第2話 魔王候補その1:ゆきおくん(小学校6年生)
加藤先輩が学業面も魔王業面もサポートしてくれると言ったのは本当で、こちらの世界では特に数学でお世話になり、あちらの世界ではコウモリの姿になって助言してくれた。
筋骨隆々な魔族の皆さんが、急に現れた自称魔王であるところの私を怪しまずに魔王扱いしてくれるのは、人間の視覚では見えない何かの情報を見ていて、それが引き継がれているからだろう、と加藤先輩は言う。
今日もあちらの世界で一仕事終えて、執務室で紅茶をいただく。先輩もコウモリなのに器用に飲んでいる。
「先輩、私そろそろ引退したいです」
「まあそろそろだとは思っていたけどね。受験もあるからね」
「いいんですか」
「悪いことしすぎない候補を見つけてくれるならね」
そういうわけで、魔王候補を探しているのである。
さて、魔王候補であるが、募集をして見つかるものでもない。さらに通貨が違うので収入にもならない。ふざけるなと言われるのが関の山である。
公園のベンチでため息をつく。
「だいじょうぶ?」
顔を上げれば、隣の家のゆきおくんが心配そうにこちらを見ている。外でよく遊ぶ子なので日焼けしていた。
ゆきおくんのご家族が隣に越してきてから、もう五年になる。
よその子が大きくなるのは速いものだ。このぶんだとこの子が中学の間に背は抜かされるかもしれない。
「ゆきおくん、こんにちは」
「こんにちは水野さん。なにかあった?」
「ああ、ちょっとボランティアみたいなことをしていて、もうやめたいんだ」
ゆきおくんは、ふうん、という。
「やめられないの?」
「代わりのひとを探さないといけないんだ」
「労基だ労基!」
どこで覚えたんだそんな言葉。そもそも労基なんてあの世界にはない。
「ぼくはだめ?」
だめだよ、と言おうとしたが、そういえば年齢制限などあるだろうか。少しだけ、ゆきおくんが魔王になった姿を想像してみる。案外良いかもしれない。
いや、駄目だ。向こうでの業務内容は中学生以上でなければ務まらないだろう。そもそも教育上よろしくない。
「もう少し大きくなったら頼めるかもしれないけれど、いまはダメかな」
「ふうん」
ゆきおくんはボール遊びを再開した。
そのボールが道路に転がり出てしまう。車の音が聞こえた。目を向けると、ゆきおくんは気付かずに飛び出そうとするところだった。
迷う余裕はない!
「魔王チェンジ!」
光があふれ、一瞬で魔王の姿になった。
人間には出せない速度で追いかけ、ゆきおくんの首根っこをつかむ。目の前をトラックが通り過ぎていった。
ゆきおくんを降ろし、小声で人間チェンジと呟く。
ゆきおくんはしばらく腰が抜けていたが、ゆっくりと立ち上がった。
「ありがとう」
「危ないから、飛び出しちゃだめだよ」
ボールを拾って手渡す。
「ねえ」
「なに?」
「『魔王チェンジ』ってなに?」
聞かれた。聞かれちまった。
「なんだろうね?」
「変身だよね」
「聞き間違いじゃない?」
「変身してるの見たよ」
見られちまった。バレてら。
「みんなには秘密だよ」
「秘密は守られないのがお約束だよね」
「そんなお約束はありません」
「やめたいのって、魔王?」
もうごまかすのも無理がある。
「そうだよ」
「やめることないじゃん。世界征服しようよ魔王なんだし」
「そんな簡単なもんじゃないんだってば」
勇者を死なない程度に撃退したり、法案を承認したり取り下げさせたり、そんなにしょっちゅう起こっていいのかという頻度の謀反を平定したりと、週末だけの魔王でも結構忙しいのである。
いや、ここでの問題はそんなことではない。コイツ世界征服って言ったぞ。
「世界征服するために魔王になったわけじゃないんだよね」
「じゃあなんでなったの」
「人助けしたら魔王になっちゃったんだよ」
「なにそれ」
「こっちのセリフだよ」
まず間違いなく呪いである。
「魔王なんだから魔族のために貢献しなきゃいけないんじゃないの」
なんだかごもっともに聞こえてくる。
「そんなこと言ってもさ」
「まあそれはそうと変身!もう一回変身して!」
「いやだよ!」
「減るもんじゃなし!」
「減るんだよ!色々なものが!助けた恩を忘れたか!」
「そうだった!」
ゆきおくんはその後、私の顔を見るたびに敬礼をするようになった。もちろん魔王候補からは除外である。
「水野さん、アレ小学生に見られたんだ」
加藤先輩は勉強を教えてくれるだけでなく、たまに飲み物をおごってくれる。
「人助けのためです」
「似合うよ」
「そういうのは、可愛い服着ているひとに言うことですよ」
本当なのに、と言って、先輩は一気にミルクティーを飲み干す。
「それ飲んだら物理の解説するから聞いてくれよ」
「聞くだけで良いんですか?」
「ひとに説明すると思考がクリアになるんだよ」
聞いても理解しきれなかったが、加藤先輩は説明しながら解ききってスッキリできたようだった。
加藤先輩が卒業したら、私はどうなるんだろう、と少し怖くなった。
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