泣き虫ヒーロー
真っ暗なマンションの部屋で、俺は動画を見直した。スマホの灯りだけが、顔を下方から照らす。
雨宮さんのショートドラマは、すでに再生回数が10万回を超えていた。コメント欄もお祭り騒ぎだ。
『鼻水の約束、マジで泣ける』
『完璧な涙より、不完全な鼻水のほうが泣けるってどういうこと?』
『髙梨さんは顔が優勝してるから、この勝負は不利』
コメントを読むために、画面をスクロールする。その指が震えるているのに気づいた。それを誤魔化すように声を出した。
「こんなんで泣くか? 鼻水垂らして、セリフ噛んで、滑舌悪くて、顔くしゃくしゃにして、それで演技だって?」
冷蔵庫から、ビールを取り出した。
一口飲んで、動画をもう一度見ようとボタンを押した時、狙いがそれた。
「あっ……ん? 関連動画? あ、これ、雨宮さんが出演してる他のショートドラマか。にしても、雨宮さん若いな。これデビュー前のやつだ」
タイトルは泣き虫ヒーロー。
教室のシーンから始まった。
中学生の男子生徒が、クラスメイトに囲まれて泣いている。
「また泣いてる~! 弱虫~!」
男子生徒は唇を噛んで耐えるが、涙がポロポロ零れてしまう。
(あ……これ、俺だ……)
握っていた缶ビールの指に力がこもる。
走馬灯のように、過去の出来事が脳裏に浮かんできた。
消し去れ! と願いながら、ほろ苦いビールを飲みこむ。
教室に少女が突然入ってきた。
中学生の制服を着た雨宮さんだった。
「うるさいなあ。泣いてる人がそんなに面白い?」
「なんだよ、お前に関係ねえだろ」
クラスメイトの大きな声に反応するように、少女は突然泣き始めた。それも、わざとらしい、めちゃくちゃで下手な演技だ。
「うえーん! 私も泣いちゃう! だって私、超弱虫だからー」
その場の生徒たちは、ぽかんとしている。
「うえーん! 泣くのって恥ずかしいー! でも、泣いてる人を見ると私も泣くたくなっちゃう……だから、みんなで一緒に泣こうよ! ほら、泣け泣けー!」
その一言で、場が気まずくなったのがわかる。
クラスメイトたちは、顔を見合わせて黙ってうつむいた。空気が一瞬で崩壊したのだ。そして、1人1人去って行く。
少女は泣き出した時と同じように、突然泣き止んだ。呆然と成り行きを見守っていた、泣き虫の男子に近づく。
「泣いてもいいんだよ」
男子生徒は驚いて顔を上げる。
「だって、泣けるってことはちゃんと心があるってことだからね」
カメラは男子生徒の目元に寄った。涙は止まっていなかったけれど、初めて笑顔になる。
そして少女のナレーションが入る。
「泣くのは弱さじゃない。誰かの心を動かす、特別な魔法なんだって、私はあの時知った」
俺は、完全に息を止めてそれを見ていた。
なぜなら、泣き虫の男子は俺だったから。
俺の中学時代、そのままだったから。
あの日、俺は好きな子に告白したくて手紙を渡したのだ。
そしたらその子が「みんなに見せていい?」と、教室で俺が書いた手紙を読み上げた。
クラスメイトたちはもちろん爆笑。
「髙梨って顔だけだな」
「うけるwww」
「文才ゼロ、いやマイナス?」
そんな出来事があって、気持ちをさらけ出すと笑われる、と俺の心に深く刻み込まれてしまった。
芝居をするようになって、クールなキャラを押し出したのは「もう誰も好きにならない」という防衛機制からだ。
暗闇の中、俺の肩が小刻みに震えた。そして、自分の目から本物の涙が零れ落ちていることに気づいた。
「なんだよ……昔を思い出して泣くなんて……かっこ悪いなぁ」
動画のコメント欄を見てみる。
『間違いなくヒーロー、いや、これヒロインだろ』
『泣くことでいじめを阻止するって凄い』
『手段を間違えてないのがいい』
俺の心のうろこがぽろぽろ剥がれ落ちていく。
そうだったのか。
泣くことは悪いことじゃないんだ。弱いことじゃないんだ。
自分の気持ちに素直なのはいいことなんだ。
そして何より、泣いている子を守る方法を見つけることだってあるんだ。
泣く演技で、誰かを守れるかもしれない。
「ありがとうな、昔の雨宮さん。でも、鼻水垂らしながら、セリフ噛んで、笑われるのはやっぱり嫌だよ」
スマホの照明が消えると、画面に自分の顔が映った。
完璧な顔に、涙の後が三筋。まぶたが腫れて厚ぼったく、鼻の頭が赤くてダサい。
「うん……やっぱり嫌だ」
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