第1話 マーパルテに召喚された青年

1 愛己とニーオ ※

















 右手に力を入れると、自動的に昇っていく自転車につられて階段を踏み歩いた。





 地上に出ると、帳の中に赤信号が灯っているのが見えた。陽が昇る前に家を出て陽が落ちてから帰る毎日。




 横断歩道を渡り、スーパーで買い物を済ませてからアパートに向かった。駐輪場から蛍光灯の明かりがちらつく階段を上がって部屋の前に立ち、4,5個束ねた鍵の中から部屋の鍵を持つと、鍵穴に差し込んだ。



 捻ると、がたんという音が廊下に響き渡る。

 老朽化で建付けが悪くなったのが原因なのに、隣の部屋に住むお爺さんから面と向かって𠮟られたことがある。



 祖父にそっくりなお爺さんから怒鳴られた時はかなりへこんだ。大家さんに言って直してもらえばいいのだが、貴重な休日を奪われると思うと気が引け、言うのを怠っている。



 靴を脱ぎ、奥に入って、手荷物をローテーブル横の定位置に降ろした。



 置いてあった白衣の詰まった袋を持って玄関に戻り、再び騒音を撒いてから階段を降り、すぐそばにあるコインランドリーに足を運ばせた。



 自動ドアを潜ろうとしたが、ガラス張りのドアから洗濯機が全て使用中なのが見え、袋を一度地面に置いてから持ち上げ、来た道を戻り、扉をがたんとさせた。



 壁の向こうから咳払いが聞こえてきたが全く無視して、洗濯袋を玄関に置くと、処分しようかと悩んでいるベッドの上に背負っていたリュックを放り投げ、ベッドに座り込んだ。



 あと32分。



 使用中の洗濯機が示していた終了までの時間のなかで一番早いのがそれだった。リュックの前ポケットからスマホを取り出してタイマーにセットした。



 動画でも。



 アプリを立ち上げて枕元に置いてあったワイヤレスイヤホンを耳に付けると、男の裸体が画面に出た。ズボンの前だけを下げて触ったが、気持ちが反映されたのか、たってない。画面の中と同じように右手で自分の胸を触ってみるも、刺激を感じるだけだ。



 ブラウザバックしてから、気に入っている女性向けのを見始めた。

 


 清潔な部屋で顔を寄せ合う2人。自分の部屋とは雲泥の差だ。スタジオなんだから綺麗に決まってる。画面の中の2人は再び距離を置いてローテーブルのそばに座り込んだ。



 女性がソワソワしだした。



『どうしたの?』


『ううん、別に』



 いきなり『したい』とは言わないよな。

 逆に男はお構いなく、下顎を触ってキスした。



 照れ笑いし合っている。

 同じ画角で画面が寄ったって事はカットがかかったのか。シークバーの再生位置を大きくスライドさせると、ベッドの上で励む2人が映った。



『気持ちいい?』


『うん』



 どこまでが本当なのだろう。

 『気持ちいい』のレベルはマッサージ程度なのだろうか。唯一付き合った相手に質問した事があるが『知ってどうなるの』と言われ、返す言葉が無かった。




 男の腰使いが早くなって彼女の腹部に飛び散らせた。ベッドの上に寝転がる2人に反するようにズボンを履きなおし、イヤホンとスマホを枕元に置いた。




 途端にあくびが起こった。


 寝返りを打つと、自然と目が閉じた。





 ほのかな光がまぶたの外で揺らめくとポーンと音が聞こえ、すっと意識が遠のいた。









































 










 ◇   ◇   ◇






『本当に生きているのか?』




『セイジャ相手にしか使えないわ』




 意識がぼうっとなりながらも、会話が聞こえだした。




 目を開けると、黒靴を履いた人の足。

 横の布の中からは裸足が見え、右頬が冷たさを感じた。




「ほら、生きてる」



「そうみたいだ」




 黒靴が近付いてくる。

 かすんだ視界でも靴の色が判然としたのは、くるぶしから膝上にかけて白地の布で覆われていたからだと分かった。




「起きられるかい?」




 声に愛己が顔を傾けると、壮年の男が手を差し伸べていた。




 誰? いや、どこだ。



 自室で寝そべったのを思い出したが全然暗いし、涼しい。夢にしては体感温度が生々しく覚え、両手を床について起き上がろうとすると手のひらにざらつきと冷たさを感じたあと、右手を男の手に乗せた。



 男に引き上げられて立ち上がると、目が合った。




「俺はニーオ・ソラタン。君は?」




 変な抑揚をつけながら、ニーオ・ソラタンと名乗った男は白っぽいワンピースに似た繋ぎの服を着ている。

 人が良さそうに微笑んでいる顔は名前同様に日本人離れしていた。




「愛己です。真梠愛己まろあいこと言います」



「アイコか。よろしく」




 愛己は持たれていた手を離した。

 視線を男の後ろにやると、猫背気味の女性が椅子に腰掛けていた。




「イレーム・ユメイミア。ユミーと呼んでちょうだい」 




 ユミーと名乗った女性も日本人離れの顔つきをしていたが、白髪を後ろで束ね、男よりもかなり年配で、紺色のドレスを纏っていた。



 辺りを見回すと、石壁で仕切られた空間で、ユミーの後ろ、机の上にあるランプに照らされた部分を見ると、ブロックの石を積み上げた壁だと分かった。



 机に椅子、書棚。

 冷蔵庫やベッドなどは無く、仕事部屋か勉強部屋に思えたが、ランプの横に置かれた人形を見ると、子供の勉強部屋だろうか。



「大丈夫かい?」



 男が疑う目つきを向けてきた。

 名前以外のことは分かっていない。



「あの、ここは?」


「アムルサヴァ国のマーパルテ城。聞いたことはあるかい?」



 いえ、と愛己が言うと「私の地下室よ」とユミーが口を挟んできた。アムルサヴァって新興国があるのか。

 世界地理に詳しくないから分からない。



「すみません、なぜ僕はここにいるのか、ご存じですか?」



 酒を飲んだ覚えもない。

 仮に酔ったとしても、名前も知らない国に行くためにチケットを買って飛行機や船に乗れるとは思えない。




 急に鳥肌が立つのを感じた。




「私が呼んだのよ。アイコ」




 ユミーの言葉に違和感を覚えた。



 攫ってきたの間違いじゃ。

 呼んだということは彼女が命令を出し、このソラタンという男が攫ったのか。でも、縛られていないし、服装だって部屋に帰った時の格好のままだ。




「呼んだっていうより、転送させたの。転移? 召喚が正しいのかしら?」




 何を言っているんだ。

 途端に気持ち悪さを覚え、身体がよろけた。



「大丈夫じゃなさそうだ。他に椅子はないのか」


「無いわ。私だけの部屋だもの」


「アイコ、大丈夫かい。とにかく水を」



 身体を支えてくれていたソラタンから水の入ったコップを差し出された。



 一瞬不安になったが、呼び寄せた相手を殺すとは思えず、溜飲を下げたくて水を飲んだ。

 コップから口を離すと、少し落ち着きを取り戻した。



「もう大丈夫です」



 コップをソラタンに返し、体を離すと、体勢を立ち直して愛己はユミーに向かった。呼び寄せたということは、




「呼んだ理由はなんですか? 目的もなく呼んだんですか?」




 座ったままのユミーは愛己を上目で睨むと「気丈ね」と言って鼻で笑った。




「ソラタンの我儘よ」




 え、と思うと同時に傍らに立っていたソラタンから反射的に離れた。




「すまない、君を呼ぶように頼んだのは俺なんだ」







 何だ、この人たち。




 しようもなく気味が悪くなり、後ずさると再び辺りを見回した。真後ろに木戸があるのを確認すると踵を返した。




「出ていかない方があなたの身のためよ」




 意味を尋ねようとすると四肢が痺れ、体が勝手に石の床へと倒れこんだ。




 愛己は感動を覚えたが、それも瞬く間に消えた。




















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2025年12月27日 23:54
2025年12月29日 23:54
2025年12月31日 23:54

イレーム=ユメイミア・キソ=シュビス・テ・マーパルテ=アムルサヴァ 四賀翠 @sikasui

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