーケー。武装を最終確認する』


 リオは、頭の中で装備構成をなぞった。


 主兵装:

 ・アストラ製四〇ミリ模擬実体弾ライフル《AR-40》。

 ・両肩に短距離誘導模擬ミサイルポッド。

 ・右腰にスタンブレード(近接用高周波ナイフ)。


 防御:

 ・前面装甲は薄めだが、関節部にアクティブ防護(物理迎撃とジャミングの複合システム)。

 ・脚部には増設装甲。転倒だけは避けたい。


 ほかの三機も、それぞれ得意なスタイルに合わせてカスタマイズされている。

 ナナは高倍率スコープ付きロングレンジライフルと光学迷彩用の簡易シールド。

 マイは分厚いシールドとショットガン型模擬弾発射機。

 サラはドローン管制モジュールと電磁パルス・グレネード。


『――それじゃ、行こうか』


 志乃の声が、少しだけ柔らかくなる。

 それが、合図だった。


『アストラ女子学院ウォーカーチーム、《白百合》。出撃承認』


 瞬間、コクピットの視界が切り替わる。

 暗闇が弾け飛び、スタジアムのフィールド全体が、まるで自分の身体であるかのように感覚へと流れ込んでくる。


 足元のアスファルト。

 遠くの観客席。

 空を飛ぶ中継ドローンの光。

 そして――対面のゲートから姿を現した、四機のウォーカー。


『おおっと! 出てきました、アストラ女子学院のウォーカーたち! 白と紺を基調とした、すらりとしたシルエット! リーダー機は例によってAS-12《シラユリ》! 今日も凛々しい立ち姿です!』


『いいなあ、若いってのは。あの立ち方、昔俺もよくやった。見栄はってな』


『篠原さん、それはどういう……』


『まあ見てりゃわかるさ。対する聖ミレニア女学院は――』


 アナウンスが、相手チームの紹介へと移っていく。


 ミレニア女学院のウォーカーたちは、アストラのものよりもやや小柄で、曲線的なデザインが特徴的だった。

 薄い紫色の装甲に、ミレニア・システムズのロゴ。

 武装はどれも控えめに見えるが、代わりにセンサー類と通信アンテナが異様に多い。


『あれが、ミレニアの新型電子戦フレーム《MS-10》か。まだ民間販売はされていないはずだが……さすが親会社直系ってわけだな』


 篠原ゲンゴロウの低い声が、少しだけ唸るように響いた。


 リオは、モニター越しに相手リーダー機を見つめた。

 細身の紫のフレーム。その肩には、《ローザ》と書かれた白いマーキング。


(ローザ……)


 聖ミレニア女学院のエース、 ローザ・フォン・ミュラー。

 ドイツ系企業ミレニアの会長令嬢であり、自身もセンサー戦にかけては学生トップクラスと言われている少女。


 噂では、戦場で一度も「見失った」ことがない。

 彼女の目が捉えた敵は、必ずどこかで足をすくわれる――。


『両チーム、スタートポジションにつきました! それでは、ルールを簡単におさらいしましょう!』


 アナウンサーの声が、高らかに響く。


『この女子校リーグ準決勝は、四対四のチーム戦! 残機制で、両チームとも二機まで復活可能です! 武装には実物と同じ構造の模擬弾を使用し、直撃時には機体のアクチュエーターや駆動部が停止することで“撃墜判定”となります! ミサイルも、アクティブ防護が反応しない場合は命中直前に自壊し、そのデータが相手機に送信されることで撃墜を知らせます! もちろん、安全性は万全! パイロットには一切ダメージはありません!』


 観客席から拍手が起こる。

 かつての本物の戦場を知る者は、この中にどれだけいるだろうか――と、リオは一瞬だけ思った。


『それでは――』


 カウントダウンの電子音が、スタジアムのあちこちから鳴り始める。


『三――』


 リオは、操縦桿に軽く手をかけた。

 足裏の感覚を確かめるように、わずかに重心を前に傾ける。


『二――』


 心臓の鼓動が、少しだけ早くなる。

 呼吸を整える。視界に入る余計な情報をシャットアウトする。


『一――』


(負けない)


『――スタート!』


 電子音が爆ぜるように鳴り、目の前のフィールドマップが一斉に色を変えた。

 同時に、四機のウォーカーが一斉に動き出す。


     ◇


 スタジアム中央には、廃ビル群を模した構造物がいくつも建ち並んでいる。

 低層ビル、高架道路、コンテナヤード、人工池――。

 今日のフィールドテーマは「湾岸都市」。

 企業が過去の実戦データを流用して設計した、複雑な市街地だ。


『配置通り行くよ! 2は高架上。3と4は右側の倉庫群を回って! わたしは中央通りから前に出る!』


 リオは素早く指示を飛ばし、自身のシラユリを滑るように前進させた。

 サーボの唸りとともに、八・五メートルの巨体が軽々と駆け出す。


『りょーかい、シラユリ2、上に上がるよー』


『3、4、右回り。河合さん、ドローンの高度は低めでお願いね。敵のセンサーから隠す』


『は、はいっ!』


 ナナの軽口と、マイの冷静な声、そしてサラの緊張混じりの返事。

 それらが、一つの「チーム」としてリオの意識に溶け込んでいく。


『敵の初動は?』


 リオは問いながら、視界の端にミニマップを表示させた。


『――こちらサポート、志乃。敵チーム、中央に一機、右側倉庫群に二機、左の運河沿いに一機。ローザ機は中央。こっちと正面からぶつかるつもりみたい』


『了解』


 リオは、シラユリの速度を落とし、腰を落として身を低くした。

 ビルの陰に隠れながら、スコープをうっすらと起動する。


 視界の奥、運河橋の手前で、紫のウォーカーがわずかに光る。


「あれが……」


 ローザ・フォン・ミュラー。

 細い脚で、静かに、しかし迷いなく前進してくるその姿には、どこか「自然さ」があった。

 重心移動に無駄がなく、一歩ごとの揺れが一定。

 よく訓練された兵士の歩き方だ。


(舐めてたら、やられる)


『ナナ。ローザ機の射線、取れる?』


『えーっとねー……。あー、だめ。向こうもこっち警戒してる。高架の遮蔽物から出た瞬間に、こっちも丸見えになっちゃう。たぶん、向こうのセンサーの方がレベル高い』


『了解。無理しないで』


『はーい』


 そのとき、不意にリオの前面モニターに、微かなノイズが走った。

 白い砂嵐のようなザザッという揺らぎ。すぐに消えてしまうが、確かに何かが入り込んできた気配がある。


『……志乃?』


『うん、見えてる。おそらく、ミレニア側のジャミング・グレネード。まだ距離があるから、実害はないけど』


『なるほどね。お試しか』


『それから、もう一つ。運河沿いに展開してる敵機の一体が、ドローンを飛ばし始めた。センサー範囲を広げてる。サラちゃん、こっちのドローンは一旦高度ゼロ。コンテナの陰に隠して』


『う、うんっ』


 電子戦。

 視えない「もう一つの戦場」が、すでに始まっている。


 リオは舌先で歯を軽く噛み、思考を巡らせた。


 ――情報戦で真正面から張り合えば、こちらは不利だ。

 アストラのフレームは物理性能こそ高いが、センサー周りのノウハウではミレニアに一日の長がある。


 ならば、こちらが取るべき選択は――。


『マイ。右の倉庫群、敵は二機ね? 近距離型、いる?』


『一機は中距離ライフル。もう一機は多分、ショットガン系。こっちと同じ近接寄り』


『なら、そこ潰そう。サラ、マイと一緒に右に回り込んで。わたしは少し前に出て、ローザの注意を引く。ナナは――』


『わかってるわかってる。いいとこで撃つんでしょ?』


 ナナがくすりと笑う。


『最初の一機、私に取らせてね、リオ先輩』


『取れたらね。競争だよ』


 リオは、シラユリの腰をひねり、ビルの影から一気に飛び出した。

 視界が開け、正面に運河と、その向こうの橋のたもとに立つローザ機が映る。


(――距離、四百二十)


 システムが自動で距離を弾き出す。

 四〇ミリライフルの有効射程の、ほぼ上限値。

 だが、訓練では何度も撃ってきた距離だ。


 リオは、息を吸い、吐く。

 照準を、ローザ機の右肩――ミサイルポッドと思しきユニットへと合わせる。


 トリガーに指をかけた、その瞬間。


『――“見ぃつけた”』


 耳元で、少女の声がした。

 実際に聞こえたわけではない。

 だが、そう錯覚してしまうほどに、視界の中のローザ機が、ぴたりとこちらを向いたのだ。


「――っ!」


 反射的に、リオはシラユリのボディを左にひねる。

 ほぼ同時に、ローザ機のライフルから光が走った。


 模擬実体弾。

 金属の塊が、高初速でこちらに飛来する。


 リオは直感で、キックペダルを踏み込み、シラユリを横っ飛びにさせた。

 巨大な身体が路面を抉りながら転がる。


 が――。


 ガキンッ!


 激しい金属音とともに、何かが右肩をかすめた感触が伝わる。

 すぐに、コクピット内に赤い警告が点滅した。


『警告:右肩ミサイルポッド、アクチュエーター停止。被弾判定』


『リオ! 右肩やられてる!』


 志乃の声が、いつになく鋭い。

 リオは、地面を転がりながら必死に体勢を立て直した。


 ――一発目。

 たった一発で、こちらの武装の一部を奪ってきた。


(……やる)


 身体中に走る人工的なフィードバックの痛みを無視して、リオはシラユリを立ち上がらせた。

 右肩のユニットは不自然に垂れ下がっているが、歩行や射撃には支障はない。


『リオ、大丈夫?』


 ナナの声。


『うん、問題ない。……ローザ、やっぱり上手いね』


『一発目でそこ狙ってくるとはねえ。やりにくいなあ』


 画面の端で、ローザ機がゆっくりと姿勢を変えるのが見える。

 追撃はしてこない。

 ただ、こちらを見つめている。


『ねえ、志乃』


『なに?』


『ローザ機のセンサー、どれくらいの精度?』


『ざっくり言うと、こっちの二倍。距離測定の誤差はほとんどゼロ。視界も、ナナちゃんのスコープに迫るレベル』


『つまり、正面からの撃ち合いは不利、ってことだね』


『うん』


 リオは唇を噛んだ。

 だが、その感触すら、今は妙に冷静に感じる。


(いいよ。だったら――)


『マイ、サラ。そっちはどう?』


『敵二機、一機目を交戦距離まで引き込んだところ。サラちゃんのドローンが上から位置マーカーつけてくれてる。やりやすい』


『ひ、一機目、右のビルの陰に隠れた、みたいです……!』


『ナイス。マイ、やって』


『了解』


 そのやり取りとほぼ同時に、マップの右側で小さな赤点が消えた。


『おおっとォ! ここでアストラ女子学院、先制ぃ! 右サイドの近距離戦で、御子柴選手が一機を撃破しました!』


『いいねぇ。あいつ、距離を詰めると本当に強い』


 観客席がどよめき、配信のコメント欄が一気に流れる。

 《マイ姐さすが》《斧使わないの?》《女子でこの突撃は怖すぎる》――。


『残機カウンター、聖ミレニア側が一つ点灯。これで、向こうはあと二回しか復活できません!』


『こっちも、右肩やられてるけどね』


 志乃の軽いため息まじりの声。

 リオは、にっと笑った。


『まだ落ちてないからセーフでしょ』


『そう言うと思った』


 そのとき、ミニマップに新たな赤い円が表示された。


『――ジャミング圏内に入った!』


 志乃の声が、急に緊迫感を帯びる。


『ローザ機の中継ドローンが、こっちの上空に到達した。これから、視界と音声にノイズが入るはず。気をつけて』


 ほぼ同時に、視界の端に再び砂嵐のようなノイズが走る。

 今度はさっきより濃く、長く続いた。


(視界を奪ってくる……)


 ウォーカーのコクピットは、外界の映像をほぼ完全に電子的に処理している。

 だからこそ、こうした電子戦に弱い一面がある。

 センサーが惑わされれば、パイロットもまた惑わされる。


 だが――。


『志乃』


『うん、準備してる』


 志乃の指が、ピットのコンソールの上を滑った。

 瞬間、リオの視界がぱっと切り替わる。


『――視界、モードBに切り替え。光学カメラの補正を最小にして、直接フィード』


 途端に、映像が荒くなる。

 鮮明だったスタジアムの光景が、いくぶんコントラストの低い「直撮り」の映像に変わる。

 だが、そのぶん、電子ノイズの影響はかなり減っていた。


『ルール上、完全オフラインにはできないけど、補正を最小にするのはギリギリOK。……目は悪くなるかもだけど』


『大丈夫。裸眼には慣れてるから』


 リオは小さく笑い、再びローザ機の姿を探した。

 運河の向こう。まだ、いる。


『サラちゃん、敵ドローンの高度は?』


『え、えっと、五十メートルくらい。うちのよりちょっと高い、かな……』


『了解。じゃあ、こっちは地べたを這う』


 リオは、シラユリの姿勢をぐっと低くした。

 八メートルの機体を、ほとんど四つん這いに近い姿勢までしゃがみ込ませる。


『え、リオ先輩? なにその姿勢、カエル?』


『いいから。ローザの“目”から外れれば、それだけで選択肢が増える』


 高高度からのドローン視点は、たしかに広い。

 だが、そのぶんビルや高架の陰は死角になる。

 そして、ミレニアはおそらく「空」からの情報に頼っているはずだ。


(だったら、地面を使う)


 リオは、しゃがんだまま、ビルとビルの隙間を縫うように前進した。

 人工筋肉が軋み、シラユリの手がアスファルトを掴んで進む。

 巨大な獣のような、その動き。


 対岸のローザ機が、わずかに首をかしげたように見えた。


『リオ、いいの? そんな目立つ動き』


『目立っていいんだよ。――ナナ、見えてる?』


『うん、バッチリ。ローザ機がリオ先輩に注目してくれたおかげで、こっちから見るとほぼ完全なヨコ姿勢。装甲の薄い側面が丸見え』


『じゃあ、カウント、3、2、1――』


 リオが数え終えるとほぼ同時に、高架の上から白い閃光が走った。

 ナナの《AS-09》が放ったロングレンジ・ライフルの模擬弾。

 それは、ローザ機の腰部にクリーンヒットした。


 ドゴンッ!


 鈍い衝撃音。

 ローザ機のボディが大きく揺れ、片膝をつく。

 すぐに、コクピットの中にシステム音声が響いた。


『敵機ローザ、腰部駆動系アクチュエーター停止。移動能力喪失』


『ローザ機、移動不能ぉぉ! ここでアストラ女子学院、見事な連携攻撃! リオ選手が囮となって敵の視線を集め、その隙に久遠選手のロングレンジ一発! 情報戦に長けたミレニア相手に、見事な“視線の奪い合い”を制しました!』


『やるじゃねえか、白百合姫。あれだけ撃たれても、すぐにやり返す。根性がいい』


 観客席がどっと沸いた。

 リオは、シラユリの姿勢を元に戻しながら、息を吐く。


『やったね、リオ先輩!』


 ナナの弾んだ声。


『ローザ機、まだ撃てる。気を抜かないで』


 志乃の冷静な注意。


『わかってる。足が止まったってだけで、銃と目は生きてるからね』


 実際、ローザ機のライフルはまだこちらを狙っている。

 移動力を奪われても、センサーと射撃能力があれば、まだまだ脅威だ。


『マイ、右側は?』


『二機目と交戦中。こっちが一発もらったけど、まだ行ける。サラちゃん、EMP準備して』


『は、はいっ……!』


 そのとき、突然リオの視界が暗くなった。

 ビルの陰を抜けた瞬間、視界の一部がまるで塗りつぶされたかのように真っ黒になる。


『――なに、これ!』


『ジャミングが強くなった! 視界マスクされてる!』


 志乃の声が、苛立ちを隠せない。


『たぶん、ローザ機がこっちの映像処理の“穴”を突いてきてる。モードBでも完全には防げないみたい』


 真っ黒な領域は、時間とともに揺らぎながら広がっていく。

 視界の四分の一、三分の一、と、じわじわ侵食してくる。


 その中から――。


 ひとつの、光。


『――っ!』


 リオは反射的に操縦桿を引いた。

 だが、遅かった。


 黒い領域の中から飛び出してきた模擬弾が、シラユリの左脚を正確に射抜いた。


 衝撃。

 コクピットが一瞬だけ大きく揺れ、人工の痛みが左足首に走る。


『警告:左脚膝下アクチュエーター停止。移動能力六〇パーセント低下』


『リオッ!』


 ナナの悲鳴じみた声。

 志乃の息を呑む音。


『大丈夫……まだ、立てる』


 リオは歯を食いしばり、シラユリの姿勢を保つ。

 左脚だけがだらりと動かない。

 だが、右脚と両腕はまだ健在だ。


『ローザ機、やられたままじゃ終わらないってことか。さすがだな』


 スタジアムの実況席で、篠原が低く唸った。


『電子戦で相手の視界を“塗りつぶして”、ブラックボックスから弾を飛ばしてくる。いやらしいが、実戦じゃよくあるやり口だ』


『アストラ側も、視界モードを変えるなど対応を試みていますが……』


『機体性能だけじゃなく、情報処理のノウハウも必要だってこった。だからこそ、こういう大会は意味がある』


 リオは、片脚でなんとかバランスを取りながら、深く息を吸った。


(視界が、奪われる)


 でも――。


(全部じゃない)


 黒く塗りつぶされた領域の外側では、まだ世界が見えている。

 そして、自分の身体の「感覚」も、まだある。


『志乃』


『なに?』


『視界、モードCに切り替え。――地形マッピング優先』


『了解。やると思った』


 瞬間、映像がまた変わる。

 今度は、現実の映像がほとんどなくなり、代わりに簡略化された三次元ワイヤーフレームの世界が広がった。

 ビルは白い線で描かれ、地面は青い網目。

 敵と味方の位置だけが、赤と緑のシンボルで表示されている。


『うわ、なにこれ、ゲームみたい』


 ナナが感嘆の声を上げる。


『ゲーム世代にはこっちのほうがいいかもね。……ただし、細かい動きは全部“勘”で補うことになる』


『上等』


 リオは、片脚のシラユリをぐっと踏み込ませた。

 ワイヤーフレーム上で、自機のシンボルが前に進む。

 ローザ機のシンボルもまた、少しずつ位置を変えていく。


 黒く塗りつぶされた視界の穴の代わりに、ここには単純化された「関係」がある。

 距離。角度。高さ。

 それだけが、純粋なゲームとしてそこにある。


(なら、ゲームとして勝てばいい)


『ナナ。ローザ機の位置、三次元マップ上で同期して』


『了解。……っと、した』


『マイとサラは?』


『二機目、もうちょいで落とせる。サラちゃん、もう一発EMP』


『ひいっ……! い、いきますっ!』


 右サイドの戦闘は、どうやら優勢だ。

 残る問題は、目の前のローザ。


『ローザ機の上空ドローン、まだ生きてる。ジャミング継続中』


 志乃が告げる。


『――だったら、それを落とそう』


『え? どうやって? システム的には“撃っちゃダメな対象”に設定されてるから、ロックオンできないよ?』


『ロックオンなんていらない』


 リオは、ライフルを構えた。

 ワイヤーフレーム上で、ローザ機の頭上に、小さな白い点――ドローンの位置が点滅している。


 距離、およそ二百。

 高度、五十。

 風速、スタジアム内だから微風。

 重力、地球標準。


 あとは――。


 勘と、経験。


 リオは息を止め、トリガーを引いた。


 パンッ。


 乾いた発砲音。

 模擬弾が、一直線に空を駆ける。


 ワイヤーフレームの世界には、弾道の軌跡が細い線で表示されている。

 それは、白い点のわずか横を通り過ぎ――。


『――っ』


 だが、現実の空の中で、なにかが小さく爆ぜた。


 ドローンが、落ちた。


『な、なんとぉぉ! アストラ女子学院、神楽坂選手の一発が、聖ミレニアのドローンを直撃ぃぃ! 通常、攻撃対象外となっているはずの中継機を、純粋な“予測射撃”で撃ち抜きました!』


『あれをやるか……。こいつぁ、大したもんだ』


 スタジアムが揺れた。

 観客席が総立ちになり、歓声が渦巻く。


 同時に、リオの視界に走っていた黒いノイズが、すうっと薄れていく。


『ジャミング、弱まってる! ローザ機、情報源を失った!』


 志乃の声が、興奮混じりに震える。


『ローザ機の視界は、生のセンサーだけ。こっちと同条件に近くなった』


『なら――』


 リオは、片脚のまま前進した。

 ワイヤーフレームの地形が、現実の映像と再び重なっていく。


 運河の淵。

 ローザ機は、まだそこにいる。

 腰部アクチュエーターを潰されて、ほとんど動けない。

 だが、それでもライフルを構え、こちらを狙っている。


『さすがだな、アストラ――白百合姫』


 音声回線から、不意に聞き慣れない少女の声が聞こえた。

 ローザだ。


『大会規定の“短距離オープンチャット”ね。たぶん、ローザ機が話しかけてきてる』


 志乃の解説。


『あなた、さっきのドローン、目測だけで撃ち抜いたの?』


『そういうローザこそ、視界真っ暗にしてくるなんて、ずいぶん意地悪だね』


『戦いとは、そういうものでしょう?』


 ローザの声は、どこか楽しそうですらある。


『でも――』


『でも?』


『あなたは、まだ私を“落としていない”』


 その言葉と同時に、ローザ機のライフルから再び光が走った。

 完全な正面射撃。

 リオは、シラユリの上半身を限界までひねって回避を試みたが――。


 ガンッ!


 ライフル弾が、シラユリの右腕を直撃した。


『警告:右腕アクチュエーター停止。主兵装使用不能』


『くっ……!』


 ライフルが、だらりと力なく垂れ下がる。

 システムは即座に、安全のためトリガーをロックした。


『二対一、ですわね』


 ローザの声が、静かに続く。


『あなたの左脚と右腕。こちらの足。どちらが先に“詰む”かしら』


『決まってる』


 リオは、そう言って笑った。

 右脚に力を込める。

 スタンブレードを握る左手は、まだ生きている。


『志乃、残弾は?』


『ライフルはもう使えないからゼロ。ミサイルも右肩は死亡。左肩に二発残ってる。ブレードは健在』


『じゃあ、ブレード一本で行く』


『ローザ機、まだライフル動くよ?』


『うん』


『無茶だよ』


『うん』


『……わかって言ってるでしょ、あんた』


 志乃のため息に、リオは笑って返した。


『だって、楽しいじゃん』


 その瞬間――。


『――リオ先輩、“二秒間”だけ、ローザ機の目ぇ潰してあげる』


 ナナの声が、ひょいと割り込んできた。

 すぐに、小さな電子音。


『フラッシュ・ドローン、ローザ機の左上空に到達。カウントダウン開始』


 志乃の声が重なる。


『3、2、1――』


 運河の向こうの空が、白く爆ぜた。

 高輝度フラッシュを放つ小型ドローン。

 大会規定ギリギリの光量で、カメラのセンサーを焼かない程度に視界を奪う。


 ローザ機の頭部センサーが、一瞬だけ白く飽和する。


『いまだっ!』


 リオは、右脚だけで思い切り地面を蹴った。

 シラユリの巨体が、運河を飛び越えるように跳躍する。

 左脚はぶらりとぶら下がったままだが、右脚と両方のスラスター出力を極限まで引き出せば、十分な距離は稼げる。


 ローザ機のすぐ眼前に着地。

 コクピットの中から、ローザの驚いたような息遣いが聞こえた。


『な――っ』


 スタンブレードを構える暇もない。

 リオは、シラユリの身体そのものをぶつけるようにして、ローザ機にタックルをかました。


 鈍い衝撃音。

 ローザ機の上半身が大きく傾ぐ。

 バランスを失ったその身体が、ゆっくりと、運河の水面へと倒れ込んでいく。


『――チェックメイト』


 リオは、倒れゆくローザ機の胸部に、左手のスタンブレードを突き立てた。

 もちろん、模擬装備。実際に装甲を貫くことはない。

 だが、センサーは十分に「致命打」と判定した。


 ピピピ――。


『敵リーダー機ローザ、《撃墜判定》』


 システム音声が告げる。

 同時に、パイロット保護のため、ローザ機の全アクチュエーターが停止した。


『ローザ機、ここで撃墜ぃぃ! アストラ女子学院、エース同士の一騎打ちを制しました!』


 スタジアムの歓声が爆発する。

 配信コメントも、一瞬で埋め尽くされた。

 《白百合姫やべえ》《ローザとのタイマン熱すぎ》《カメラ目線ほしい》――。


『残るは……右側の戦線!』


 実況が叫ぶ。


『ああっとここで! 御子柴選手が二機目をしとめたぁぁ! EMPからの近接コンボ! 聖ミレニア女学院、残る機体は――運河沿いの一機のみ!』


『サラちゃん、位置は?』


『えっと、えっと……! あ、いました! 左のコンテナの陰です!』


『ナナ、撃てる?』


『――もちろん』


 高架の上から、ふたたび白い閃光が走った。

 最後のミレニア機に、ロングレンジ・ライフルの弾が突き刺さる。


 ピピピ――。


『敵機全機、《撃墜判定》』


 機械音声が淡々と、しかし決定的に告げた。

 同時に、スタジアム全体に、勝者を告げるファンファーレが鳴り響く。


『試合終了ぉぉ! 女子校リーグ準決勝第二試合! 勝者、アストラ女子学院ぃぃ!』


 リオは、コクピットの中で、ゆっくりと息を吐いた。

 左脚と右腕は動かない。

 それでも、シラユリの胸の中にいる彼女の心は、不思議なほど静かだった。


『――ナイス、リオ』


 志乃の声が、ヘルメットの中に優しく響いた。


『うん。……みんなのおかげだよ』


『謙遜はいいから。あとで整備班全員にアイス奢ってね』


『え、ちょっと待って、おこづかいそんなに――』


『全国中継でカッコつけた後にケチるなんて、許されないから』


『ひどい……』


 そんな他愛もないやり取りが、試合後の高揚感の中で、どこか心地よく響いた。


     ◇


 試合を終えたウォーカーたちは、その場で一時的に電源を落とされ、すぐさまドローン牽引車によって整備エリアへと運び込まれた。

 スタジアムの地下には、大規模な整備工場が併設されている。

 学生たちは、そこで自分たちの機体のメンテナンスを行い、必要ならばパーツ交換や応急修理を施す。


 志乃たちアストラ女子学院整備科のクルーは、慌ただしく動き回っていた。

 シラユリを迎え入れるために、ホイストクレーンを準備し、故障部位を確認するための診断機をスタンバイさせる。


「左脚膝下と右腕、完全に死んでるね。アクチュエーター焼けてる。交換決定」


「予備ユニット、どこまで持ってきてたっけ?」


「脚一式と腕一式はある。でも、肩のミサイルポッドは片側しか予備なかったはず」


「右肩は完全に諦めるしかないか」


 整備科の三年生たちが、手際よく話し合いながら動いていく。

 志乃は、それを手伝いながらも、どこか落ち着かない様子で周囲を見回した。


「……志乃?」


 背後から、ヘルメットを小脇に抱えたリオが近づいてくる。

 汗で前髪が額に張り付き、首筋にうっすらと赤い跡がついていた。

 コクピット内での人工的な負荷によるものだ。


「お疲れ、リオ」


「うん。……シラユリ、ごめん。結構な怪我させちゃった」


「これくらい、怪我のうちに入らないよ。手足が吹っ飛ぶなんて、ウォーカーにとっては日常茶飯事。ね?」


 志乃は、シラユリの脚部を軽く叩いた。

 金属の音が響く。


「それに――」


「それに?」


「“勝って帰ってきた”っていうのが、一番大事」


 志乃は、ふっと笑う。


「負けて帰ってきた機体を直すのは、ちょっと……ね」


「……わかる気がする」


 リオも笑った。

 その笑顔には、さきほどの戦いの余韻がまだ残っている。


「でも、本当の勝負は、まだこれからだからね」


「うん。わかってる」


 女子校リーグの準決勝に勝ったということは――。

 次は、女子校リーグ決勝。

 勝てば、「女子校代表」として、翌日の全体決勝戦に進むことができる。


 そして、全体決勝戦の相手は――。


『――本日、このあと行われます女子校リーグ決勝は、《アストラ女子学院》対、《桜花女子学園》!』


 スタジアムの大型スクリーンから、実況の声が聞こえてくる。

 同時に、対戦カードを示すグラフィックが映し出された。


『両校とも、ここまで無敗同士! 勝てば、あすの全学院ウォーカー技能大会決勝戦で、昨年度優勝校、《天城工業学園》との対戦権を得ます!』


 天城工業学園――。

 男子校。

 昨年度の優勝校であり、工業巨大企業天城テックの直営。

 今回も、男子の部では危なげなく決勝進出を決めている。


「……あの天城と、戦える」


 リオは、スクリーンを見上げて呟いた。

 胸の奥が、じんと熱くなる。


 天城工業学園のエース――


《天城レオ》。

 ウォーカー操縦科三年。

 昨年の大会MVP。

 そして、リオにとっては、忘れられない名前だった。


「リオ?」


 志乃が、不思議そうに首をかしげる。


「……ううん、なんでもない」


 リオは首を振り、目の前のシラユリに向き直った。


「とりあえず、目の前の試合に勝たなきゃ、その先には行けないからね」


「そうそう。まずは、女子校決勝。桜花女子学園」


 志乃は、タブレットに映し出された対戦データを見せる。


「桜花は、去年の女子校準優勝校。今年はエースが代替わりしてるけど、チームとしての完成度は高い。特に、重装甲型の運用が上手い」


「重装甲、か……。ミレニアとは、全然タイプが違うね」


「うん。情報戦じゃなくて、“力”で押してくるタイプ。実弾の密度がエグい」


 志乃は、画面をスクロールしながら説明する。


「それに、桜花はちょっと“特殊”なんだよね」


「特殊?」


「うん。――パイロット全員、元・軍事企業の関係者の娘。企業間抗争の時代に、家族を戦場で亡くした子たちが多いって聞いた」


 リオは、思わず息を呑んだ。


「そんな人たちが、なんでウォーカーの大会に……」


「さあね。でも、桜花のモットーは“二度と戦争にウォーカーを使わせない、そのために私たちが使い方を示す”……だったかな。皮肉なようで、筋は通ってる」


「つまり、“自分たちが一番強くなることで、戦争にウォーカーを使う余地をなくす”ってこと?」


「解釈によるけど、そうかもしれない」


 志乃は肩をすくめた。


「とにかく、あの子たちは“負ける”のが嫌い。感情的な意味でも、思想的な意味でもね。だから全力でぶつかってくるはず」


「……いいね」


 リオは、シラユリの胸部装甲にそっと手を触れた。


「そういう相手のほうが、燃える」


「はいはい、バトルジャンキー」


 志乃は苦笑しながらも、その目にはわずかな誇らしさが宿っていた。


「じゃ、さっさと直すよ。女子校決勝まで、時間はそんなにないんだから」


「了解、整備主任殿」


 リオは軽く敬礼の真似をして、工具箱を持った。


「手伝うよ。私にもできること、あるでしょ?」


「もちろん。まずは、この焼けたアクチュエーター外すの手伝って。……あ、でも絶対指挟まないでね。次の試合操縦できなくなるから」


「き、気をつけます……!」


 二人は、笑いながらも真剣な表情で、シラユリの脚部ユニットに取りかかった。


 ――女子校同士の決勝。

 そして、その先に待つ、男子校・天城工業学園との「決勝戦」。


 夏の匂いと、機械油の匂いが混ざる整備工場の中で、

 リオの胸の奥では、静かだが熱い炎が、少しずつ、その温度を上げていった。


(待っててね――レオ)


 彼女は心の中だけで、そう呟いた。


     ◇


 数時間後。


 女子校リーグ決勝戦。

 《アストラ女子学院》桜花女子学園


 スタジアムの空気は、すでに熱狂の絶頂に近づいていた。

 さきほど行われた男子校リーグ決勝第一試合で、天城工業学園が圧倒的な実力差を見せつけて勝利したばかりだからだ。


『見事な試合でしたね、天城工業学園! 中でもエース、《天城レオ》選手の一騎当千ぶりは、今年も健在です!』


 実況が興奮ぎみにそう叫ぶと、大型スクリーンにレオの姿が映し出された。

 短く刈り込んだ黒髪。鋭い目つき。

 だが、勝利インタビューでの物腰は意外なほど穏やかで、理知的だ。


『決勝戦で戦いたい相手は?』


 インタビュアーの問いに、レオは少しだけ考えてから答える。


『どこが来ても、全力で戦います』


『あえて挙げるとしたら? 女子校代表が来たら、どうですか?』


『――いいんじゃないですか』


 レオは、ほんのわずかだけ口元を緩めた。


『ウォーカーは、男のものとか女のものとか、そういうのはないと思うので。強ければ、それでいい』


 その言葉に、スタジアムのあちこちから歓声が上がる。


『おおっと、フェミ&マッチョ双方を黙らせる、見事なコメントぉぉ!』


『あいつは本当に口が上手いな』


 篠原ゲンゴロウの苦笑混じりの声が、会場に流れる。


 そんな様子を、アストラ女子学院のピットルームのモニターで見ていたリオは、複雑な表情で画面を見つめていた。


「……相変わらず、かっこつけ」


「知り合い?」


 隣で、志乃が首をかしげる。


「ちょっとね」


 リオは歯切れ悪く答えた。


「小さい頃に、同じ民間ウォーカー教習所に通っててさ。あいつ、昔からなんでもそつなくこなすタイプだったんだよね。成績も、操縦も人付き合いも」


「ふーん。で?」


「で、って?」


「で、好きだったの?」


「ち、ちがっ……!」


 リオの顔が、ぱっと赤くなる。

 その反応だけで、志乃はすべてを察したようだった。


「なるほどねぇ」


「やめて、その目」


「別にいいじゃん。昔の初恋相手に、全国大会の決勝で会えるかもしれないなんて、ドラマチックで」


「だから、そういうんじゃないってば!」


 リオは耳まで真っ赤にしながら、モニターから目をそらした。


「それに――」


「それに?」


「あいつ、あのとき言ったんだよ。“ウォーカーは戦争の道具じゃない、僕らの世代がちゃんと変えていかなきゃいけない”って」


 リオは、小さく息を吐いた。


「だから、あたしも、そう信じた。ウォーカーで人を守れるようになりたいって。……でも、企業が政治を握って学校でこんな“模擬戦”をやらせてるのを見ると、ほんとにそうなのか、よくわかんなくなるときがある」


 志乃は、しばらく黙ってリオの横顔を見ていた。

 それから、ぽつりと言った。


「――だから、戦うんじゃない?」


「え?」


「ウォーカーが戦争の道具じゃないっていうなら、“戦争のやり方”じゃない戦い方見せればいいじゃん」


 志乃は、小さく笑う。


「さっきの試合だって誰も死ななかった。壊れたのは機械の腕と脚だけ、それをあたしたちが直す。あたしたちの世代は“壊す”と“直す”をセットで学んでる」


 リオは、目を瞬いた。


「……志乃」


「だから、胸張って。あんたがここで全力で戦うの誰も責められないよ、少なくともあたしは責めない」


 その言葉が、まっすぐ胸の奥に届いた。


(――そうだ)


 ――昔は、ウォーカーは戦争の道具だった。

 今は、


「今は、その“使い方”を、あたしたちの世代が選べる」


 リオは、小さく笑った。


「だったら――あたしは、“ちゃんと楽しい戦い方”を選ぶよ」


「うん。そのほうが、絶対いい」


 志乃も同じように笑う。

 そのとき、ピットのスピーカーから呼び出し音声が響いた。


『アストラ女子学院ウォーカーチーム、《白百合》。女子校リーグ決勝戦、出撃準備を開始してください』


「……時間だ」


「うん。行ってきて、リオ」


「行ってくる」


 リオは、シラユリの待つ格納区画へと歩き出した。

 胸の中のざわめきは、さっきよりもずっと小さい。

 代わりに、はっきりとした熱だけが、


 真っ直ぐに燃えていた。




(中編へ続く)


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