天夏の思い出 - 5

 咲良さくらちゃんが春馬はるまに怒ったことは、もう一度あった。いや、あれは春馬に対して怒ったというより、喧嘩という感じだった。

 むしろ怒られたのはわたしの方だったかもしれない。


*****


 それは夏休みが明けて、九月に入ったころだった。

 夏休みに出された、自分の名前を調べる宿題。それを五時間目の総合の時間に、クラスメートの前で発表することになった。


「わたしの名前の咲良は、花の桜から取っているそうです。わたしが生まれた頃、お母さんの実家の方では、ちょうど桜が咲き始めの時期でした。お母さんは、これから満開になる桜みたいに元気な子になって欲しいと考えて、わたしの名前を付けたと言っていました。咲と良という字を使った意味は――」


 咲良ちゃんは黒板の前に立ち、クラスメートにむかって夏休み中に書き上げた文章を読み上げていく。ほかの生徒はもう発表し終わったため、咲良ちゃんで最後だ。

 少し緊張した様子だったけれど、咲良ちゃんの番は数分で終わった。

 チャイムが鳴って、授業が終わり、放課後になった。

 わたしと咲良ちゃんは、二人だけ教室に残って喋っていた。


「そういえば、今年も『はむはむ』の限定キーホルダー出るみたいだよ。天夏ちゃんは今年も買う?」

「欲しいけど、前のやつは運が良くて買えたから、今年も買えるか不安だな」


 わたしたちは『はむはむ』について話していた。『はむはむ』に関する話をするのは、決まって周りに人が居ない時にしている。

 どうして人目を気にしているかというと、その理由はわたしにある。

 というのも、わたしは自分の趣味をあまり人には話さない。『はむはむ』みたいな可愛いものが好きだけど、それを誰かに知られたくない。

 わたしは、わたしが女の子らしくないのを知ってる。わたしみたいなのが、可愛いものが好きだなんていうと、おかしく見えちゃうかもしれない。だから、話さないし、知られたくない。

 咲良ちゃんは、そんなわたしの思いを気遣ってくれて、二人だけのときに『はむはむ』について話してくれる。

 それに、咲良ちゃんは、わたしが可愛いものを好きだと言っても変だとは言わない。

 だから、わたしにとって咲良ちゃんは特別な友達だった。


「そうだよね、きっと今回もすぐに売り切れちゃうんだろうなあ」

「人気なのは嬉しいんだけどね」


 限定キーホルダーを巡って、きっと激しい競争が起こる。それを思うと、気が滅入ってきた。

 わたしはため息を吐く。すると丁度、咲良ちゃんのため息が重なった。その偶然にわたしたちは笑いあう。

 わたしたちの机の上には、前回の限定キーホルダーが置かれていた。普段、わたしは人に見られないようキーホルダーを隠しているけど、こうして二人で『はむはむ』について話す時には見える場所に出しておく。そういう決めごとをしているわけでは無いけど、なんとなく二人だけの合図みたいでワクワクするからこうしている。

 突然、咲良ちゃんが「あ!」と声を上げる。


「二人で買いに行こうよ、限定キーホルダー」


 まるで名案かのように、咲良ちゃんは自慢げに口にする。


「二人で行っても、買えるか分かんないよ」

「でも、いい思い出にはなるよ!行こうよ」


 確かにキーホルダーが手に入らなくても、思い出にはなる。キーホルダーが欲しくて、わたしはそんな考え方してなかった。


「そうだね。それなら手に入らなくても、楽しそう。よし、じゃあ冬になったら一緒に行こう!」


 わたしの言葉に、咲良ちゃんは「おー!」と返した。

 そんな時、がらがらと音を立てて教室のドアが開く。


「やべー、体育着忘れたー」


 そんな呟きと一緒に、春馬が入ってきた。春馬の視線がわたしたちに向いた。

 背筋が冷えるような気がした。わたしが『はむはむ』を好きなことは、咲良ちゃん以外には言ってない。春馬の前では特に気を付けている。知られた時には、どれだけ揶揄われるか分かったものじゃない。

 わたしと咲良ちゃんは、話を中断した。『はむはむ』について話していたことを知られないように、咲良ちゃんが気を遣ってくれたのだろう。


「おとこ女コンビじゃん。こんな時間まで一緒に居るとかヒマかよ」

「うっさい」


 緊張を誤魔化すように、わたしは言い返した。春馬はいつも通りどこ吹く風でわたしの言葉を受け流し、教室の後ろ側にあるロッカーに近づく。

 春馬は、忘れ物の体育着を取り出すと、立ち上がってこちらに目を向けた。

 その目が大きく開く。顔は次第にニヤニヤとした笑みが浮かぶ。

 春馬はわたしたちの方に駆け寄ると、わたしの机の上に手を伸ばした。何を置いてたか思い出して、叫びだしたくなった。


「え、これ、お前の?これって『はむはむ』だっけ。もしかして、天夏好きなの?」


 そう言って、春馬は机に置いていた限定キーホルダーを取り上げる。ニヤニヤ。静かに笑っている。

 どう返したらいいんだろう。誤魔化したらいいのか、開き直ったらいいのか。開き直ったら、春馬はもっと揶揄ってくる。そうなっても、多分わたしはいつもみたいに言い返したり、怒鳴ったりすることは出来ない。

 誤魔化そう。わたしのじゃないって言おう。


「そんなキーホルダー‥‥‥」

「返してっ!」


 わたしの言葉に被さって、咲良ちゃんが声を張り上げた。

 突然のことに春馬も驚いたみたいで、すぐには動けないようだった。

 その隙に、咲良ちゃんはキーホルダーを取り返した。取り返したキーホルダーを、彼女は抱き込むように胸に当てる。二度と奪われないように守っているみたいだった。


「これはわたしの!大事なモノだから触らないで!」


 今まで聞いたことの無い声だった。大声を出し慣れていないんだろうなと分かった。それでも必死に言葉を返していた。

 驚いていた春馬はようやく余裕を取り戻して、顔にはニヤニヤ笑いを浮かべる。


「いやいや、天夏の机に置いてあったんだから、普通に考えて天夏のだろ。お前のはこっちの机に置いてるやつだろ」


 意外によく見てる、と場違いなことを思った。わたしはこの場の空気についていけてなかった。

 春馬の言葉に、咲良ちゃんは勢いよく首を振った。


「今お前が持ってるやつと、お前の机に置いてるやつって同じのじゃん。わざわざ同じキーホルダー買うなんて聞いたことねえよ。それは天夏のだろ」


 春馬もムキになっているのか、言い方が強かった。

 ここでもわたしは、本当によく見てるな、と思ってしまった。


「これは保存用で、今日だけ学校に持って来たの!」

「じゃあこっちのは何なんだよ」

「それは普通に持ち歩く用!だから二つ持ってるの!」

「俺知ってるぜ。そのキーホルダーってすぐに売り切れたんだろ。そんなのよく二つも買えたな」


 咲良ちゃんは返す言葉を失ったようだった。今の春馬の言葉は、かなり的確な指摘だった。春馬の顔がまたニヤニヤと笑う。


「な、それは天夏のなんだろ。いいから渡せって。ほら」


 春馬は咲良ちゃんに近づくと、わたしのキーホルダーを握る手に触れた。そして無理やりその手をこじ開けようと力を入れる。


「ほら、よこせよ」

「いや、やめて。絶対渡さないから!」


 腕を引っ張るようにする春馬と、それに必死に抵抗する咲良ちゃん。ただ、女子と男子で、しかも体が弱い咲良ちゃんと春馬となれば、結果は見えている。

 わたしは慌てて、春馬を引きはがす。春馬の手首を力いっぱい握って、腕を締め上げるようにした。


「痛!離せよこのゴリラ女」

「咲良ちゃんが嫌がってるのにやめない春馬が悪いんでしょ」

「くっそ、別にキーホルダー見せるくらい良いだろ」


 痛みに堪えながら、苦しそうに春馬は言った。咲良ちゃんが一歩下がって距離を置いたのを見て、わたしは春馬の手を離した。

 春馬は手首に異常が無いか確かめるように見つめた後、わたしが握っていた部分を痛そうに擦っていた。


「べつにただのキーホルダーなんだから、見せたらいいだろ」

「春馬に渡したら、ろくなことにならないに決まってるでしょ。そんな奴に誰が大事なモノ渡すの」


 それでも春馬は、「うるせえ、変なやつだな」などと、やかましく文句を言い続ける。

 咲良ちゃんを見ると、息が荒くなっていた。その目には警戒心みたいなものが浮かんでいる。

 わたしのせいだ、と感じた。咲良ちゃんはわたしを庇って、キーホルダーを自分のものだと言い張って、奪われないように守ってくれたのだ。わたしが可愛い物好きだということを隠していたから。わたしのわがままのせいで、咲良ちゃんに怖い思いをさせてしまった


「咲良ちゃん、大丈夫?」


 わたしには言う資格は無いように思ったけど、それでも心配せずにはいられなかった。

 咲良ちゃんは大きく深呼吸すると、ぎこちない笑顔を浮かべた。


「大丈夫だよ、天夏ちゃん」


 そう言うと、今度は喚きたてる春馬を見て言った。


「今度、天夏ちゃんに嫌な事したら先生に言うからね」


 その言葉に春馬はギクッとした。


「は、はあ?別に、こんなのただの悪戯じゃん。遊んでるだけだろ」

「今日のことを言ってもいいんだよ」


 続けて咲良ちゃんが言うと、春馬は舌打ちをして教室を飛び出した。

 春馬が消えたのを見ると、「はあ」という息を吐いて咲良ちゃんは席に座った。わたしは彼女の傍に立っていた。


「あ、天夏ちゃん、これ返すね。ごめん、急にわたしのとか言っちゃって」


 咲良ちゃんはわたしのほうにキーホルダーを差し出す。わたしは手のひらのキーホルダーごと、咲良ちゃんの手を包み込んだ。


「ごめんはこっちだよ。わたしのために、あんなことしてくれたんだよね。ごめんね咲良ちゃん。ありがとう」


 出来るだけ優しく、咲良ちゃんの手を握る。少しでも感謝が伝わるように。

 咲良ちゃんはわたしの顔を見て、穏やかに笑った。


「さっき春馬くんが来た時、天夏ちゃん何て言おうとしたの?」

「ええと、誤魔化そうと思ってた」

「『はむはむ』は好きじゃないって?」


 そう口にされると、何だか答えにくい。わたしはぎこちなく頷いた。

 すると、咲良ちゃんの顔がきつく引き締められる。すぐに怒っているんだと分かった。


「天夏ちゃん、好きなものを嫌いだなんて嘘でも言っちゃだめだよ。そう言われたら、わたしは悲しいし、天夏ちゃんだっていい気持ちじゃないでしょ」


 またぎこちなく頷く。


「好きなものには正直で良いよ。人の目を気にする必要なんてない。誰が何を好きでもおかしいことなんて無い。嘘をついて我慢して、好きなものを楽しめないことの方が、きっと辛いよ」


 怒られているのは分かっていたけど、先生に怒られているときみたいな苦しくて泣きたい気持ちにはならなかった。そうじゃなくて、嬉しくて泣きたい気持ちだった。


「自分に正直に、今を楽しまないと。いつかきっと、ああすればよかったって思うことになる」

「分かった。ごめん。これからは、隠したりしない」


 ようやく、ちゃんと頷くことが出来た。

 咲良ちゃんは、満足げな顔をしていた。


*****


 それから、咲良ちゃんと春馬の仲は悪くなった。これもわたしのせいかもしれないと思うと悲しかったけど、咲良ちゃんはそんなこと気にしなくていいと言ってくれた。

 そしてわたしはキーホルダーを筆入れにつけるようになった。前みたいに隠したりせず、しっかりと見える場所に、咲良ちゃんとお揃いのキーホルダーはつけられている。

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