第30話 ヤバい側を歩いてゆこう
朝だ。朝です。朝なのだ。朝であります。朝が来ちゃったよ。私は何を言っているのでありましょう。顔を洗って服を着替えて、どうしても頭がぐるぐるするので「頭がおかしいとき用音楽」を大音量で流す。今日もスペースキャビンには人けがありません。大丈夫かこのキャンプ場。
「頭がおかしいとき用音楽」は、ニュー・オーダーの"Blue Monday"に始まりテレビジョンの"Marquee Moon"で終わる非常にこってりした選曲で、とても他人様にはお聴かせできない。他にクラッシュだのセックス・ピストルズだのジョイ・ディヴィジョンだの入ってる。今かかってるのはクラッシュの"London Calling"。朝食時には向かない音楽を大音量で聴きながらカロリーメイトを食べた。今日はどうしようかなあ、というよりどうなるのかなあ。万博マップを見て考える。まだ行っていないパビリオンに行きたいと主張してみるか。ハートピア自然美のパビリオンっていうのが気になる。鳥の目線の映像だと紹介されている。メグが行きたがってたTDKもいいかも。
と、ドアにノックの音がした。フレドリック・ブラウンの小説「ノック」でしょうか。それとも星新一の『ノックの音が』でしょうか。このキャビンの出入り口がドアと言えるかどうか。またノックの音がした。
「おはよう。起きてる?」
うっわー。カハクくんだ。時計を見たら8時だった。約束の時間じゃん。カハクくん悪くなかった。悪いの私だ。おはよう、ちょっと待っててねと返事してあわてて身支度する。音楽も止める。もそもそとキャビンから出ると、
「すごい大きな音で音楽聴いてたね。77dBあったよ。ああいう曲好きなの?」
うん、そうだよね、聴こえてたよね。笑ってごまかせ。っていうかなぜデジベルまでわかるのさ。
「えへへ。ほんとはパンク好きなの」
ごまかせてないよ、私!
「好きなら車で聴いたらいいよ、テープ持っておいで」
カハクくんのこの言葉は許容なのか親切なのか挑戦なのか。よし、挑戦なら受けるぞ。もうヤケクソだ。「頭がおかしいとき用音楽」全部持ってこう。第二弾はサイケである。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドとかドアーズとか初期ピンク・フロイドとか入っているよ。第三弾はプログレで、マイク・オールドフィールドと後期ピンク・フロイドとキング・クリムゾンとエマーソン・レイク・アンド・パーマー。第四弾はグラムロックでデヴィッド・ボウイとTレックス。いやもうテープの入ったケースごと持ってっちゃえ。12本あるよこんなに聴けないよ。テープのケースと荷物を持とうとするカハクくんの厚意を断って歩き、車に乗る。第二弾のテープをかけたので、流れる音楽はルー・リードのよりにもよって"Walk on the Wild Side"。
「さっきより静かな曲だね」
「これは曲調じゃなくて歌詞が過激なの」
「どんな?」
「ヤバい側を歩けってタイトルで、スネ毛を剃って彼から彼女に変身する人が出てくる」
「それはオカマというかヘンタイというか……ボーイ・ジョージみたいな人もいるしそんなに過激でもないんじゃない?」
「まあこれは古いロックだから、リリースされたころみたいな過激さはもうないかもね」
「そういう古いロックが好きなら今日のライブは好きかもしれない。ヴォーカルはどぎつく化粧して歌うんだ。僕は化粧しないけどね」
「ナニソレ楽しそう、どんな曲やるの」
猫被りも女性としての服ももう放棄しました。無理だ。
「バンド作った最初のころはビートルズで、最近はデヴィッド・ボウイかな。僕はそんなに詳しくないけど、幼なじみだからつきあわされてる感じだね。歌うのはそいつだから、デヴィッド・ボウイみたいにハンサムじゃないよ」
「顔は気にいたしませぬ」
アハハと笑いながら車を降りて西ゲートへ。二人で話し合ってハートピア自然美のパビリオンに行くことに決めた。走らないで歩いてのんびりと、列が長かったらのんびりお喋りをして待とう、とカハクくんが言うので同意した。時間はたっぷりあるんだ。気分が楽になって、呼吸がしやすくなったような気がする。
Gブロックにきて、一時間待ちのハートピアの列に並んでお喋りする。カハクくんが海外ミステリ好きで、新しいものから古いものまでたくさん読んでいることがわかった。ハヤカワミステリと創元推理文庫をよく読んでいるようだ。趣味が渋い。私は新しいミステリは知らないけど、古いのはだいたい押さえている。
「私、アガサ・クリスティなら『春にして君を離れ』が好き」
「あれはミステリではないよね。うーん。信頼できない語り手ではあるか」
私も信頼できない語り手かもね? 内心で舌をペロッと出す。
「カハクくんが好きなミステリはなに?」
「クリスティなら『検察側の証人』かな。他の作家ならエド・マクベインが好きなんだけど、87分署はミステリというより警察小説だね」
「87分署、全部じゃないけど私も読んだよ。耳の聞こえないテディが可愛い。87分署好きなら実は鬼平犯科帳も好きだったりするのでは?」
「あはは、嫌いじゃないよ鬼平」
お喋りしていると時間が経つのが早い。時間が圧縮されてしまった。円柱に斜めの屋根を立てかけたみたいな♡マークつきのパビリオンに、理由不明のハイテンションで入ってゆく。自然美はいいとしてなぜハートピアなのか全くわからないけど、なんだかもう気にならない。
バーズ・アイ・シアターというそのシアターは、これまで入ったどのシアターとも違っていた。見上げるのではなく立ったまま、窓のようなものからスクリーンを見下ろすのだ。レーザーショーのあと森が映し出された。鳥の親子と一緒に鳥の目線で森や山を経巡ってゆくのだが、映像だけでなく音響がすごい。滝の轟音が上から下に通り過ぎていったり、雨音が耳のそばで聞こえたり。どうなってるんだ、謎だ。私はやっぱりこういう鳥瞰する映像が好きだなあ。
「カハクくん、面白かった? 私はこういうの好き」
「悪くなかったよ。どういう映像かは知っていたけど実際に見ないとわからないものだね」
ハートピア自然美のパビリオンを出てBブロックに行き、TDKふしぎパビリオンを見たら二時間待ちだった。
「カハクくんどうする? TDK見たい?」
「無理に見なくてもいい気分だな。きみが万博でいちばん好きな場所に行こうか」
「それはなんかズルイのでカハクくんが好きなとこに行きましょうや」
「好きなところも何も、前回富士通パビリオンに入ったほかは従業員食堂と風のガレリアしか見ていないよ。データとしては知ってるけど」
「行きたいとこないの?」
「特には。どこでもいい」
「カハクくん、自己主張しないタイプにもほどがあるよ」
「否定できないね。大学も、バイトも、バンドも、誰かに言われて決めたようなものだった」
カハクくんがしおたれていらっしゃる。自己主張しないって言われるとつらいのかもしれない。方向性を変えよう。
「じゃあ、万博のいちばん万博らしいところってどこだと思う? そこに行こうよ」
「万博のいちばん万博らしいところ? 観覧車とエキスポセンターじゃないかな」
エキスポセンターは政府出展のパビリオンだ。世界一のプラネタリウムがあるらしい。どう世界一なのかはよく知らない。観覧車とはすなわちスーパーゴンドラゴン。あの何とも言えないお菓子コズミック・スナックについて話すと、カハクくんは微妙な顔をした。それでもスーパーゴンドラゴンに乗ることを決め、Fブロックに来た。スーパーゴンドラゴンは45分待ちなのでたいしたことはない。
「この観覧車は一応飲食店扱いなんだ、スペースビュッフェっていうくらいで」
カハクくんが妙なことを言い出した。飲食店扱いなのでコズミック・スナックでお金がとれるのかな? よくわからないのだけど。カハクくんは、UCCコーヒー館のマイブレンドコーナーのコーヒーが三種類しかないことも教えてくれた。さすが従業員。知らない方がいいことまで知っておられる。私はUCCコーヒー館で性別を入力したときのことを思い出し、少しだけ、頭を上から押さえつけられたような気分になった。私は、自分を女だと思えていないことをカハクくんに言えるだろうか。
★★★
固有名詞が多すぎて申し訳ないです。古い洋楽に詳しくない方は、ささほは普通の田舎の女子高生が聴かないようなマニアックな音楽を聴いているのだと思ってください。
サイケの巻にはクリームとジェファーソン・エアプレインとヴァニラ・ファッジも入ってます。そしてプログレの巻は120分テープ。
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