第五章 春の街で

朝の光がカーテン越しに差し込んで、

部屋の空気が少しだけ甘く香った。

窓を開けると、外の空気はまだ少し冷たい。

でも、頬に触れる風の中に

ほんのり春の匂いが混ざっていた。


――冬の夜、あの駅で抱きしめ合ってから、

季節がひとつ巡った。


クレアと過ごす毎日は、

驚くほど静かで、優しくて、

でもその中に小さなときめきがいくつも隠れている。


朝のカフェで並んで座ること。

手を繋いで街を歩くこと。

そんな何気ない瞬間が、

心の奥をゆっくりと満たしていく。


私はコーヒーを飲みながら、

クレアの横顔を盗み見る。

光に透ける髪の色、

笑ったときに少しだけ下がる目尻。

どんな言葉よりも、

その表情ひとつひとつが愛しくてたまらない。


「なに?」とクレアが微笑む。

「ん、なんでもない。見てるだけ」

そう言うと、クレアは少し照れたように笑った。


外では、通りを渡る人たちが

春の光を浴びながら歩いている。

金木犀の香りはもう消えたけれど、

代わりに新しい風が吹いていた。


「ねぇ、クレア」

「ん?」

「冬の夜、覚えてる?」

「もちろん。……だって、あの夜から今が始まったんだもん」


その言葉を聞いた瞬間、

胸の奥がじんわりと熱くなった。

あの日の“だいすき”が、

今でも心のどこかで光を放っている。


私は思わず笑って、クレアの手を握る。

「私も――いま、すごくしあわせ。」


クレアは何も言わずに、

ただ静かに指を絡めてきた。

それだけで、言葉よりも深く伝わるものがあった。


春の街は、あの日のように光で満ちている。

だけど今度はもう、

“ひとり”じゃない。


――季節は変わっても、心はずっと隣にある。

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