冷たい轍の足

地球上の国家は、とうの昔に「戦争」を手放していた。

正確に言えば、手放したふりをして多国籍企業という代理人に押し付けたのだ。


枯渇しかけたレアメタル鉱床。深海、極地、紛争地帯に広がる新しい鉱脈。

そこにパイク建築でライフラインを突き立て、採掘ユニットを組み上げ、利権を奪い合うのは国旗ではなく、企業旗だった。


やがて戦車や戦闘機では立ち入れない地形での小競り合いが頻発し、企業同士の「作戦部門」は頭を抱えることになる。

そんなとき、二人のロボットオタクが現れた。


一人は日本の元防衛関連技術者。もう一人はアメリカの元ゲームエンジン開発者。

彼らが作り上げた軍事企業〈クロノ・アーキテクツ〉は、人型ロボットアニメへの偏執的な愛情を現実の兵器工学と制御技術にぶち込み、あるものを世に出した。


二足歩行戦術兵器――通称「ウォーカー」。


戦車より地形を選ばない可動域。

複雑な地表起伏をリアルタイム解析するOSと、フレーム全体の負荷分散を行う人工筋肉式アクチュエータ。

ミサイル迎撃に特化した多層アクティブ防御。

随伴歩兵を必要としない自己完結型のセンサー・火器運用システム。


そして、その核となるのが、パイロットの「行動優先順位」と膨大なシミュレーションデータを基に構築される補助AIだった。

AIは武装選択を行い、照準と操縦を補助し状況に応じた最適解を提示する。


だが最後の「撃て」という命令だけは、いつだって人間の指先に委ねられていた。


     ◇


白い雪が、ガラスの向こうで静かに舞っている。


コックピットの内側、薄暗い空間の中で、リアム・サカモトはヘルメットの内側に浮かぶ表示に視線を走らせた。

英国人の父と日本人の母。

碧眼に黒髪、肌の色もどこか中途半端で、どこにいても「異物」として認識される顔立ち。

だが、この密閉された操縦殻の中では、国籍も血統も関係ない。

ただ、企業名と呼び名と機体識別コードだけがあればいい。


機体名〈ALD-07 “アルデバラン”〉


彼が所属する資源開発企業〈ヴァルカ・リソーシズ〉の戦術部門が運用する、最新型中距離支援ウォーカーだ。


視界の上半分に、淡い青色のホログラフィック・インターフェースが流れる。

そこに、無機質でありながらどこか柔らかい男声が響いた。


『パイロット、リアム・サカモト。最終確認を開始します』


「やってくれ、モリス」


彼の相棒――機体搭載AI〈MORRIS〉が、静かに応答する。


『行動優先順位プロファイル:最新版“Liam_v37”をロード。

 第一優先:自機および僚機の生存。

 第二優先:自社パイク建築施設の防衛。

 第三優先:敵ウォーカーの無力化。

 第四優先:周辺環境への損害最小化。

 変更点はありませんか?』


リアムは一瞬だけ迷って、口を開く。


「……第三と第四、入れ替えようか」


森だ。冬の針葉樹林。雪に埋もれた根と、凍りついた小川と眠る動物たち。

撃ち合いをするにはあまりにも静かで、あまりにも無防備な場所。


モリスはコンマ数秒の沈黙の後、淡々と告げた。


『了解。第三優先:周辺環境への損害最小化。

 第四優先:敵ウォーカーの無力化。

 再シミュレーションを行います。推定任務達成率、マイナス6パーセント。被害想定エリア縮小、プラス21パーセント』


「いいよ。それで行こう」


数値上は「損」だ。しかし彼は、数字だけでは割り切れない何かがあることを知っていた。

雪を被った土を砲弾で裏返せば、数年分の植生が死ぬ。

汚染された雪解け水は、遠くの集落や農場に流れ込む。

ここは無人地域と報告されているが、報告が正しいかどうかは誰にも証明できない。


だから、自分で優先順位を変える。


その結果、困るのは自分だけだ。


『武装構成の最適化提案を更新します』


AIが武装系統のホログラムを次々とハイライトしていく。

右腕マウントの120mmレールライフル。左肩のマイクロミサイルポッド。

腰部の可変シールドブレード、そして脚部ハードポイントの散弾ディスペンサー。


『敵勢力ウォーカーは二機。推定型式は〈ストラトス級〉または〈ヴルカヌス級〉。

森林地帯での迎撃戦になることを考慮し、

――レールライフルの使用優先度を下げ、散弾ディスペンサーおよび近距離火器の優先度を上げることを推奨します』


「了解。ミドルレンジからの牽制より、近距離での決着だな」


『パイロットの過去データから見ても、その方が勝率が高いと計算されています』


モリスはそう言うが、要するに「お前は接近戦の方が向いてる」と言っているのだ。

リアムは淡く笑い、指先で装備構成のアイコンをタップし、AIの提案通りのセットアップに確定させた。


「――こちら〈アルデバラン〉。システムチェック完了」


通信回線の向こうで、澄んだ女声が弾んだ。


『こちら〈フェンリル〉、カタリーナ。こっちもいつでも行けるわ、リアム』


僚機、カタリーナ・ヴォーゲル。

ドイツ系のパイロットで、前線用ウォーカー〈FNR-09 “フェンリル”〉の操縦者だ。

彼女の機体は近接戦闘特化。重装甲と高出力近接アクチュエータ、それに両腕に備えたブレード。

リアムが中距離からの牽制と防御を担当し、カタリーナが切り込んでとどめを刺す――それが二人のいつもの役割分担だった。


『目標地点まで残り二キロ。雪の具合、最悪。足取られないようにね』


「二本脚の得意分野だろ。戦車よりマシさ」


リアムは操縦桿を握り、そっと動かす。

機体は、ふわりと立ち上がるように雪の上に膝を伸ばし、静かに一歩踏み出した。


ぎし、とフレームが悲鳴を上げる感覚。

それをすぐさまモリスが吸収し、関節トルクを自動調整する。


『地表凍結。氷膜厚さ平均3.2センチ。歩行パターンを“冬季森林モード”に変更。滑りを補正します』


ガイダンスに従い、リアムは脚部の微妙な動きだけを感じ取りながら、雪に覆われた森の中へ踏み込んでいった。


     ◇


冬の森林は、音を呑み込む。


ウォーカーの一歩ごとに雪がわずかに沈み、木々の枝が震える。

だが、戦車のキャタピラが軋ませるような金属音は出ない。足の裏には高弾性素材が張り付けられ、歩行アルゴリズムは雪を潰しすぎないように調整されている。


木々の間を縫うように進みながら、リアムはHUDの片隅に表示される熱源情報に目をやった。


『敵ウォーカー推定位置、方位320、距離1.4キロ。

森林の陰に隠れているため、赤外線シグネチャは低強度です』


「こっちも同じ条件だ。静かに行こう」


カタリーナの声が、わずかに緊張を含んで返ってくる。


『敵も二機だって話だけど、型式は?』


「モリスの推定だと、〈ストラトス級〉と〈ヴルカヌス級〉。

 ……前者がスナイパー寄り、中距離狙撃。後者がミサイルと火力押しの重装型だろうな」


『ミサイル持ちがいるのね。厄介』


『対ミサイル防御システム作動準備完了。

マイクロ迎撃弾とレーザー攪乱装置は稼働良好。

パイロット、ミサイル接近時の推奨行動プランを提示しますか?』


「必要になったときにでいい。あんまり先回りされると、こっちが操縦してる気がしなくなる」


『了解。パイロットの主導感覚を優先します』


AIの言葉は穏やかだが、その裏には冷徹なアルゴリズムが動いている。

彼ら〈クロノ・アーキテクツ〉製の制御システムは、元々ゲームエンジンの構造をベースにしている。

膨大なシミュレーション結果と、パイロットごとに違う癖や好みを「プレイヤー設定」のようにプロファイルして反映する。


リアムが「自分で決めたい」と言えば、AIは一歩引く。

だが、引いたうえで、彼の癖を計算に入れた最適解を背後で静かに用意し続けるのだ。


森の向こうにほのかな光が揺れた。


次の瞬間、モリスの声が弾む。


『高熱源反応、方位317、高さプラス2度。敵ミサイル発射と推定』


HUDの左端に、山なりの軌道を描く赤い点が現れる。

その後を追うように、複数の小さな点――散弾ミサイルの子弾が拡散するシミュレーションが浮かび上がった。


「きたか――」


『回避行動案を三つ提示します』


右側に、青い経路線が三本表示される。

一つは全力後退。一つは左への回り込み。

そして最後の一本は、敵ミサイルの軌道ギリギリを前進しながら突破するという、攻撃的なルートだった。


「三番だ」


リアムは迷わず、一番危険なルートを指差す。

モリスは即座に応答した。


『了解。足元の氷膜、局所的に薄い箇所があります。転倒リスク2.8パーセント。補正します』


操縦桿が軽く震え、足裏から伝わる感覚が変わる。

自分で歩いているのか、AIに歩かされているのか、境界線は曖昧だ。

それでも最後に方向を選んだのは、自分だという実感がリアムをぎりぎりのところで人間に留めている。


空が一瞬だけ白く光った。

耳をつんざくような爆音。

雪煙が視界を覆い尽くし、木々の枝が吹き飛ばされる。


だが、〈アルデバラン〉の周囲には、多層シールドに阻まれた衝撃の波紋だけが淡く揺れただけだった。


『ミサイル弾頭、距離30メートルで迎撃成功。破片による装甲損傷、軽微』


「カタリーナ!」


『分かってる!』


通信の向こうで、彼女の機体が一気に加速する気配がした。

雪煙を逆手に取るように、〈フェンリル〉が木々の合間を縫って駆け抜けていく。

背中に搭載されたスラスターが短く咆哮し、重いフレームが一瞬宙に浮かぶ。


リアムは雪煙の中、レールライフルを構える。

モリスが自動的に視界を補正し、レーザー測距と磁気センサーを組み合わせた仮想的な照準線を描き出した。


『敵〈ヴルカヌス級〉推定機体、距離900。木々の遮蔽物あり。レール弾の貫通力をもってすれば撃破可能です』


「殺傷判定?」


『コックピット直撃で、パイロット即死と推定されます』


当たり前のことだ。

それでも、モリスは毎回のように「それが人を殺す行為だ」と知らせる。


「……了解。撃つ」


トリガーに指をかける。

その瞬間、途中までAIが自動で収束させていた照準が、わずかにブレる。


彼自身の躊躇いだ。


だが、雪煙の向こうでもう一本のミサイルが光った。


『二発目のミサイル発射を確認。狙いはおそらく――』


「フェンリルだな」


カタリーナが突撃ルートを変える暇はない。

ここで仕留めなければ、彼女が危ない。


リアムは、躊躇を押し殺して引き金を引いた。


青白い閃光が、レールライフルの銃口から伸びる。

極低温の空気を焼き、雪の粒を蒸発させながら、弾丸は一直線に飛ぶ。


木々を貫き、枝を砕き、装甲の継ぎ目を抉って――

そして、宙に浮いた一瞬だけ、〈ヴルカヌス級〉の胸部装甲にぽっかりと穴が開いた。


次の瞬間、その穴の中で淡いオレンジ色の光が一度だけ瞬き、そしてすべてが白い破片と黒煙に変わった。


『敵ウォーカー一機、撃破を確認。

 パイロット生命反応、消失』


モリスの声は、いつも通り平坦だ。

リアムは、喉の奥にひっかかった何かを飲み込むように息を吐いた。


「……了解」


引き金を引いたのは、自分だ。

AIが照準を合わせ、弾道を計算したとしても。

「撃て」と命じたのは、この指であり、この声だ。


殺したのは機械じゃない。


中に座っていた、誰かだ。


『リアム!ナイスショット!』


カタリーナの声が割り込んでくる。

彼女の〈フェンリル〉は、爆散する残骸の影をかすめるように駆け抜けていた。


『残り一機!スナイパータイプなら、早く位置を見つけないとやられる!』


『敵第二機の反応、方位345、高さマイナス1度。低地に位置している可能性。

 狙撃ポジションからの移動は確認されていません』


「動かないスナイパーなんて、罠だろ」


『その通りです。推奨行動――』


「こっちから動く」


リアムはレールライフルを背中にマウントし、双方の脚部アクチュエータを最大出力に切り替えた。

雪を蹴り上げるように走り出し、木々の間をすり抜ける。


森の陰から突き出た鋼鉄製のパイプが、雪に埋もれているのが見えた。

おそらく、旧式の採掘用パイクの残骸だ。

地面に突き立つ金属の柱が、いくつも黒い影になって林立している。


戦車なら進入を諦めるような障害物地帯。

しかし、ウォーカーは違う。

膝関節を深く曲げ、脚を捻りながら、一歩ずつ鉄柱を跨いでいく。


『この地形での二足歩行の優位性、再確認。記録します』


「後で講義資料にでもしてくれ」


半ば冗談で返しながらも、リアムはモニタの片隅でパイク残骸の構造を見ていた。

爆薬が残っていれば、誘爆の危険もある。

森林と金属構造物。ここでの大爆発は、地表を大きく抉ることになる。


環境への損害を最小化する――そう設定したばかりだ。


『リアム、左斜め前方!』


カタリーナの声と同時に、スコープの中に黒い影が飛び込んできた。

一瞬だけ見えたシルエット。細身のフレーム。長い砲身。


 〈ストラトス級〉だ。


敵はこちらの接近に気付いていなかったのか、反応が遅れた。

リアムは距離を測り、腰のシールドブレードを引き抜いた。


電磁パルスが走り、ブレードの縁に淡い光が灯る。

歩幅を少しだけ広げ、重心を前に。

モリスが、次の一歩で最短突入距離に入れるよう脚部を案内してくる。


『推奨攻撃パターンを提示――』


「自分でやる」


短く遮ると、AIは素直に黙った。

ただ、HUDの隅で彼の動作予測と敵機の予測軌道が、うっすらと青い線になって重なっている。


木々の陰から飛び出した瞬間、敵〈ストラトス級〉のセンサーがこちらを捉えた。

砲身がこちらに向けられ――


リアムは、その前に飛び込んだ。


雪の上を滑るように踏み込んで、シールドブレードを斜め下から振り上げる。

金属と金属がぶつかる鈍い音。火花。

敵の長砲身が真ん中からへし折られ、先端が雪の上に転がった。


反撃。


敵が腕部マシンガンを振るう。

装甲をかすめる衝撃。アラート音。


『左腕装甲、損傷率12パーセント。致命傷ではありません』


「分かってる!」


リアムは、機体を右へひねりながら、敵の懐に潜り込む。

至近距離。ここではもはやスナイパーライフルも意味をなさない。

〈ストラトス級〉は慣れない格闘戦にもつれ込まれ、ぎこちない動作で距離を取ろうとする。


その背後で、雪の中を裂くような轟音がした。


『カタリーナ機、側面から接近。敵機の退路を断ちます』


モリスの言葉通り、〈フェンリル〉が森の陰から飛び出してきた。

両腕のブレードが、淡い青色の光を放っている。


『リアム、押さえて!』


「任せろ!」


リアムは〈アルデバラン〉の片膝を落とし、シールドブレードを盾のように構えながら敵機の右足を狙って斬り下ろした。

関節部のアクチュエータが悲鳴を上げて爆ぜ、敵機がバランスを崩す。


そこに〈フェンリル〉が滑り込み、左腕のブレードを敵の背中に突き立てた。


金属が貫かれる音。

コックピットのある胸部までは、あと一歩。そこに達する前に――


『カタリーナ、そこまでだ』


リアムは思わず声を上げていた。


『え?』


「コックピットを外して、フレームだけ落とせるか?」


敵機は片足を失い、膝をつきながらも、必死に腕を振るって抵抗を試みている。

だがその動きも、どこか絶望的な必死さを帯びていた。


モニタの一角に、敵機の胸部構造の推定図が表示される。

AIが、弱点と装甲の厚さを計算している。

胸部中央のコクピットモジュールを外して破壊すれば、確実にパイロットを殺せる。

逆に、背中側のパワーユニットのみを破壊すれば、機体は沈黙するが、パイロットは生き残る可能性が高い。


『行動優先順位第三:環境損傷の最小化。第四:敵ウォーカーの無力化。

 パイロット、敵パイロットの生存を優先するかどうかは、優先順位に含まれていません』


「今、追加したらどうなる?」


『任務達成率、さらにマイナス12パーセント。自機および僚機の損耗リスク、プラス4.5パーセント』


数字が目の前で踊る。

その数字の裏に、見知らぬ誰かの命と、カタリーナの生存率が重なっている。


カタリーナの息が、通信越しに荒くなった。


『リアム、どうするの。早く決めて』


敵機の左腕がこちらに向けて、まだ残っていた短砲身を構えようとしている。

この距離なら、散弾でも装甲を抜いてくるだろう。


リアムは、歯を食いしばった。


「――優先順位を変更。第五優先:敵パイロットの生存を可能な限り確保」


『了解。シミュレーションを再計算します』


コンマ数秒の沈黙。

その間にも、敵機の砲口がこちらを向く。

リアムは〈アルデバラン〉を無理やり前に出し、身を挺してカタリーナと敵機の間に割り込んだ。


金属音。衝撃。アラーム。


『胸部装甲に直撃。貫通はしていませんが、次弾を受ければ危険です』


「次は撃たせない!」


リアムは叫び、シールドブレードを全力で振り抜いた。

狙うのは、敵機の背部パワーユニット。

コックピットから少しだけ外れた位置。


AIが、軌道を微妙に修正する。


『その角度なら、パワーユニットのみを破壊できます』


刃が金属を裂き、内部で火花と油煙が爆ぜる。

敵機の関節が一斉に弛緩し、巨大な体がゆっくりと雪の上に倒れ込んだ。


沈黙。


耳鳴りのような静寂の中で、モリスが冷静に告げる。


『敵機、出力喪失。コックピットモジュールの生命反応、継続を確認。

 自律脱出装置が作動するまで、およそ二分』


『はあ……やるじゃない、リアム』


カタリーナの声が、今度は安堵を含んで響く。


『撃ち抜いた方が早かったのに。危ない橋、渡るんだから』


「……たまには、ね」


敵機の胸部ハッチが雪煙の中でわずかに開き始めているのがモニタ越しに見えた。

そこから出てくる人間の衣服も、顔も、名前も、リアムには分からないだろう。


ただ一つだけ分かっているのは――


もし自分が引き金を引いていれば、その誰かは今ここにいなかったということだ。


『パイロット。行動優先順位の変更によるデータを記録しました。

 次回以降、同様の状況での提案内容に反映しますか?』


モリスの問いかけはどこまでも事務的だ。

しかしリアムには、それが「次も同じようにするか?」と尋ねられているように聞こえた。


彼は少しだけ考え、ゆっくりと答える。


「……反映は、しなくていい」


いつも同じ選択をできるとは限らない。

いつも余裕があるとは限らない。

そのとき、その瞬間に、自分で考え自分で決めるしかないのだ。


モリスは短く応じた。


『了解。今回の行動は単発事例として記録します』


AIは、彼の善意も躊躇も、ただ「データ」として蓄積する。

そしていつか、それをもとに、より効率の良い殺し方を提示するのかもしれない。


それでも、最後の一線だけは、まだ人間の側に残されていた。


引き金にかかる指先の重さ。

人を殺すという決断の瞬間。


それを、AIは奪わない。奪えない。

奪わせてはいけない、とリアムは思う。


雪の降りしきる冬の森の中で、二機のウォーカーが静かに立ち尽くしていた。

冷たい風が焼けた金属をなでるように吹き抜ける。


企業のロゴの入った鋼鉄の巨人。

その胸の奥で、AIが淡々とログを更新し続ける音と、パイロットの鼓動が、微かに共鳴していた。


今日もまた、人が人を殺す物語が、一つ、雪に埋もれていく。

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