涙の魔法~完璧で泣けない俳優~
佐海美佳
完璧な泣けない俳優
都内の小さなスタジオは、病院の個室になっていた。
このドラマの監督である長野さんは、やや疲れた顔をしていたが、指示はテキパキと分かりやすい。
「カメラ固定ね、雨宮さんの準備はできてる?」
「はい、大丈夫です。完全に寝てたほうがいいですか? それとも上半身を少し起こしたほうが?」
「そうだね……このシーンは少しだけ上半身を起こしてたほうがいいから、背中にクッションを当てようか」
「はい」
「監督、俺はこの椅子に座って、最初に彼女の手を握るんですよね」
「そうそう、その角度。感情は抑えめで、いつも通り髙梨くんのクールな感じで」
「わかりました」
監督の指示通り、カメラからの画角を考えた完璧な角度で顔を伏せた。
「じゃあまずはリハーサル」
「はい」
ベッドに横たわる雨宮さんの手を握る。
点滴のチューブが細い腕に巻き付いていて痛々しい。
そこから少し視線を外して、俺は囁くように話しかけた。
「……もう、痛み止めも効かなくなってきたんだな」
「うん……でも、あなたがいてくれるだけで、怖くないよ」
弱々しい彼女の声に、俺は小さく頷く。
「俺は、お前がいなくなるなんて考えられない」
ここで一旦目を閉じて深呼吸。目薬を握った右手を準備。
「ねえ、約束して。私が死んでも、泣かないで」
「……泣かないよ」
プシュ。目薬を勢いよく押したせいで、やや飛沫が跳ねた。
「絶対に、泣かないから」
涙が一滴、完璧な軌道で頬を伝った。よし。いいぞ。完璧だ。
だが、スタジオは奇妙な静寂に包まれた。
助監督がその静寂を打ち破る。
「カット! え、えっと、髙梨さん、涙は出ましたけど、監督、これでいいんですか?」
助監督が不満げな顔をしている。
「そうだなぁ……うん、まあOK」
え? これで不満なんですか? 指示通り完璧な角度で、俺、泣きましたけど。
「なんか、CMみたいでした」
ベッドで死にかけていた雨宮さんが、むくりと起き上がった。
「なんのCMだよ」
「涙の軌道が美しい、新発想の目薬誕生! です」
雨宮さんの大喜利回答に、助監督は吹き出した。
「失礼だな。監督はこれでOK出してるぞ」
「監督は髙梨さんの顔が好きだから許してるだけです」
俺はむっとして立ち上がった。
「じゃあお前ならどう泣くんだよ。やってみせろよ」
雨宮さんは何の躊躇も泣く、即座に演技を始めた。めちゃくちゃ大げさに。
「ねえ、約束して。私が死んでも、泣かないで~!」
はは、声が裏返ってるじゃないか。しょうがない、俺が言い出したことだ。もうちょっと付き合ってやるか。
「……泣かないよ」
「絶対に、泣がな”い”、ら”~! うええええええええん!!」
俺はびっくりした。突然スイッチが入ったのか、雨宮さんは顔をくしゃくしゃにして号泣している。鼻水まで垂らして。
完全にひいてしまった。
「お前……それ本気か?」
涙目でニコニコしながら雨宮さんが顔を上げた。
「本気です! これで観客100人中98人は泣きますよ!」
「残りの2人は?」
「鼻水でひきます」
それを聞いて、完璧な計算だと助監督は、体を折り曲げて笑っている。床を転げんばかりだ。
俺は呆れてため息をついた。
「……こんなんで泣くかな? いや、観客は感動するか?」
「しますよ。だって心が痛いんだもん」
「心って見えないだろ。それにお前、鼻水垂れてるぞ、ふけよ」
「それが大事なんです。完璧じゃないから伝わるんですよ」
俺は窓硝子に映った自分の顔を見た。
完璧な鼻筋、引き締まった頬、そこに残る芸術的な涙の軌跡。
「……完璧でいいじゃないか」
小声で俺が呟いた時、窓硝子の端に雨宮さんの顔が映った。
さっき垂らした鼻水をティッシュで拭いている……が、拭ききれずに頬にぽっちゃりと涙の痕が残っている。
その汚い鼻水の後を見た瞬間、なぜか俺の目から液体がぽろりと落ちた。
「……は?」
びっくりして、慌てて袖で拭う。
今のは、何だ。こんなんで泣くわけがないだろう。
「じゃあ、本番いきます」
長野監督の声に、雨宮さんが焦っている。
「あ、ちょっと待ってください。メイクだけ直させてください」
「もー、なに変な勝負してんのよ。でも雨宮さん、面白かったよさっきの演技」
「えへへ。あー、泣いたら甘い物が欲しくなるんですよね、ちょっと飲み物飲んでいいですか?」
えへへじゃねーんだよ。俺は心の中だけで毒づく。
女優なんだから、女優らしく可愛い顔してればいいのに。
そう思いながらも、心の中で生まれた違和感は消えずに残っていた。
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