第29話 ソリティアが終わる夜
夜が落ちる前の青みがかった暗さの駐車場で、アクアブルーのマーチに乗る。やっぱり湿った森の香りがするのだけれどオゾン臭に似ている気もしてきた。でもいやな香りじゃない。カハクくんは車の中ではラジオを聴く派のようなので、カセットテープをかけていいか尋ねる。
「いいよ、何聴くの?」
「1984年洋楽ベストヒット、ただし選曲は私」
車内に流れ始めたのはケニー・ロギンスの"Footloose"。このカセットテープに入ってるのは、ネーナの"99 Luftballons"やヴァン・ヘイレンの"Jump"のような無難な曲ばかりだ。ブルース・スプリングスティーンとプリンスも入ってるけど。このテープを作るのは大変だったのですよ、貸しレコードから一曲ずつ録音したのだ。
「洋楽好きなの?」
「うん。だいたい洋楽聴く」
邦楽も聴くけど、ザ・スターリン好きとはなかなか言いにくい。洋楽にしてもドアーズがいちばん好きとは非常に言いにくいし、ドアーズ知らない可能性のほうが高い。
「へえ、なんだか意外」
「どういうの聴くと思ったの」
「チェッカーズとかC-C-Bとか?」
「チェッカーズは嫌いじゃないけど積極的には聴かないかな。そういうカハクくんは?」
「誰が好きだと思う?」
質問に質問で返すからこいつはヤラシイのだ。スケベという意味のヤラシイではない。「誰が」と言ったからにはバンドではあるまい。なんとなく女性歌手のような気がする。松田聖子っていうタイプじゃないな。小泉今日子って感じもしないな。堀ちえみ……ない。河合奈保子も榊󠄀原郁恵もなさそう。そもそもアイドルじゃない可能性もあるな。中島みゆき……そこまで暗くない。松任谷由実……もうちょっと湿っぽい。
「中森明菜?」
「いや参ったな」
「え、ほんとに中森明菜好きなの?」
「うん。あの強がってるけど泣きそうな感じが好き」
「私も『飾りじゃないのよ涙は』は好きだよ」
適当に答えて当たっちゃったので私も戸惑いつつ、外を見てごまかす。中森明菜が当たったのは勘もあるけど消去法だ。
「今夜はどこでごはん食べるの?」
「今夜も土浦だよ。霞ヶ浦の魚を食わせる店」
「へえ。そういうの高い店と安い店と両極端だよね」
「どっちかというと安い方かな」
「かえって期待が持てそう。私さ、港町で生まれて漁港のそばで育ったから魚好きなの」
「それは僕も似たようなものかな、土浦生まれの土浦育ちだよ」
あら。意外と簡単に出身地を言ってくれた。ということは土浦はカハクくんのまさにホームなわけだ。私も生まれくらいは言おうかな。
「私、清水生まれなの」
「清水っていうと清水次郎長の」
「うん。私のひいおじいさんは次郎長の子分だったんだって、おばあちゃんが言ってた。ほんとかわからないけど」
「本当だったら面白いね。きみ案外ヘンだから本当かもね」
カハクくんの言葉に、メグが口癖みたいにいう「あんた案外アホだから」を思い出して私はまたなんだか動揺した。
「そんなにヘン?」
「ヘンっていうか、普通の女子高生は鉄工場でバイトしないよね。男ばっかりでつらいこともあるんじゃないの」
大変思い当たることがあります。私はついアホザルに対する不満を喋りまくってしまった。
「でね、アホザルに、ライターとコーヒーとヤッターマンっていう単語を逆に言ったらコーヒーおごるぜって言われて」
「あはははは。もしかして素直に言ったの?」
「言った……気づかなかったので……」
カハクくんこのネタ知ってるんだ……真面目そうなのに……
「でもアホザルなんて呼んだらかわいそうだよ。彼、仕事中も休憩時間もきみの近くによくくるんでしょ」
「うん。なんだかなんとなくよくいる。ときどき手伝ってくれる」
「アオノくんの気持ちもわかる気がするよ」
カハクくんもアホザルのようにお尻を触りたかったりするのか? どうやって返そうか考えてたら店に着いたので車から降りる。そこは黒ずんだ木の壁が印象的な小さな店で、古びた看板には「やたて食堂」と書かれていた。引き戸を開けて店に入るといかにも歴史のありそうな、でも高級そうではない、港町のおいしそうな店の香りがぷんぷんした。カハクくんと一緒に入って席に座ったら、カウンター席でお酒を飲んでいたおじさんたちの一人が、
「よう、女の子連れてきたんか」
カハクくんは顔をしかめた。
「ここは絶対においしいんだけどこれがいやだ。あれはほんとに俺のおじさんだけどほっといて」
ここにくるつもりだからカハクくんは土浦生まれというのを隠さなかったんだなと思ったけど、言わないでおいた。カハクくんが突然「俺」という一人称を使ったことも言わないでおくほうがいいだろう。
メニューはお魚寄りの普通の定食屋さんという感じでとても親近感がわいた。私はお刺し身定食と天ぷら定食でかなり悩んで結局天ぷら定食アラ汁つきを頼んだ。アラ汁があるのはいいよね。お店の人に「アラ汁だけでなく普通のお味噌汁もありますよ」と言われたけど、私は清水生まれ遠州灘育ちですからアラ汁は大好きなのよ。カハクくんはお刺身定食アラ汁つきを注文した。
出てきたアラ汁と天ぷらは、遠州でなじんだ味とあまり変わらない。天ぷらはワカサギとエビとレンコンだ。エビがプリっといい歯ごたえ。ごはんはおかわりできるというのでつい二杯目も頼んでしまった。だっておいしいんだもん。
「ごはんいっぱい食えるのはいいだ、ええ子が産める」
カウンターのおじさんの言葉を無視してカハクくんがお会計をした。レジのそばに、丸い金属の容器と細長い棒が合体したような古めかしい奇妙なものがあった。これはなんだろうと見ているとお店の人が言う。
「これは矢立ですよ。昔の携帯用筆記用具。うちのシンボルマークみたいなもの」
言われてみれば看板にも箸の袋にもこの絵があった。昔の人も、旅先で考えたことをしたためることがあったのだろう。店を出て車に乗る。カハクくんは相変わらず紳士で車のドアを開けてくれる。どうも慣れない。車のエンジンがかかって、カルチャー・クラブの"Karma Chameleon"が流れ出す。
「実はね」
唐突にカハクくんが言った。何が「実はね」なんだよ、おい。ちょっと怖いぞ。
「明日はバイトが休みなんだ。一日一緒にいられる」
ええええええ。どうしようなんて答えよう、メグ様仏様。メグならなんて言うだろう、そうだ、万博だ。万博のチケット五回券を余らせるわけにはいかないと言おう。
「私、チケット五回券で万博に入ってるの。余らせるともったいないから明日も万博見学するつもりなんだけど」
「いいよ、僕だって富士通パビリオンしか見ていないから万博でいい」
かーまかまかまかーま。
スペースキャビンにたどり着きようやく一人になった。そうだ、今夜もメグに電話しよう。
「で、あんたどうしたいの」
「わからん」
「自分がどうしたいかくらい自分で考えなさいね」
「そりゃそうだよね、ごめん」
「カハクくんとキスくらいしたの?」
「してないよ!」
「ふうん……」
ダメだ、メグに電話しても事態が変わんねえ。ぼんやりしていても埒が明かないから、シャワーを浴びて布団を敷いた。こういうときは音楽だ! ドアーズだ! レッド・ツェッペリンでもいいけど持ってきてない! 私はドアーズのアルバム"Strange Days"を聴いて心を落ち着かせた。なぜだか"Unhappy Girl"が沁みた。
Unhappy girl
Left all alone
Playing solitaire
Playing warden to your soul
You are locked in a prison
Of your own devise
(The Doors"Unhappy Girl")
アンハッピーガール
一人ぼっちで
ソリティアで遊んでいる
きみの魂の看守を演じて
きみ自身が作り上げた
牢獄に閉じ込められて
★★★
カハクくんには茨城の方言をたまに喋ってほしかったのですが書けないので諦めました。カハクくんは「がんばって標準語を喋る」キャラです。それはそれでリアルだと思うので。ささほは方言が微妙に出ます。本人は標準語だと思っている「〜じゃん」に顕著です。これまでの文章にもよく出ています。ささほの言葉づかいが乱暴なのは、女の子らしい言葉を使いたくないからでもありますが、無理して乱暴にしているわけではなく素です。
やたて食堂は実在しませんが、モデルである保立食堂は今も土浦にあります。今もきっとおいしいアラ汁と天ぷら定食を出していると思います。
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