第三章:消えた小道

夏の光が霧の合間から差し込む。港町の家々は潮風に揺れ、木の窓枠には塩の結晶が白く残っていた。少年は今日も防波堤に座り、老漁師の手元をじっと見つめる。


「この港には、昔の小道があったんだ」


老漁師は網を手に語り始める。少年は網を持つ手を止め、耳を澄ます。


「小道を通ると、港の奥に古い倉庫がいくつも並んでいた。そこには…そうだな、町の人たちが大事にしていた秘密の場所があった」


少年の目が少し大きくなる。秘密、という言葉は、いつだって好奇心を刺激する。


「その倉庫に、子どもたちが残していったものがあった。絵や手紙、古い漁具…誰も忘れてしまったけど、港の匂いの奥に残っているんだ」


少年は無言で頷く。霧の中、遠くの波止場に打ち寄せる小波の音が、まるで昔の記憶を運ぶかのように聞こえた。


「お前もいつか、何か残すことになるだろうな」


老漁師の言葉はさらりとしているが、どこか含みがある。少年は網を握る手に力を入れる。


その時、港の向こうから風に乗って懐かしい潮の匂いが漂う。少年は胸の奥で、まだ言葉にならない約束の気配を感じた。


二人は今日も、無言のまま作業を続ける。網を直す手のリズム、波の音、潮の匂い――すべてが少しずつ、港町と二人の過去を紡ぐ糸となっていく。

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潮の匂いと忘れられた約束 羽ペン @kirisamejum

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