俊彦の思い出 - 3

 ほどなくして、保健室の先生といっしょに天夏ちゃんは戻ってきた。

 それから天夏ちゃんは、先生の指示を受けて、咲良ちゃんを保健室に連れて行った。

 先生は少しの間教室に残って、咲良ちゃんが吐き出してしまったものを綺麗にしていた。それが終わると、僕に対して言った。


「さっきの子の荷物、保健室まで持ってきてくれる?」


 柔らかく言うと、先生は保健室に向かった。

 それまで固まっていた僕は、ようやく動き出すことが出来た。さっきの一連の流れが行われている前では、何だか空気が緊迫していて、ろくな手伝いが出来なかった。

 教室に一人残された僕は、咲良ちゃんのランドセルに机の中のものをしまっていく。

 机から取り出した教科書は、新品みたいに綺麗だった。きっと丁寧に使っているんだろう。男子の中で言えば僕も教科書を丁寧に使っているほうだったけど、咲良ちゃんのそれはまるで比べものにならない。

 教科書一式をしまうと、筆入れを取り出した。こちらは対照的に使い古されているようだった。とはいえ汚れているというわけでは無く、長いこと愛着を持って使い込まれている印象が感じられた。

 ランドセルに入れるものはこれでOK。

 と、今日の朝、咲良ちゃんが上着を着て登校してきたことを思い出した。

 僕は廊下にあるコート掛けに向かう。

 教室を出ると、そこには咲良ちゃんのお姉さん――たしか冬美さんだ――が居た。

 冬美さんは僕の顔を見ると、何かを察して、途端に焦ったような顔を浮かべた。


「咲良のこと見に来たんだけど、何かあったの」


 朝は無表情で冷静な人だと感じたけど、今は動揺が滲んでいる。妹の咲良ちゃんに対する心配が、しっかりと伝わってきた。

 僕はついさっき起きたことを話した。咲良ちゃんが吐いてしまったこと、保健室に行ったこと、これから荷物を運ぶところだということ。

 僕が伝え終えると、冬美さんは口を開いた。


「わたしにも手伝わせて」


 そう言って、冬美さんは咲良ちゃんの上着を手に取った。朝は気付かなかったけど、上着も筆入れと同様に使い込まれた感のあるものだった。

 その後、僕は咲良ちゃんのランドセルを持ち、冬美さんは上着などの防寒具と手提げバッグを持った。

 僕と冬美さんは会話することなく、保健室へと向かった。


*****


 保健室に入ると、特有の消毒液っぽい匂いが漂ってきた。

 そこでは咲良ちゃん、天夏ちゃん、保健室の先生の三人が居た。

 ベッドの隅に腰掛けている咲良ちゃん、そんな咲良ちゃんの顔を覗き込むようにしゃがんでいる先生、その様子を見守る天夏ちゃんといった構図になっていた。

 そこに僕たちが現れると、先生と天夏ちゃんがこちらを向いた。


「あ、この子の荷物だね。そのテーブルの上に置いてくれる?」


 先生は、置いてあった丸テーブルを指差した。僕と冬美さんは持って来た荷物をそこに置いた。


「ねえ、俊彦って体育着持ってる?咲良ちゃんの服汚れちゃったから、着替え必要なんだけど、わたしは今日学校に無くてさ」

「ごめん、僕も持ってないよ」


 今日は体育の授業は無かったから持ってきてない。

 すると、僕の隣で冬美さんが小さく手を挙げた。


「わたし、あります。ちょっと取ってきます」


 そう言って、駆け足で保健室を出ていった。


「今の、咲良ちゃんのお姉さん?」


 天夏ちゃんが誰にともなく問いかけた。答える余裕すらない様子の咲良ちゃんに代わって、僕は頷いた。


「何か‥‥‥落ち着いた人だね」


 大分言葉を選んでから、天夏ちゃんは口にした。僕が今朝思ったことと同じことを、今の天夏ちゃんは思っているんだろう。


*****


 それから、あまり時間も立たないうちに、冬美さんが体育着を手にして戻ってきた。

 咲良ちゃんが着替えるため、僕は保健室を退散し、教室に戻ることとなった。

 昼休みはそろそろ終わりそうな時間だったけど、教室にはまだ誰も戻ってきていなかった。他のクラスや、体育館に居る生徒は、休み時間ギリギリまで遊んでいるつもりなんだろう。

 僕は自分の席に着くと、ため息を吐いた。

 さっきまでの慌ただしさが、嘘のように思える。

 怒涛のように流れていた時間が、今ではゆっくりだ。

 無意識のうちに、僕はさっきの出来事を頭の中で思い返していた。

 そして、少しだけ恥ずかしいような気持ちになる。


 まるで役に立つことが出来なかった。

 天夏ちゃんみたいに行動できなかった。咲良ちゃんの体調に気を配っていたつもりだったのに、大事な所で何も出来なければ意味が無い。

 それに、着替えが必要と言われたときも、僕は役に立たなかった。これに関しては今日の時間割の都合もあるし、僕が悪いわけじゃないのは分かってる。とはいえ、半ば置物と化していた自分を思い返すと、嫌な気分になった。

 せいぜい荷物持ちくらいしか出来なかった。

 そんな嫌な引っ掛かりを覚えているうちに、昼休みは終わりを迎えた。徐々にクラスメートも戻ってきて、授業の準備が進められていく。

 五時間目が始まる前に、天夏ちゃんから咲良ちゃんが早退することを教えられた。

 僕はせめて、咲良ちゃんの体調が良くなるように祈った。

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