【運命のライブ編】第3話
控室の空気は、期待と興奮、そして未知への恐怖が入り混じった、奇妙な熱気に満ちていた。
メイクスタッフが慌ただしくメンバーたちの顔にブラシを走らせる。
ライブを終えたばかりの火照った肌に、ひんやりとしたパウダーが乗せられていく。
しかし、メンバーたちの意識は、鏡に映る自分の顔にはなかった。
彼女たちの頭の中は、これから現れるという「K」という男のことで、埋め尽くされていた。
「えーどんな人なんだろう」
「なんで私たちのライブに来たんだろうね?」
ミジュとサラが小声で囁き合う。
その隣で、カエデは唇を結んでいるが、その表情は硬い。
そして、ソユンはリーダーとしての重圧からか、何度も深呼吸を繰り返していた。
「ソユン、そんなに緊張しなくても――」
見かねたカエデが言葉をかけた、その時だった。
コン、コン、と控えめなノックの後、控室のドアが静かに開かれた。
最初にメンバーたちの目に飛び込んできたのは、事務所の社長と、いつもふんぞり返っている主要スポンサーの重役たちの姿だった。
当然、彼女たちが、これまで散々挨拶という体で感謝の言葉を述べさせられ、頭を下げてきた存在だ。
しかし、彼らの様子は普段と全く異なっていた。
彼らは、見たこともない深い角度で腰を折り、頭を下げ、まるで新入社員の頃に戻ったかのように、ドアの脇に道を開けて頭を下げ続けている。
その異様な光景に、FLORIAのメンバーは「K」という男が、いかに自分たちの住む世界の常識を超えた存在かを、無意識に感じ取った。
そして、その先に、一人の男が立っていた。
黒曜石のような、全てを見透かす瞳。
寸分の隙もなく仕立てられた最高級のスーツ。
そして、彼がそこに存在するだけで、周囲の空間が歪んで見えるほどの、圧倒的なオーラ。
一目見て、4人の脳は明確に自覚した。
この男は、これまで会ってきたどんな大人気俳優とも、どんな大物アーティストとも、次元が違う。格が違う。存在そのものの密度がまるで違う。
それと同時に、4人は無意識に一抹の不安がよぎっていた。
この男を知ってしまったら、もう他のどんな男性でも心が満たされることはないだろう、と。
それは抗いがたい予感だった。
「なにあれ…!!」
「ちょっと…やば…!」
K本人には聞こえないくらいの、か細い声で、彼女たちは囁き合った。
それはまるで、学校で一番人気の先輩を遠くから見つけた女子生徒たちが、こそこそと感想を言い合うような、無垢で、純粋な反応だった。
Kが、静かに一歩、室内へと足を踏み入れる。
その瞬間、今までざわついていた控室の空気が、ぴんと張り詰めた。
Kは、ゆっくりと彼女たちに近づく。
その視線が、4人の顔を順番に、品定めするように捉えた。
一秒、二秒…永遠にも感じられる沈黙。
リーダーであるソユンは、その圧倒的な存在感に完全に呑まれ、喉が張り付いたように、挨拶の言葉が出てこない。
まずい、何か言わなければ。
ソユンが焦燥感に駆られた、その時。
Kが、気を利かせたように、わずかに口を開きかけた。
しかし、その、ほんの一瞬早く。
「あ、あの!Kさんですか!?やばい!かっこよすぎます!」
沈黙を破ったのは、ミジュだった。
170cmというモデル顔負けの長身を持つ、大きなぱっちり二重の
その瞬間、メンバーたちの背後で控えていたマネージャー陣や、事務所の上層部の背筋が、カッと凍りついた。
(失礼にもほどがある!)
しかし、彼らが青ざめる間もなく。
「ふっ…」
Kの口元から、柔らかな笑みがこぼれた。
それは、彼の冷徹なイメージを覆す、あまりにも自然で、優しい微笑みだった。
(ミジュ、ナイス…!!)
ソユンは心の中で叫んだ。
ミジュのおかげで、張り詰めていた空気が、少しだけ和らいだ。
彼女は、まだ震える声で、しかしリーダーとしての責任感を振り絞り、一歩前に踏み出した。
「ほ、本日は、私たちのライブにお越しいただき、ありがとうございます!私たち、FLORIAです!」
ソユンの掛け声に合わせ、4人は完璧な角度で、深く頭を下げた。
顔を上げると、Kは穏やかな表情で彼女たちを見ていた。
「初めまして。疲れているところ…ごめんね。途中からだったけど、初めて君たちのライブを見たんだ。……とても可愛くて、そしてカッコよかった。良かったら、これから応援しても良いかな?」
その言葉に、4人は顔を見合わせ、満面の笑みで「ぜひお願いします!」と声を揃えた。
大富豪からの、あまりにも甘い申し出。
断る理由など、どこにもなかった。
すると、Kは無言のまま、すっと右手を差し出した。
握手を、求めている。
本来、関係者がアイドルに、特に許可なく身体に触れようとすることはご法度中のご法度だ。
普段ならすぐにマネージャーが制止に入るべき場面。
しかし、役員たちは動かなかった。
それどころか、Kという巨星が「応援する」という言葉を発したことに、驚き、そして絶対的な勝利を確信し、打ち震えていた。
むしろ一瞬、止めようと身じろぎしたマネージャーを、上層部の役員たちが、鬼の形相で睨みつけ、その動きを封じる。
そして、当のFLORIAのメンバーたちもまた、その差し出された手に対して、アイドルとしてのルールなど、完全に頭から消え去っていた。
世界の頂点に立つに相応しい圧倒的なオーラを持つ男性が、自分に手を差し伸べている。
ただの、一人の乙女として、その手を握り返さない選択肢はなかった。
ソユンから順番に、4人は吸い寄せられるように、その大きな手を、両手で包み込むように、強く握った。
4人全員との握手を終えると、Kは少し名残惜しそうな顔で言った。
「残念だけど、もう帰らないといけなくて…。また会えると良いな。それじゃ。」
そう告げると、Kはあっさりと、役員たちが慌てて開けたドアの向こうへ消えていった。
秘書のアンナは、Kと共に部屋を出る際、内心大きな衝撃を受けていた。
(まさか会長が、これほど気に入られたとは…)
この時、この空間でアンナだけが確信していた。
これは単なる気まぐれではない。
会長がここまで強い興味を示した対象が、これまでと同じ”ただのアイドル”としていられるはずがない。
世界のバランスを根底から覆す、巨大な物語の始まりになる、と。
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