第31話 齟齬という名のゴンドラ
スーパーゴンドラゴンは八人乗りなので、カハクくんと二人きりになったりはしない。そのことにややほっとしつつ、おもちゃ箱のような万博の風景を眺める。図書館愛好会のみんなと眺めた風景と同じはずなのに、どこか違って見えるような気がした。あのときの「もう一度この風景を見ることはないだろう」という思いに間違いはなかったのだ。
「黙っちゃって、何を考えてるの」
「いい景色だなと思いまして」
「そうだね、いい景色だね」
というわりにカハクくんは景色じゃなくて私を見る。そんなに見ると穴があくのでやめてほしい。
「きみは可愛いな」
何気なく言葉がこぼれた風でカハクくんが言った。本気でやめてほしい。可愛いと言われると死にそうな気分になるんだ。本当に本当にやめてほしい。私は可愛くなりたくないし、可愛いと言われたくない。
「どうしたの。どうして泣いてるの、どうして」
そうか私は泣いているのか。どうしてか私も知らん。私と同じくらい動揺したカハクくんは私にタオルをかぶせた。私も泣いているところを見られたくはないので、ありがたくタオルを使わせてもらった。タオルに隠れつつも風景を楽しもうと努力する。少なくとも楽しんでると周りが認識するように……見えるわけないよ。一緒に乗った親子連れとカップルは、明らかに私たちを気にして目を逸らしている。
「ごめんね、あとでちゃんと話す」
「うん。大丈夫? 気持ち悪くなったりしたの? 高くて怖いとか?」
「それはない。大丈夫」
なんかゴンドラ内でのカハクくんの立場が「彼女を泣かせちゃった彼氏」みたいになっていたので、すごくがんばって涙を止めた。がんばると止まるもんだな。タオルをカハクくんに返して、私平気ですよニコニコと周りにアピールする。ゴンドラ内の空気を変にして申し訳なかったです、乗客のみなさん。
「目が少し赤いよ、冷やすといい」
カハクくんがすいっとハンカチを差し出すので受け取った。マリンブルーのそのハンカチはなぜかほどほどに濡れて冷たい。目を冷やすにはちょうどいいけど、このハンカチどこから出てきたの?
スーパーゴンドラゴンを降りても、カハクくんはまだ私を心配していた。所在なげに頭をかいたり、手を差し伸べてすぐ引っ込めたりした。困ってるよね。一緒にいた相手が突然泣き出したらそうなるよね。わけわからんだろうし。私もわからんし。お腹がスカスカするし。そうだ、お腹が空いてきたから泣いたということに……なるわけないよ。お腹が空いて泣くってどこの欠食児童だ。でもお腹が空いたのは本当だ。オードリーが図書館愛好会をやめると言った日のことを思い出す。あのときはつらかったけど、あのとき食べたゴダンバロティはおいしかった。
「ゴダンバロティ食べたいな」
「ゴダンバロティ?」
「うん。スリランカ館のカレー包んだクレープみたいなやつ」
「じゃあスリランカ館に行こうか」
Gブロックまでの道を言葉少なに歩く。アホのように大きな涅槃像と集英社の巨大混合遺跡レプリカを見た私は、突然一人で笑いだした。涅槃像の間抜けな顔や、涅槃像がいつ見ても寝ているという単純な事実がすごく可笑しかった。これお釈迦さまが亡くなったときの像なのに。
「泣いたり笑ったり忙しいね?」
「うん、そうだよねえ、ごめんね」
「謝らなくてもいいよ、泣かれるとさすがに困るけど」
私の感情の上がり下がりがジェットコースターだよ。私絶対おかしい。カハクくんに悪いことをしていると思う。
「私ね、Gブロック好きなの。ここ、万博の中でもいちばんカオスな雰囲気じゃない? ヘンでも許される気がして好き」
「そうか、きみは……」
カハクくんは何か言いかけて口を閉ざした。何を言おうとしたか追及するのはいけない気がして、二人とも黙ったままスリランカの屋台に行く。スパイシーな匂いが食欲をそそる。
「このカトゥレットっていうのは何?」
「お魚コロッケみたいなの。それもおいしいよ」
ベンチに座って食べたゴダンバロティとカトゥレットは、辛いけど辛すぎなくて私好みの味だ。カハクくんもおいしいと言ったのでほっとした。カハクくん味のはっきりしたものが好きなのかな。でもお魚は普通に食べてたな。
「これからどうする? きみが行きたいパビリオンに行く?」
「うーん、今日はもういいかな。見てないパビリオンもまだあるけど、疲れちゃった」
「じゃあドライブにでも行こうか。筑波の観光地を全然見ないで、ずっと万博だったんじゃないのかな」
「言われてみればそうだね、万博しか見てないや」
車を置いてある西ゲートに向かって歩きがてら、私の通う高校が女子高であることや、図書館愛好会のメンバーや日常のことなどをぽつぽつと話した。駐車場でマーチに乗り込むと、
「まだ言ってなかったね、僕が行ってる大学は」
教えてくれた大学は、以前ほのめかした通り箱根駅伝の出場校だった。
車が走り出して「頭がおかしいとき用音楽」テープからピンク・フロイドのInterstellar Overdriveが流れた。でも今聴きたいのはコレジャナイ。ケイト・ブッシュの「魔物語」に変える。一曲目はBabooshka。
「綺麗な声だけど少しヒステリックな感じで怖いね」
「男の人には怖いかもね。夫の愛を試そうとした妻が、若い女のふりをして夫を誘惑する歌詞」
「それで夫はどうするの」
「若い女に見せかけた妻を見て、まだ美しかったころの妻のようだって思うんだ」
「皮肉な歌詞だなあ」
「夫のせいで美しくなくなっちゃったのかもしれないのにって私思うよ」
「でも夫のほうは自分の妻だって気づいたんじゃないのかな」
「えー。気づいてないと思うよ」
「僕は気づいてたと思う。絶対に。自分の妻を見分けられないわけがない」
カハクくんにしてはいやに強く主張するなあ。車窓からの眺めは相変わらず田んぼ。車は土浦ではなく、山のほうに向かって走っている。
「今からどこ行くの」
「筑波山。まあいちばん有名な観光地だね。ケーブルカーとロープウェイがあるよ。どっちがいい?」
「どう違うの」
「ケーブルカーは男体山行きで、ロープウェイは女体山行き」
筑波山には男と女があるのか。変な山だな。カハクくんが言うにはロープウェイのほうが景色がいいそうで、女体山行きに決まった。意外と広い道を走ってゆくと料金所があった。
「あれ、ここ、有料道路なんだ」
「そうなんだよ」
「お金いっぱい使わせちゃって悪い気がする」
「こういうときは男に払わせなよ」
内心もやもやしたけれど私は貧乏旅行なわけで、どんなに悔しくとも払ってもらう他ない。やがて車はつつじが丘という場所に到着した。つつじがたくさんあって、春はきれいだろうなと思った。つつじが丘駅からロープウェイに乗る。大きなロープウェイで、一台数十人は乗れそうだ。
「当たり前だけどロープウェイだから高いところを行くよ。大丈夫? 観覧車のときみたいに泣いたりしない?」
「高いところは平気だよ」
やっぱり軽くでも泣いた訳を言っておかないといけないか。本当の理由は私にもよくわからないけど、直接的なきっかけは明確だ。
「あのね、ええっとね、私は。可愛いって言われるのがつらくて死にそうな気分になるの」
「それは……よく意味がわからない」
「とにかく可愛いって言わないで」
「難しい……可愛いと可愛いって言いたくならない?」
オードリーの顔が浮かんだ。ふわふわの髪、細い首、小さな手、どこもかしこも可愛いオードリー。
「言いたくなると思う、それはわかる。可愛いと思ってるのに言えないのは悲しい」
「それがわかってるなら可愛いくらい言わせてくれよ」
どうも話がうまく通じない。別な方面からアプローチしてみようかなあ。
「カハクくん可愛いって言われたら嬉しい?」
「嬉しくない」
「それと似たようなもんだよ」
「男と女では違うだろ」
むう。もうこれは最後の手だ。脅迫だ。
「可愛いって言ったら泣く」
「それは困る」
カハクくんは空を仰いでため息をついた。
「いやあ、難しい。難しい子だねえ、きみは。でも真剣に話してることだけはわかったよ。僕も正直どう扱ったらいいかわからない」
理解できなくても理解しようとしてくれたことはわかった。それだけでも嬉しいと思った。私たちはロープウェイに乗って空中散歩を楽しんだ。景色がいいという前評判は嘘でなく、はるか遠くまで見渡せた。
「わあ、海が見えるね!」
「あれは海じゃなくて霞ヶ浦だよ」
「そうなんだ、霞ヶ浦もきれいだね」
「夜乗ると夜景もきれいだよ」
きれいだという夜景を想像しながら、カハクくんは誰とここの夜景を見たのだろうかとちらっと考えた。そして同時に私はなぜそんなことを気にするのだろうかと疑問を感じた。
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