歌う鉱脈のフロントライン


西暦2137年。


南極に口を開けた「偏相ゲート」から異世界の物理常数が流れ込み、人類は二つの法を跨いで技術を育てた。

地球の電磁気学にもう一つの式が付け加わり、光より速い跳躍航路は「別法側」の物質で縫い合わされた。

宇宙は遠くなくなり、未踏の惑星は「工期」と「予算」で語られるようになった。


開拓を請け負うのは国家ではなく、評価損益で意思決定する会社だ。

フロンティアの一角で、私は会社の社員として、装甲歩行機に乗って仕事をする。

肩書は開拓戦技士、等級は3で契約条項の肝は、負傷の度合いと成功報酬の連動だ。


着陸艇の窓越しに、斑に輝く大地が広がった。新規開拓案件「アシャールb」赤色矮星の重い光に照らされ、森は銅緑色を帯び、谷間には鉄粉を含んだ霧が立つ。

磁性樹液を運ぶ蔓が岩肌に張りつき、風が吹くたび、微細な金属粉が空中で鳴る。


それを私たちは「歌う土」と呼んだ。


「朝霧レイ、機体チェック…完了、テセラ-07、起動良好」


コクピットに沈む。

周囲の音は減衰し、神経接続のフィードバックが脊髄の奥で柔らかく噛む。

テセラ-07、私の相棒だ。二脚で歩く全高七メートル、背に過給スラスターを積んだ可変装甲機。右腕に短尺レール、左腕には超振動刃。両肩のラックには散布防壁ドローンと微小掘削ユニット。

装備の選定は前夜に済んでいる。標的は三つ。着陸場の周辺警戒、採掘リグの護衛、そして——未知の「塔」の調査。


イントラメールがひとつ視界の端に浮かぶ。送信者は現場統括の金子。


件名:現場指針1.2

本文:塔状構造物(座標Q-17)は作業エリア拡張の障害に該当。安全基準に基づき撤去可。異物収集班は後続便。先行して形状と材質の記録を収集し、爆破点のマーキングを実施のこと。進捗報告は3時間ごとで契約条項34b適用。


短い文面だが、会社の言葉はいつも剣呑だ。「撤去可」は「撤去せよ」と同義で、「適用」は「責任はあなたにある」の婉曲だ。


隊の通信チャンネルには、整備長の苦笑いと同期の神楽坂の軽口が流れる。


「レイ、やること多いな。塔、歌うんだってよ。耳が持ってかれるやつ」

「歌は嫌いじゃない。仕事に向いてれば、なお良し」


着陸後、展開されたスロープを降り、地へテセラを歩ませる。小石が足裏の振動センサーを震わせ、磁性粉が膝の可動部に絡みつく。歩行補正が自動で少し上方に働き、沈み込みを抑える。

遠くで、低く長い音が鳴った。

風ではない。

山腹に立つ黒い塔の方角から、地面を介して伝わってくる。


歌う山脈。


初日の地質調査の報告に書かれていた。

地殻の磁脈が共振し、ときおり地表構造が音を発する。

だが目視で確認できる塔は、自然の産物には見えない。

高さは六十メートル、表面は黒い石、ところどころに異世界側の金属に似た光沢が走る。人造物——もしくは、人ならざるものの仕事。


途中、最初の工作は順調だった。

採掘リグは予定通り稼働し、磁性樹液の採取も始まった。

危険は生物よりも、むしろ競合他社の手だ。

「クラウン・アセット」、彼らは向こうの稜線に別のキャンプを張っている。

契約境界線は薄い。上空に無人機の影が一つ、二つ、互いに撃ち落とさないギリギリの距離と挨拶で済ませる。


塔に近づく。

風が止まり、音がはっきりする。


私は機体のセンサーにローバンドのゲート解析モードを追加し、塔の発する波形を視界に重ねた。

二つの世界の接点で覚えた技術。

波形はただの正弦ではない。多段で呼吸をするように膨らみ、収縮する。


正直に言うと、美しかった。


「テセラ-07、現地到達。写真、材質データ送信」


私は指を弾いてドローンを放ち、塔の表面に網目状に散った。

表層からサンプルを削り取り、光学で走査する。結果の一部は見慣れた異物合金、だが多くは未分類。

表面には微細な文字列にも見える模様が刻まれている。

言語か、気候で刻まれた裂紋か判断しかねる。


イントラメールがまた一つ。


件名:優先順位変更

本文:塔の撤去を最優先に。採掘リグの増設が決定。安全確保のため、周囲1kmを無害化。生物は全て脅威扱い。クラウン側の介入があれば、法的範囲内で抑止せよ。



喉の奥が少し冷えた。

「無害化」は、この環境の歌を止めることを意味する。

私はテセラの左手で、塔の基部に白いマーキングを落とした。

計算通りの爆破点。きれいに倒せる角度。

倒れる先は——歌う谷。


そのときだった。

塔の音階がわずかに変わり、脊髄の奥がざわついた。

機体越しでなく、自分の体に直接触れてくる感じ。

次の瞬間、地表から起き上がる影が見えた。


低い、しかし素早い。

磁性粉が渦を巻き、その中心から、鉄の鱗を持つ四つ足が顔を出す。

地元の生物——磁歌狼

歯は短く、顎は細い。攻撃性は低いと報告にあった。


しかし彼らは、塔と私の間に立ちはだかった。


「レイ、気をつけろ」

神楽坂の声が跳ねる。

「群れだ。十、十五、いやもっと多いかも」


流れるように右腕のレールが起き上がり、サイトが自動で最短の経路を描く。

引き金は軽く、衝撃は短い。やれる。

けれど、私は撃たなかった。

彼らが見ているのは、こちらではなく背後の塔だ。

耳ではなく、全身で音を聴いている。

保護本能みたいなものだろうか。


足元で磁性粉が揺れ、塔の音階がもう一度変わった。

今度は、パターンとして認識できた。

異世界由来の同期信号の断片、私は解析フィルターを逆に回し、ノイズに見える部分を拾い上げる。

そこには、規則があった。脈、節、連なり。言葉と言ってしまえば簡単だが、言葉以前の触れ合いに近い何か。


「……撤去作業、一時停止。塔の発する波形に構造性あり。送信する」


私は報告を投げ、塔に背を向けないまま後退した。その瞬間、上空から破裂音。

黒い矢が地面に刺さり、磁歌狼が一体、跳ね上がって倒れた。

矢の尾に小さなクラウンのロゴ。

競合だ。彼らもこの塔の価値に気づいているし、私たちの作業を止めたいのだ。


「朝霧、抑止行動許可」

金子の声が硬い。

「目に見える脅威に対応しろ」


了解。右脚のスラスターに過給をかけ、砂の上に滑り込む。

レールガンが彼らの無人機に針を通し、空中で二つ、三つと火花が散る。磁歌狼が驚き、散らばる。

私は彼らを踏まないように体を捻り、塔との距離を保ちながら、矢を放った方向へ射線を伸ばした。岩陰から現れたのは、二機の二脚機。クラウンの現地モデル。肩の上で回る誘導弾ラックが目に入る。


「会いたかったよ、ネメシスの青い子」

オープンチャンネルで音声が流れる。

女の声、軽いが殺気はきちんとある。

「その塔、うちにも必要なんだ。譲ってくれない?」

「譲ると会社のボーナスが消える。ごめんね」


冗談を言う余裕はあった。

私たちは山の斜面で踊るように動き、射線は互いの足元に集中した。装甲を打ち抜くには火力が足りない。

狙うべきは可動部、バランスを崩させ、転ばせる。テセラの腰をひねり、左腕の振動刃で相手の膝のアクチュエータを撫でる。

火花と砂埃、相手は踏ん張り、肩の誘導弾を吐いた。

私は散布ドローンをばら撒き、砂の中に即席の磁場壁を立てる。

誘導が狂い弾は横へと外れ、塔ではなく空へ消えた。


戦いながら、塔の音はずっと脳の底で鳴っていた。

これは呼びかけだと思う。こちらへ、こちらへ、と。

機体のセンサーが裏取りする。

波形の節が私の心拍と同期している。

まるで私が存在することを知っているみたいに。


「レイ、塔の基部から動き! ……何だ、これ」


神楽坂の叫びに視線を投げると、塔の足元、およそ二メートルほどのところで岩が浮いた。

浮いたとしか言えない。

重力がそこだけ斜めに傾いている。

異世界側の重力式の応用、偏相ゲートの小型版。地表に近い空間の密度が変わり、砂がふわふわと泳ぐ。


クラウンの機体が、その重力の斜面に飲まれて姿勢を崩した。

チャンスだ、私は背のパージレールから補助バッテリーを一本切り離し、盾にして前に出る。

肩のドローンに、塔の波形のうち、相手の誘導系が嫌う成分だけを絞って送らせる。

機械の敵には機械の歌だ。

誘導がさらに狂い、相手は舌打ちを漏らす。


「ずいぶん器用だね。うちにもその技術をおくれよ」

「別世界の歌、聞かないの?」


それは素で出た言葉だった。

バカみたいだ、と自分でも思う。

だが次の瞬間、塔の歌が高くなり私の機体のHUDに簡素な図形が浮かんだ。

円、線、点。古代の洞窟画のような、しかし明らかに意図のある印。

それは——爆破すると崩れる鉱脈の線、残すべき柱の点。

これは倒し方ではなく、倒さない方法の提案だ。


「金子さん。塔は——構造を守れば、採掘は両立できる。送信した図形、解析を」


「朝霧、ここは現場だ。詩を書く時間じゃない」


返答は冷たいが、同時に、データを読む打鍵の音が通信の裏に聞こえる。

金子はプロだ。良いものには良い価値を見出す。


クラウンの機体が立ち直り、私に向かって突っ込む。

私は彼女の足元に塔の示した「線」を思い描き、そこへ誘導するように走った。

重力の斜面が滑り台のように機体を運び、私は相手の真横をすり抜ける。

左腕の刃が肩と腕の間を浅く切り、関節が鳴いた。

致命傷ではない。殺さない。私は塔が示した点にドローンを留め、仮設の支柱を立てはじめる。

採掘リグの増設計画を頭の中で組み替え、塔の「意図」に沿って穴の位置を変える。


戦闘は長引いた。

クラウンは援軍を呼び、私たちもバックアップを飛ばした。

砂は熱を帯び、空気は金属音を飲み込む。気づけば神楽坂が足を撃たれ、テセラの外装にも擦過傷が増えた。

彼の呻きが通信に混じる。


「悪い、レイ。俺は…今日はここまでだ」

「生きてれば充分。帰り道はつくるさ」


私は塔に背中を預けるように立ち、肩越しにその黒い表面を見上げた。

歌は高いが、恐ろしいほど静かだ。

私は小声で呟いた。


「あなたは、ここを守りたいんだね。私たちはここで採りたい。どちらも叶える方法はある?」


図形がまた浮かぶ。

今度は、地表を横断する細い線が増えた。

そこは微弱な重力の傾斜が走る場所。

風の道、砂の川。そこを回避してリグを動かせば、歌は途切れない。

私は頷き、会社に送る報告書の文面を頭の中で作った。

コスト差はわずか、工期は五日延びる。

だが資産価値は——増える。

歌う塔の観光資源、保護区のブランド価値。会社に届く言葉に変えるのだ。


「金子さん。提案。撤去ではなく、保護区化と周辺の再設計。収益見込みはシミュレーション添付。クラウンに先んじて尾ひれつけてプレスに流せば、株も——」

「朝霧」

金子の声が長く息を吐いた。

「あんた、ろくでもない社員だよ。……良い意味でな。やれ、責任は俺が引き取る」


通信を切り替え、クラウンの女に繋ぐ。


「交渉しよう。塔は倒さない。あんたたちは南側の磁性樹液のプールを優先で取る。うちは北側の鉱脈をいく。相互妨害なしでどうだ?」

「その間に、おまえらはプレスを回して会社の株を上げる。ずるいな」


笑いが返る。

だが、彼女も現場のプロだ。

馬鹿げた消耗戦に意味がないことは知っている。


「いいよ。今日はね、明日はまた別の日程表が来るんだろ?」

「だろうね」


連絡先を交換し、互いに引いた。

砂の上に、機体の足跡だけが乱れて残る。

磁歌狼はいつの間にか塔の根元、重力の影の中に集まり、体を寄せ合っている。

彼らは目を閉じ、歌を聴いている。

私はテセラの電源を落とし、ヘルメットを外した。

耳で直接音を聞いた。

高く、低く、ささやくように意味のあるものと、意味を持たないものの境界がそこにはない。


夜、キャンプの仮設カンティーンで、私は神楽坂と沈黙を分け合い、温い栄養スープをすすった。

彼の足は包帯で太くなり、彼は苦笑した。


「なあ、レイ。俺たち、会社員だよな? 英雄じゃないよな」

「英雄はボーナスに換算できない。私たちがもらえるのは等級アップと、有給の二日分」


二人で笑った。


イントラメールがまた届く。

件名は「対外発信案」本文には、塔の保護区化を「企業市民としての責任」と謳うプレスリリース草案。

金子の名が署名に入っている。

現場の泥を知らない広報の文だが、方向は悪くない。

クラウンも同じような文を出すだろう。

競争は続くが、今日の歌は続いた。


翌朝、塔の歌に合わせて、私たちは掘る場所を変えた。

ドローンは細い谷を避けるように飛び、リグはゆっくりと遠回りする。

効率は少し落ちるだが、磁歌狼は姿を見せ、音に合わせて体毛を逆立てる。

彼らはここにいて、私たちもここに居座る。二つの世界の式が、この一つの大地の上で絡まり合う。


昼休憩の少し前、私はテセラの座席にもたれ目を閉じた。

思い出すのはゲートの薄青い光、異世界の空気、会社の固い言葉、そして塔の柔らかい歌。

私は社員であり、開拓者であり、機体乗りである。

契約条項の数字で区切られた日々を生きる。

だがたまに、こうして数字にならないものに触れる。


通信が入る。

金子の声はいつもより少し柔らかい。


「朝霧は等級二へ昇格検討、あと今度の帰休で、南極のゲート見学券をやる」

「観光で行くところじゃないでしょう」

「観光でしか、生きないところでもある」


私は笑った。

いいと思う。

契約の世界の中で、私は少しずつ自分の式を増やしていく。

二つの世界の歌を機体の骨に染み込ませながら。


夕刻、塔がいつもより少し高い音を鳴らした。

私は手袋を外し、黒い石に手のひらを当てた。

温かい、脈動する、言葉がまだない。

けれど確かに意味がある。

私はその意味を明日の仕事に変える。

会社に提出する書類に現場の地図に、機体の装備リストに。


夜風が吹き、磁性粉が星のように舞った。


私はテセラの膝に座り、空を見上げた。

跳躍航路の灯りは遠く、地球はもっと遠い。


だが私は、ここにいる。



歌う鉱脈のフロントラインに。



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