俊彦の思い出 - 5
午後の授業の間、昼休みのことが頭にあった。
どうして、兄さんと仲が悪くなったのか。
きっかけは何だったんだろう。
確か、あれは、兄さんが中学一年生の時だ。
僕はあの日、テストで満点を取ったことを、お父さんとお母さんに言おうとしてたんだ。褒めてもらいたかったんだ。
だけど、その日は兄さんが陸上の大会で一位を取って、賞状を貰って来た。夕飯の時には、その話題で持ちきりだった。
僕のテストの話をする暇なんて無かった。
思えば、そんなことは何度もあった。兄さんが部活でいい成績を残して、しばらくはその話ばかり。
僕だって、勉強を頑張ってた。だけど、兄さんほど褒められることは無かった。話したら、その一瞬だけ褒めてもらって、それでおしまい。
僕は運動が苦手だけど、勉強は得意だった。
兄さんは運動が得意だったけど、勉強はからっきし。
僕と兄さんは正反対だ。でも僕たちの違いなんて、運動が得意か、勉強が得意かしかない。
なのに、なんでこんなに違うのか。どうして兄さんばっかり。
それが嫌だったんだ。
あの日、僕はその不満を兄さんにぶつけたんだ。それからいまの今まで、喧嘩みたいな状態が続いている。
そこまで考えて、僕はほっとした。こんな子供っぽいこと、言わないで正解だった。咲良ちゃんにこんなこと知られてしまったら、恥ずかしいなんてものじゃない。
ふと、咲良ちゃんと冬美さんのことが思い浮かんだ。
正反対なのに、仲のいい姉妹。
僕には考えられないことだけど、いいなあと思う。
見えない繋がりをお互いに感じているのが、咲良ちゃんと冬美さんを見ていると伝わってくる。
僕は、二人の関係が羨ましかった。
*****
放課後になって、クラスメートは続々と教室を出て行く。
僕はランドセルを背負って、咲良ちゃんの席に向かった。
「あ、俊彦くん。また明日ね」
咲良ちゃんが席に座ったまま、笑顔を向けてくれた。
そんな咲良ちゃんに、僕は訊いた。
「突然なんだけど、お姉さんと喧嘩することってある?」
自分から言っておいて、恥ずかしくなった。こんなことを急に訊かれたら、咲良ちゃんも困ってしまわないか。
ただ僕の予想に反して、咲良ちゃんはすんなりと答えてくれた。
「最近はそんなにだけど、ちっちゃい頃とかは喧嘩してたよ。おもちゃの取り合いとかしてさ」
意外だった。あれだけお姉さんを慕っている咲良ちゃんが、姉妹喧嘩をしているところなんて想像できなかった。そして、冬美さんが喧嘩してる様子もイメージできない。
「そういう時って、どっちから仲直りするの?」
「どっちからかあ‥‥‥そうだなあ‥‥‥」
咲良ちゃんは唇に人差し指を当てて、視線を天井に向ける。その状態で、う~んと唸った。
ちょっとの間そうした後、咲良ちゃんは悩まし気な声で言った。
「考えてみたら、どっちから、とかは無いのかも。謝ったりとかはしないで、いつの間にか仲直りしてたなあ」
「いつの間にかって、そんなことある?」
「喧嘩してても、時間が空いたらまた一緒に遊び始めたりして、そしたら喧嘩してたことは忘れちゃってるんだよね」
咲良ちゃんはどこか恥ずかしそうに笑った。
かと思えば、まるで僕の心を見透かすような、大人びた笑顔を浮かべた。
「家族の仲直りは、何となくでもいいんだよ」
僕は呆気に取られてしまった。そのせいか、咄嗟には言葉が出てこなかった。
そんな時、教室の入り口から声が聞こえてきた。「咲良」と呼ぶ声に見てみると、そこには冬美さんが立っていた。
「お姉ちゃん。今行く」
咲良ちゃんはランドセルを背負うと、駆け足で冬美さんの方へと向かった。
二人が一緒に帰ろうとするのを見て、僕はようやく口を開いた。
「ありがとう咲良ちゃん。また明日」
僕の呼びかけに、咲良ちゃんは笑顔で手を振ってくれた。
*****
お母さんに聞いてみたら、週末に陸上の大会があるらしかった。兄さんは部のエースとしてそれに出るという。
兄さんの部屋の前で、僕は深呼吸した。不思議な緊張を落ち着けて、兄さんの部屋に入る。
兄さんは机に向かっていた。
僕が入ると、椅子を回転させて、体を僕に向けた。兄さんの手には、陸上関係のものだろうか、本が握られていた。読みさしの本には、桜のしおりが挟まっているのが見えた。
兄さんは僕を見ても特に何も言わない。ただ、その目にはちょっとだけ驚きが浮かんでいる気がする。
「週末の大会、見に行っていい?」
我ながら子供のような、素直じゃない声を出してしまった。きっと今の僕は仏頂面をしているんだろう。
兄さんもまた仏頂面のまま、そして机に向き直りながら答える。
「別にいいけど。それだけ?」
「それだけ」
そう言って僕は部屋を出た。
何だかどっと疲れた。
だけど、すっきりした心地だった。
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