欲望の火種

 撮影が一段落した。スタッフたちは疲れた表情を隠しもせず、スタジオの片付けをしている。

 長野監督が缶コーヒーを片手に、スタジオから少し離れた俺の近くにやってきて言った。


「いやー、髙梨くん。今日も顔は最高だったよ。涙のキレがシャープで格好良かったなー!」

(顔だけかよ)俺は上着のジャケットを脱ぎながら、心の中だけでツッコんだ。


「ありがとうございます。次はもっと感情を乗せます」

「いやいや、もう充分売れる顔してるから。あ、でもね、ボクちょっと面白いこと思いついたんだよね」

「なになに、なんですか? 面白いことですか?」

 油断していたら、雨宮さんが近づいてきた。


「番宣用にショートドラマみたいなさ、短いミニドラマ作ってみない?」

「面白そうですね」

 雨宮さんは興味津々で頷く。

「髙梨くんと雨宮さん、2人がそれぞれ主役になって1本ずつ作るんだよ。それでさ、さっき2人がやってた演技勝負、面白かったからあれでとりあえずやってみない?」


「はあ?」

 俺の返答はかなり間抜けだったに違いない。

「あんなのただの遊びみたいなもんじゃないですか」

「そういうけどね、髙梨くん。最近の短編動画の勢い知ってる? 短い時間だけお芝居して、それでお金稼いでるんだよ」


 短編動画のドラマはちゃんと見たことないけれど、そこから有名になった俳優を何人か知っている。というか、一緒に仕事をしたこともある。


「さっきやってたでしょ? って、ああそうか。雨宮さんの演技はアドリブだけど、髙梨くんのは顔優先だからなぁ」

 カチンときた。

 顔だけってことか? いや、そんなことはない。

 メイク直し用の鏡を手に取り、自分の完璧な顔を見た。


 戸惑う俺をよそに、雨宮さんは早速スタッフからスマホを借りて構えている。

「じゃあ、早速撮りましょう! 髙梨さん、お先にどうぞ」

「え、俺から!?」

「はい。私、すぐ撮れるんで」


 そうして即席の撮影がスタートした。


 スタジオ脇の廊下へ移動し、雨宮さんにスマホを持たせて俺はカメラ目線で囁いた。

「君が……いなくなるなんて、信じられない」

 目を閉じ僅かに眉間に皺を寄せる。右手にはもちろん、先ほど使った目薬を持った。これはカメラの画角には入らないところだ。


「でも約束したよな、泣かないって……」

 上を向いて何かを堪えるような表情。で、上から目薬をぽたり。


「だから……笑ってくれ」

 つー、と完璧なタイミングで涙が落ちていく。

 微笑みながら泣く、という高度な技術を見せつけてやった。


「……どうだ」

 見守っていた長野監督に視線を投げると、感動した声で「うん、キレイ!」と答えた。


「化粧品のCMみたいですね」

 雨宮さんがスマホを下ろす。

「褒めてるか?」

「はい」

「嘘つけ!」


 雨宮さんからスマホを受け取った助監督は、ちょちょいと動画を編集してあっという間に番組公式アカウントから投稿した。

 タイトルをつけるなら「最後の約束」。

 動画の最後に、著作権フリーの切ないピアノ曲を入れるように指示する。


「じゃあ、次、私ですね。さっきのやつがいいんですか? 監督」

「うん、あれが良かった」

「おっけーです。あ、自分で撮りますんで、スマホください」

 雨宮さんは、助監督からスマホを受けとり、机の上に置いた。


「ねぇ……私、もう明日死んじゃうんだって」

 スマホに顔を近づけた。

「うぇえええええええええん! 嫌だよぉ! まだ髙梨さんとデートしてないのにぃ!!」


(は? なんで俺? 俺の役名ぐらい覚えとけよ)

 と思う間もなく腕をぐいっと引っ張られた。


「ちょ、俺は」

「約束して! 私が死んでも泣かないで!!」

 おいおいおい。すごい量の水分が目から出てるぞ。鼻水と混じって、顔から垂れている。ポタポタ、凄い勢いで。


「……な、泣かないよ」

 俺は困惑しながら芝居に付き合った。

「嘘! 嘘だよ、絶対泣くでしょ!! だって、私、好きだったんだからぁ!!」

 ここで、雨宮さんは突然大笑いしながら号泣するという手段に出た。

「でも泣いて! 私のこと忘れないで泣いて!! うええええええん!」


 最後は涙も鼻水も垂らしたままピースサインをして終わった。

(なんなんだ……この芝居は)

 俺の心はモヤモヤした。


「はい、終わり」

「切り替え、はやっ」

 涙を拭いながら雨宮さんはスマホを握った。

 タイトルは「泣いてもいいよ♡」、タグは「鼻水の約束」。


「これはバズる予感がしますね」

 ケラケラと笑いながら助監督が後を引き継ぎ、動画を投稿した。

 すると、スマホから爆速の通知音。凄い勢いでいいねが押されている。コメントも多い。


『鼻水で草www』

『でも泣いた』

『髙梨透の困惑顔がリアルすぎる』

『リプで”鼻水の約束”って打つと泣けるバグ』


 俺は、スマホを見て固まってしまった。

 一方の雨宮さんは、鼻水を拭きながらニコニコしている。


 長野監督は笑いながら言った。

「髙梨くん、完敗じゃん! 明日の本篇シーン、雨宮さんの演出で撮影しちゃおっかな」

「え!」

 俺の視界は真っ暗にフェードアウトしていく。嘘だろ。なんで。


「髙梨さん、次は一緒に鼻水垂らしましょうね~」

「冗談だろ……」

 こんな馬鹿馬鹿しい動画に負けた……?

 悔しさで拳を握る。


 ピロン。

 スマホの通知音に、俺は振り返った。

 雨宮さんの動画のコメント欄に

『完璧な涙より、鼻水の方が心に刺さる件』という一文を見つけてしまう。


「負けない……絶対に俺の演技で、お前らを……泣かせてやる」


 俺のプライドは粉々だ。

 動画のいいねの数も、返信の数も完敗した。

 どうすればいいんだ。どうすれば勝てるんだ。

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