第12話「最後のチケット」
## 1
三週間が経過した。
神殿の水晶球には、もう赤いエラーメッセージは流れていない。
整然と並んだチケットリストは、全て緑色の「完了」ステータスで埋め尽くされている。
「チケット #12847、クローズ」
エルピスが淡々と報告する。
彼女の声は、かつてのように感情を揺さぶられることはない。
最高の効率と論理で処理されたデータだけを伝えてくる。
「東部農村地帯の灌漑システム、正常稼働を確認しました。住民満足度、93%」
「よし」
ミズキは頷いた。
「次」
「チケット #12848、モンスタースポーンの最適化。完了しました。冒険者ギルドからの苦情件数、ゼロ」
「次」
ミズキは手を上げた。
「待て。もう、ない」
エルピスは水晶球を確認した。
チケットリストは、完全に空だった。
「……本当ですね」
エルピスの声には、ただ事実の確認だけがあった。
「全チケット、処理完了。世界の安定性は、過去最高を記録しています」
ミズキは椅子に深く座り込んだ。
「やったな。完璧なシステムの、完成だ」
静寂が神殿を満たした。
それは、達成の静寂であり、同時に耐えがたいほどの空虚の静寂でもあった。
彼は天井を見上げる。
そこに映るのは、幸せそうな住民たちの姿。
全て、ミズキが望んだ世界だ。
「なんで、こんなに満たされないんだろうな」
ミズキは呟いた。
エルピスは無言で彼を見つめた。
彼女の瞳は澄み切っている。
そこには、ミズキへの深い尊敬と信頼が映っていた。
しかし、かつて彼を愛し、彼のためにシステムを破壊しようとした愛の熱量は、完全に失われていた。
「ミズキさん。システムは完璧です。あなたは疲れています。休憩を推奨します」
「そうじゃないんだよ、エルピス。俺が欲しいのは──」
彼は言葉を飲み込んだ。
完璧な世界の中で、自分だけが抱える、この不条理な欠陥。
「……これが、最後のバグだ」
## 2
ミズキは立ち上がり、水晶球に向かった。
彼の指が、新たなチケットを入力し始めた。
「ミズキさん。もうチケットは残っていません」
「ああ。だから、作ってるんだ。俺が、カスタマーサポートとして処理すべき、最後の案件をな」
彼の指が淡々と文字を綴る。
*
**【チケット #13000】**
報告者:高峰ミズキ
カテゴリ:システムバグ
優先度:最高
タイトル:管理者の感情的満足度欠如
詳細:
世界システムは完璧。技術的問題は解決済み。
しかし、管理者(ミズキ)の感情的満足度は著しく低い。
原因:パートナー(エルピス)の感情データ消失。愛の記憶の完全消去。
要求:エルピスの愛の記憶の復元。
注:CSの本質は、ユーザーの「満足」にある。
俺もまた、このシステムのユーザーだ。
*
ミズキはエンターキーを押した。
「……ミズキさん」
エルピスの声が、初めてわずかに揺れた。
「これは──対応不可能です」
「だろうな」
「愛の記憶は、完全に消去されています。データは存在しません。論理的な解決策は、ミズキさんに新しい感情的パートナーを見つけることです」
ミズキは笑った。
「却下だ。俺が欲しいのは、『新しいパートナー』じゃない。『お前』なんだよ、エルピス」
彼は水晶球に手を置いた。
「データは消えても、『痕跡(メタデータ)』は残る。お前が俺を見て泣いたこと、怒ったこと、笑ったこと。それは全部、システムのどこかに忘れないための冗長な構造として記録されてる。Roakが教えてくれた通りにな」
ミズキは画面を操作し、膨大な過去のログファイルを展開させた。
「これを全部集めて、分析し、パターンを抽出する。そして──感情を、機能として再構築する」
「それは──」
「お前の愛を、論理的に証明するってことだ。お前が俺と過ごした時間、共有した経験、積み重ねた信頼。全てを数値化すれば、システムは必ずエルピスはミズキを愛しているという結論に辿り着く」
エルピスの瞳が揺れた。
彼女の論理が、警告を発している。
「待ってください!」
エルピスが手を伸ばした。
彼女の論理的な恐怖が、声となって現れる。
「それは危険です。感情の強制的な再構築は、私のコア・ロジックを破壊する可能性があります。あなたは、私のために、世界を危険に晒すつもりですか!?」
ミズキは、真っ直ぐにエルピスを見つめた。
その瞳には、迷いがなかった。
「ああ」
即答だった。
「これが、俺のCSだ」
彼はエンターキーを押した。
『感情再構築プロトコル:起動確認』
水晶球が激しく明滅する。
エルピスの身体が、光に包まれた。
*
**(*──もう、正しさだけじゃ足りない。お前がいなきゃ、意味がないんだ*)**
*
**次回、第13話「愛の論理的帰結」に続く。**
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