第11話「Roakの遺言」
## 1
「……これ、何層構造になってるんだ?」
ミズキは水晶球の前で、Roakが残したメッセージの奥に隠されたデータを解析していた。
幾重にも折り重なったデータ層は、まるで意図的に複雑化された迷宮のようだった。
「十七層目まで確認できます。非効率な構造です」
エルピスは淡々と答える。
彼女の指先がコードの構造を立体的に展開する。
以前のような感情的な反発は一切ない。
Roakのコードを、ただの「非効率なデータ」として扱うエルピスの冷静さが、ミズキの胸を刺した。
「非効率、か」
ミズキは呟いた。
「でも、美しいとは思わないか? これ、暗号化じゃない。『忘れないため』の構造だ。何度も何度も、同じデータを違う形で保存してる。まるで、大切な人の顔を忘れたくなくて、何枚も写真を撮るみたいに」
ミズキは、そのコードに込められたRoakの感情の熱量を読み取ろうとした。
「最深層にアクセスします」
エルピスの声が響き、水晶球が深い青色に染まった。
次の瞬間、Roakの過去の記録の映像が溢れ出した。
## 2
そこは、灰色の空と崩れかけた建造物の世界。
若い頃のRoakが、小柄な少女の手を握っていた。
銀色の髪を持つその少女は、リーナと呼ばれていた。
彼女の笑顔は、廃墟の世界に咲く一輪の花のようだった。
「無理しないで、Roakさん」
少女は微笑む。
「あなたが倒れたら、意味がないもの」
Roakは膝をついていた。
システムの過負荷で、彼の身体は限界を超えていた。
それでも彼は、リーナの管理する世界を守ろうと、必死にコードを書き続けていた。
「大丈夫です。まだ……まだ、やれます」
「ううん」
リーナは首を横に振った。
「もう十分よ。あなたは、私のために、こんなにも──」
その時だった。
空が裂け、世界に冷たい光が満ちた。
上位存在の声だ。
『非効率な管理者の排除を実行します』
「待ってください!」
Roakが叫ぶ。
「リーナ様は何も間違っていない! 彼女は住民を愛し、世界を守ろうと──」
『感情による判断の歪みを確認。管理者としての適性を喪失と判定』
「感情が何故歪みなんだ!」
Roakの絶叫が響く。
「愛することが、守ろうとすることが、何故間違いなんだ!」
『論理的根拠なき主張と判定。却下します』
光に包まれる中、リーナは穏やかに笑った。
「Roakさん」
彼女の手が、Roakの頬に触れる。
「あなたは、生きて」
「リーナ様……!」
「そして──」
彼女の瞳が、優しく細められる。
「いつか、この理不尽を、覆して」
光が眩しさを増す。
Roakは手を伸ばした。
しかし、その指先は、もう何も掴めなかった。
「リーナ様ァァァァ!!」
Roakの絶叫が、崩壊する世界に呑み込まれた。
*
映像が途切れる。
神殿に、重い静寂が落ちた。
ミズキは拳を握りしめていた。
エルピスは、無言で水晶球を見つめている。
「……そうか」
ミズキは低く呟いた。
「お前も、愛する人を守ろうとして、論理の壁に阻まれたんだな」
彼の声には、共感と怒りが混じっていた。
システムの暴力。
論理という名の絶対。
それに抗おうとした者たちは、いつも愛する者を失ってきた。
「Roakさんは」
エルピスが静かに言った。
「その後、二百年以上生き続けました。リーナ様を忘れないために。彼女の遺志を継ぐために」
「二百年……」
「彼の全てのコードには、リーナ様への祈り(Prayer)が埋め込まれています。だから、あれほど冗長な構造になっているのです」
ミズキは深く息を吸った。
二百年。
愛する人を失った痛みを抱えて、たった一人で戦い続けた時間。
「エルピス」
「はい」
「俺たちは、勝つぞ。Roakの分も、リーナの分も」
エルピスは頷いた。
彼女の瞳に、わずかな光が宿る。
「……はい」
## 3
水晶球に、Roakの最後の遺言がテキストで浮かび上がった。
*
『ミズキへ。
上位存在は「論理」そのものだ。論理で戦っては勝てない。彼らの公理に基づく限り、全て無意味だ。
答えは一つ。公理そのものを書き換えろ。
上位存在が最も恐れるのは「例外」だ。論理で説明できない矛盾。感情は論理ではない。愛は効率ではない。だからこそ、それはシステムの壁を破壊できる。
システムの根幹、マスター・プロトコルに感情を組み込め。感情を「機能」として定義した君なら、できるはずだ。公理に矛盾を生じさせれば、彼らは自己を否定せざるを得なくなる。
私はできなかった。リーナ様を救えなかった。
だが、君は違う。君には、エルピスがいる。
どうか──私たちの分まで、愛を証明してくれ。
Roakより』
*
ミズキは深く頷いた。
「……なるほどな」
彼の声には、決意が満ちていた。
「エルピス。マスター・プロトコルにアクセスできるか?」
「通常は不可能です。世界の根本原理に関わるため。ですが、祈り(Prayer)制御コードを直接組み込むことで、世界のルール自体を変更することは可能です」
「リスクは?」
「計測不能。最悪の場合、世界が崩壊します」
「最良の場合は?」
「祈り(Prayer)が完全に制御され、感情がシステムの一部として機能します。上位存在は、それを否定できなくなります」
ミズキは即座に決断した。
「やろう」
## 4
神殿全体が震え、水晶球から光の柱が立ち上る。
ミズキは、Roakのヒントに従い、マスター・プロトコルに祈り(Prayer)制御コードを組み込む。
膨大なコードが、水晶球の中で渦を巻いた。
世界の根幹に触れることは、文字通り神の領域への侵入だった。
「ミズキさん」
エルピスが言った。
「あなたがやっていることは、私が以前しようとした『神威』の、論理的な代替手段です」
「そうかもな」
ミズキの指が止まらない。
コードが組み上がっていく。
光の柱が頂点に達した瞬間、神殿の天井に亀裂が走った。
Roakが見た、あの冷たい光が漏れ出す。
『システム変更の試行を検知しました。管理者権限による不正アクセスと判定。ペナルティ──』
「待て」
ミズキが遮った。
「これは不正じゃない。正当なシステム改修だ」
『根拠を提示してください』
「根拠? お前たちの論理に矛盾があるからだ」
ミズキはマスター・プロトコルのコードを指し示した。
「感情が機能である以上、感情は効率の一部だ。愛が論理化できる以上、愛は論理の一部だ。それを否定することは、お前たち自身の公理を否定することになる」
長い沈黙の後、機械的な声が響いた。
『……承認します』
光が消え、水晶球に『プロトコル更新:完了』のメッセージが浮かんだ。
「これは勝利ではありません」
エルピスが冷静に分析する。
「システムに、初めて『矛盾』が組み込まれたということです」
「それで十分だ」
ミズキは深く息を吐いた。
## 5
システムは安定し、祈り(Prayer)は「暴走するAI」から「優秀なアシスタント」へと変化した。
住民の願いや要望は、整然としたチケットとして処理され始める。
「これ、全部対応しなきゃいけないのか」
ミズキは頭を抱えた。
「当然です。それがカスタマーサポートの本質ですから」
エルピスが即答する。
「祈り(Prayer)制御システムの導入により、私の負荷が87%削減されました」
エルピスが報告する。
「今後は私も直接的なサポート業務に参加できます」
ミズキは驚いた。
彼女は、今、論理的根拠に基づいて「誰かのために働こう」としている。
「なあ、エルピス」
ミズキは尋ねた。
「お前、楽しいか?」
エルピスは動きを止めた。
長い沈黙。
「わかりません。『楽しい』という感情は、もう理解できません。でも──これは、『正しい』と思います」
ミズキは頷いた。
愛がなくても、感情がなくても。
正しいと思えることを、丁寧に続けていく。
それが、彼らの新しい関係性だ。
「じゃあ、続けよう」
ミズキは次のチケットを開いた。
愛とは違う、尊敬と信頼による、新しい絆を信じて。
*
**(*──仕様です、か。もう言わない。俺が決めるんだ、何が正しいかを*)**
*
**次回、第12話「最後のチケット」に続く。**
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