【運命のライブ編】第2話

アンナがFLORIAの所属する事務所の役員へ話をつけるため、VIPルームを飛び出すと、控えていたスポンサーの役員たちも、慌ててその後を追った。


彼らの心理状態は、混乱という生易しい言葉で表現できるものではなかった。


”あの”Kが、まだ人気が出始めたばかりのアイドルグループに「挨拶をしたい」と要求した。


その一報は、見えない衝撃波となって、会場の権力者たちを直撃した。


「K会長が…FLORIAに、挨拶を…?」


報告を受けた事務所の役員は、顔から血の気が引いていくのを感じた。


業界の上にいればいるほど、Kという男の恐ろしさを、噂として、あるいは実体験として知っている。


彼に盾突いた巨大企業が、一夜にして買収され、その手中に収められた話を何度も聞いてきた。


それに、女性にうつつを抜かしているという話は聞いたことはない。


そんな男が、なぜ。

一体、何のために。


「大至急!マネージャー陣を全員集めろ!今すぐにだ!」


事務所役員たちの叫び声が響く。


彼らは完全にパニックに陥りながらも、この未曾有の事態を乗り切るため、FLORIAのマネージャー陣を楽屋裏の一室に呼びつけた。


「緊急事態だ!とんでもない大物が、FLORIAに会いたいと言っている!」

「絶対に、絶対に失礼のないようにしろ!」

「ライブが終わったらすぐメイクを整え、最高の状態で、お迎えするんだ!」

「いいか、今は、この挨拶のこと以外、何も考えるな!全神経を集中させろ!」


役員たちはすでに統率が取れておらず、各々が考えなしに怒鳴ってくる。


詰め寄られたマネージャーたちは、ただ青ざめた顔で頷くことしかできない。


その中の一人だった美咲も、異常な緊迫感に、ただただ圧倒されていた。


「美咲!」


チーフマネージャーが、鬼の形相で美咲の肩を掴む。


「急で悪いけど…4人が戻ってきたら、K会長について説明して!メイク直ししてる間に、できる限り!」


「は、はい…!」


その名前はもちろん、社会人として美咲も聞いたことはある。


しかし、それは新聞や経済ニュースで目にする、雲の上の、現実感のない存在。


(なんで、そんな人が、あの子たちに……?)


FLORIAがステージから戻ってくるまでの僅かな時間で、美咲はスマートフォンの検索欄にその名前を打ち込んだ。



K。世界一の大富豪。

世界最大の金融グループ「KFG」の会長。

日本人でありながら、世界中の政財界に絶大な影響力を持つ男。

そして、若く、その端正な顔立ちから、日本に留まらず世界のカリスマ的存在。


調べれば調べるほど、完璧すぎて現実味のないスペック。


当然…女性だって選び放題のはず。

なぜ、自分が担当するFLORIAに?


美咲の頭は、情報量と恐怖でパンクしそうだった。


***


その頃、ステージ上では、アンコール曲を終えたFLORIAは、鳴り止まない大歓声に包まれていた。


彼女たちは最高の笑顔でファンたちに応え、夢のような時間の終わりを惜しみながら、ステージの裏へと姿を消した。


本来であれば、この後は心地の良い疲労感を感じながら少しの休憩を挟み、ファンクラブ限定のハイタッチ会、そして業界関係者への挨拶回りが待っている。


メンバーやスタッフとライブ成功の喜びを分かち合う素敵な時間が流れるはずだった。


しかし、彼女たちがバックステージに足を踏み入れた瞬間、その期待は粉々に打ち砕かれる。


「みんな!緊急事態なの!とりあえず全員、そのまま急いで楽屋控室へ向かって!」


待ち構えていたチーフマネージャーが、血の気の引いた顔で叫んだ。


そのただならぬ様子に、メンバーたちの間にも緊張が走る。


「えっ?何があったんですか?」


ミジュが疑問を口にするが、答えは返ってこない。


「……さぁ…」


いつもは冷静なカエデも、初めて見るほどのスタッフの大慌てぶりに、表情をこわばらせている。


4人は何事かと不安を抱えながら控室へと早足で向かう。


楽屋まで向かう間、すれ違うスタッフはもちろん、普段は落ち着き払っているリーダークラスの人間たちも、信じられないほど慌てふためいている。


一体、何が起きたのか。


息を切らして誘導された控室のドアを開けると、そこには美咲と、数人のメイクスタッフが、硬い表情で待ち構えていた。


「あっ…皆さん、お疲れ様でした!素晴らしいステージで……!」


美咲は手短に、しかし、どこか心のこもっていない労いの言葉をかけると、すぐに本題を切り出した。


「申し訳ないのですが、全員すぐにメイクを直してください。その間に、事情をご説明します」


訳も分からないまま、歓迎ムードのかけらもない状況で、いきなり「メイクを直せ」と指示される。


ライブをやり遂げた高揚感を無下にされたメンバーたちの顔に、隠しきれない不満の表情が滲む。


「えー!?なんでですか?疲れてるんですけど!」


サラは素直に不満を口にする。


美咲はそれを敏感に感じ取り、深く頭を下げて謝罪した。


「ごめんなさい…!」


しかし、震える声で、状況を説明し始める。


「実は、とんでもない方から、皆さんに直接ご挨拶がしたいと、お話があるようでして…」


その言葉に、メンバーたちは顔を見合わせる。


と同時に、サラとミジュはさらに露骨に嫌な顔をした。


(またどこかの社長か、有名な芸能人とか……?)


アイドルとして、これまで散々媚びを売って色んな人へ挨拶をしてきた。


だが、ライブ直後に押しかけてくるなんて、非常識にもほどがある。


2人が揃って文句を言いかけた、その時。


ふと何かを思いついたように、カエデが口を開いた。


「…もしかして、あの席にいた人、ですか?」


その一言で、他のメンバーも思い出す。

ライブの終盤、カエデが指差した、あのVIP席。


美咲は驚きながらも頷いた。


「えっ?あ、はい、中央のVIP席のことでしたら、そうです」


そして続けて、美咲は先ほど頭に叩き込んだ情報を、ゆっくりと、しかし必死に語り始めた。


「その方の、お名前は…Kさんと申します。皆さんもご存知かもしれませんが、世界で一番お金持ちの方です。それも、圧倒的な差をつけて…」


「え!?世界一?」


ミジュが素っ頓狂な声で聞き返す。


不機嫌だったメンバー間の空気は、一瞬で驚愕という名の空気に塗り替えられた。


「はい。彼が率いるKFG…Kフィナンシャルグループは、世界の金融システムの心臓を握っているらしいです。その資産は、もはや国家予算を超え、彼の一言で市場が動きます。世界の政財界にも、計り知れない影響力を持ち、そして…」


美咲は一度言葉を切り、ゴクリと唾を飲み込んだ。


「…日本人の方で、まだ30代と、非常にお若いです」


その言葉に、控室の空気が一変する。


驚愕から、信じられないという疑念、そして、得体のしれない何かへの好奇心へ。


「私も名前だけは聞いたことあるけど、そんなにヤバい人なの!?」


サラは持ち前の好奇心により、不満や疲労よりも興味と興奮が上回ったようだった。


目をキラキラと輝かせ、信じられないといった様子で声を上げる。


「30代で世界一!?アニメの主人公じゃないですか!」


ミジュもサラにつられるように、笑いながら興奮した声を上げた。


カエデは冷静を装ってはいたが、その瞳は大きく見開かれ、目の前の現実離れした情報に、思考が追いついていないようだった。


「美咲さん!美咲さん!」


ミジュが美咲に詰め寄る。


「その人、顔は!?顔はどんな感じなんですか!?」


最年少の少女の純粋な質問に、張り詰めていた空気がふっと緩む。


美咲は少しだけ微笑むと、ためらいながらも、ポケットからスマートフォンを取り出した。


「…私も、先ほど検索しただけなのですが…その……」


美咲は言葉を選びながら、検索結果の画面をミジュに見せた。


「わっ!」


画面を覗き込んだミジュの、小さな悲鳴のような声。


その声に、他のメンバーも一斉に集まり、小さな画面を食い入るように見つめた。


そこに写っていたのは、冷たいほどの美貌を持つ、一人の男だった。


シャープな輪郭、通った鼻筋、そして、全てを見透かすような、鋭く知的な瞳。

アイドルや俳優として活動している自分たちが、思わず息をのむほどのルックス。


しかし、彼が纏うオーラは、決して芸能人のそれではない。


それは、世界をその手で動かす者だけが放つことを許された、絶対的な支配者のオーラだった。


「か、かっこいい…!」


ミジュが、夢見るような声で呟く。


その隣で、サラも「ハリウッドスター!?」と感嘆の声を漏らした。


つい先ほどまで不満だらけだったはずの控室は、今や、未知の存在への期待と興奮で完全に沸騰していた。



しかし一人だけ、リーダーのソユンだけは、輪から少し離れて、静かに唇を噛み締めていた。


「世界一…」


これまでグループを代表して挨拶する際は、いつもリーダーの自分が前に立っていた。


(私はこれから、世界一の人に挨拶しなくちゃいけない…?)


彼女の心は、他のメンバーが抱くワクワクとした感情とは裏腹に、経験したことのないプレッシャーに押し潰されそうになっていた。

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