ローバ姉様。
あのう、もう積極的治療はされないと言うことなんですよね?
ならば、緩和ケアのある病院との関係を持たれてはいかがでしょうか。
ただし、緩和ケアへの入院は条件がありまして。
在宅でのお世話が限界の時にはいいと思います。
緩和ケア病棟は自由度が高いですし、苦痛の緩和を中心に考えてくれますよ。
例えば、痛みなどが強くなったときは、やはり麻薬を使う方がご本人にとっては楽だと思いますが
これは、麻薬取り扱い資格の医師しか処方できませんし、老健などでは処方できません。
ケアマネ時代に在宅で最後まで暮らされた方もおられましたが、往診医の先生も良い方で。
あまり、抱え込まないでくださいませ。
作者からの返信
7月の末に救急で入院するまでは、抗がん剤の薬を飲んでいました。
年ですので強いのはダメで、弱いものだったようです。
足の付け根の所に、リンパに転移したと言われてから、2年ほどたっていました。
そろそろ限界というところまで来ていたんだと思います。
救急で運ばれた病院からかかりつけ医の病院へ転院しましたけど、次の行く場所を探すように言われました。
最期は緩和ケアとなるでしょう、とも言われました。
救急で運ばれた病院ではCTとったりして、頭の詳しい検査が行われました。
本人の一番の心配事だった認知症は、脳外科の先生がノーと太鼓判を押してくれたので、私達はとても喜びました。
でもかかりつけの病院では夫を認知症と決めつけて(片耳が聞こえないので聞き取れないこともあるんです)、老人ホームを勧めます。
あまりの決めつけに娘は怒って、何としてもお父さんを連れ帰りたいと頑張りました。
意地でも家で看取りたい、とみんなが思ったのです。
(悲しい気持ちを逆なでするような病院の態度が、我慢ならなかった)
そして家での介護と看護が始まりました。
私の頑張りがどんなだったか、看護師さん達にどれ程よくしてくれたか、を書きたかったんですが文字数が限定されてて、詳しくは書けませんでした。
明日、残りの3話を更新します。
私の気持ちが伝わってもらえるといいな、と願っていますが・・・
ローバちゃん。
やはりご主人、家に帰りたいと思われますよね。
ローバちゃん、その想いを汲んで在宅で介護しようと決心されたのですね。
凄いです⤴⤴
その決意が尊いです、が、なかなか家での介護は大変ですよね。
作者からの返信
自宅で看取る、それもこんなヨレヨレで自分のことも覚束ないっていう人が・・って、そう考えると迷いました。
救急で運ばれたR病院は、家のそばのバス停から病院までバスで1本、殆ど歩かなくてすみましたから、毎日お見舞いに行けました。
でもかかりつけの病院へは、なかなか行けません。
もし老健や老人ホームなどに決まったら、もっともっと様子を見に行ってやれません。
長くはないと分かっていたので、それならば私がお手上げになるまで頑張ってやろう、と家に連れ帰ったのです。
お正月まではとても無理だと言われたけれど、まさか10月で逝くなんて・・
自宅だったから?‥私の看護だったから?・・と悔やまれるところもあるけど、子供達はそれでも正解だったと言ってくれます。
皆がそれぞれ出来ることをやったのだから、と納得できて悔いなく見送れました。
ぼくは、結局、病院にいた母を家に帰さなかったです。
兄姉に反対されたんです。
このまま、母が帰ってきても、ええことなんて、なにもないわ、と。
最期の最期になってから、母を連れ戻したいという、ぼくの願いを兄は、認めてくれました。
でも、それは、母と別れる最期になったのです。
作者からの返信
病院で最期を迎えるか、それとも自宅に戻って死ぬのを待つか。
難しい選択ですよね。
うちの場合はお世話するのがヨレヨレの老婆ですからね、考えるまでもなく立派な介護や看護は出来そうにありません。
でもね、みんながそれでもいい、家に連れ帰ってやろうってなったんです。
余命がいくばくもないって分かっていましたからね。
ならば家で何とかしようってね。
病院に居たらもう少し生きてられたでしょう。でも、それだって1~2か月の差でしかなかったと思います。
家族みんなで納得ずくの選択・看取りとなりました。