天夏の思い出 - 4

 咲良さくらちゃんは基本的に、誰と居ても優しい。人を揶揄うようなことはもちろん、気配りの足りないことは言わない。気遣い上手だ。

 そして表情豊かな子だった。話が盛り上がってくると、困ったような顔を見せたり、満面の笑みを見せたりする。思っていることがすぐに顔に出るタイプなんだろう。

 ただ、怒ることは滅多になかった。怒りを声に出すことや、顔に出すことさえもなかった。

 そんな咲良ちゃんが怒ったことがある。その相手は、春馬はるまだった。


*****


 梅雨が明けて、夏休みが近くなってきたころ。

 五時間目に入った総合の時間で、先生から宿題が出された。


「みなさんは、来年十歳になります。十歳というのは、人生の節目になります。これに合わせて、毎年この学校では四年生になると二分の一成人式を行います。それに向けた活動として、皆さんには自分について調べて欲しいと思います」


 先生はそこで言葉を区切った。

 すると、教室のあちこちから、ひそひそと話し声が聞こえてくる。それに吊られるように、わたしも咲良ちゃんに訊いた


「自分について調べるってどういうことなんだろ」


 当然、咲良ちゃんが分かるはずもなく、困ったように首を振った。


「みなさん、静かに」


先生から注意が飛ぶ。


「具体的に皆さんに調べてもらうことは、自分の名前です。自分の名前にどんな意味があるのか、どんな考えがあってつけられたのかを、家族の人に聞いて調べてください」


 言いながら、先生はプリントを配っていく。プリントを受け取った一番前の人は、自分の分を取って、残りを後ろの人に渡す。次の人も同じように、一枚とって、後ろに渡す。その次の人も、そのまた次の人も。

 わたしの席は一番後ろだったから、渡ってきたのは一枚だけ。隣の咲良ちゃんも同じだ。

 プリントは作文用紙だった。右側の余白には、「自分の名前を調べよう」と書いてある。

また、用紙の真ん中から五行進んだところの罫線が濃くなっていた。

 先生は全員にプリントが渡ったのを見ると、また話し始める。


「自分たちで名前を調べてみて、調べたことをこのプリントに書いて提出してください。これを夏休みの宿題にします」


 教室中から「えー」と声が上がる。わたしの声も混じっていた。

 その声がまるで聞こえていないかのように、先生は近くにいた生徒の机からプリントを借りて、続ける。


「必ず、ここまで書いてくださいね」


 先生はプリントの、濃くなっている罫線を指差していた。

 また「えー」という声が上がる。さっきよりも大きかった。


*****


 わたしたちの不満は相手にされないまま、授業終わりのチャイムが鳴った。

 授業が終わった後、わたしはプリントを睨みつけていた。


「自分の名前を調べるって、楽しそうだよね」


 わたしとは違って、咲良ちゃんはワクワクしているようだ。


「でも、宿題って聞くとやる気なくしちゃうよ」


 わたしはため息と一緒に言った。


「名前の意味なんてあんまり考えたことなかったから、楽しいと思うけどなあ」


 咲良ちゃんの好奇心が羨ましく感じる。わたしにも少し分けてもらいたい。

 そんな会話をしていると、前の方から男子が近づいてきた。春馬だ。


「おとこ女コンビがなんか喋ってる」


 最近、春馬はわたしたちを「おとこ女コンビ」というあだ名で呼んでくる。そして毎回揶揄ってくるのだ。


「ちょっと、いい加減にその呼び方やめてよ」


 わたしはおとこ女と呼ばれることには慣れてる(だからといって、その呼び方を許しているわけではない)。

 ただ、咲良ちゃんは違う。咲良ちゃんをそんな呼び方してほしくない。

 だけど、春馬はどれだけ怒ってもやめようとはしない。むしろ面白がってくる子供っぽいやつなのだ。


天夏てんかの名前の意味なんて、すぐ分かるだろ」


 今回も怒られたことなんて気にしてない様子で、春馬は話を続ける。ろくでもないことを考えている時の、ニヤニヤした顔をしている。


「どういうこと、すぐわかるって」

「天夏は柔道やってて、筋肉ムキムキだろ。人を投げ飛ばすくらい力つえーし。あと巨人みてーにでかいし」

「‥‥‥だからなに」

「お前はほぼゴリラだよ!きっと名前もゴリラみたいに強くなれるようにって意味に決まってる」


 春馬は「ゴリラ、ゴリラ」と繰り返し口にして、わたしを揶揄ってくる。相手にしたって、きっと意味ない。


「やめなよ春馬くん!」


 突然、隣で咲良ちゃんが立ちあがった。


「天夏ちゃんに酷いこと言わないで!人に言われて嫌なことは言わない方がいいよ」

「うわ、おとこ女二号が喋った!俺までおとこ女コンビに入れられる!」


 そう言って、春馬は何処かへ走っていった。咲良ちゃんから怒られても、反省の色は無かった。

 立っていた咲良ちゃんは、席に座るとわたしに体を向けた。


「天夏ちゃん、大丈夫?春馬くんに言われたことなんて気にしない方がいいよ」

「大丈夫、慣れてるから」


 口ではそうは言ったけど、ちょっとだけ傷ついていた。

 わたしは自分が女の子らしくないことが嫌だ。さっきの春馬に、その嫌だと思っている部分を揶揄われて、ちょっぴり悔しかった。


「春馬くんってば、いっつもあんな事言って、楽しいのかな。次に何かあったら、わたしがガツンと言ってやらなくちゃ」


 咲良ちゃんは頬を膨らませて、怒った顔をして見せた。

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