第15話 雷の理
帝国本土から西へ二時間。
ヘリの窓外に広がるのは、果てしなく連なる巨大な山岳地帯だった。
切り立った渓谷。
山の斜面に剥き出しになった岩肌。
その岩壁に、張り付くようにして建てられた独特の建築群――木材と黒い石を組み合わせた、要塞と住居の中間のような景観。
ここが、山岳小国グラルド。
帝国と西方諸国を隔てる天然の盾であり、同時に“帝国の西の門番”とも呼ばれる国だ。
(相変わらず険しい場所だ……)
グレイは窓の外を眺めながら、静かに息を吐いた。
黒い軍コートの襟を指先で整える。
今回の赴任は――左遷ではない。
いや、表向きは「昇進に伴う大規模駐屯地の統治任務」。
階級は中佐。軍歴から見ても、十分に異例の早さと言えた。
だが実態は、帝国内部の政治的均衡を取るための“配置換え”だ。
(本土から遠ざけられたのは事実だが……ここなら、やりようはある)
ヘリが渓谷沿いに高度を下げ、グラルド駐屯地が視界に入る。
岩肌を削って造られた巨大な軍施設。
周囲の木造家屋とはまったく異質な、屈強な帝国式建築だ。
連絡員が声を上げた。
「中佐閣下、もうすぐ着陸いたします!」
「了解した」
ヘリが地面に降りていく。
ローターの風に砂利が舞い上がる中、駐屯地の兵士たちが整列していた。
だが――その雰囲気は、決して歓迎ムードではなかった。
⸻
ヘリのドアが開き、グレイが降り立つと、兵たちのざわめきが静かに流れた。
「……あれが、新しい司令官だとよ」
「中佐? あんな若造が?」
「どうせ本国で問題起こしたんだろ。異動っていう名の島流しだな」
ひそひそ声が風に混ざる。
悪意と疑念、そして上官に対する敬意の欠片もない雑談。
兵達はグレイを、どこか値踏みするような眼差しで見る。
それを耳にしても、グレイの表情は微動だにしない。
「初めまして。中佐グレイ・アークライトだ」
簡潔な挨拶。
その声は抑揚を抑え、冷静で、聞く者の背筋を自然と伸ばす力がある。
しかし兵士たちは、形だけの敬礼で返しただけだった。
(……腐っているな)
目の前の光景だけで、駐屯地の状況が分かった。
規律の弛緩。
権威への軽視。
上官が変わるたびに悪い噂を流し、内部で小さな王国を作り、ルールを勝手に書き換える。
帝国軍の辺境駐屯地にありがちな病巣――グレイはそれを、嫌というほど見てきた。
だからこそ、対応は分かっている。
(まずは根を断つことからだ)
グレイは兵たちの視線を受け流しながら、そのまま庁舎へ向かった。
⸻
庁舎の執務室には、前任の大佐が残した書類が山積みにされていた。
「では、中佐閣下。これがグラルド駐屯地の現在の業務記録です」
副官が分厚い資料を机に置く。
グレイは椅子に腰を下ろし、一枚ずつ丁寧に目を通した。
開いて数分――眉がわずかに動く。
(……酷いな)
書類は正規のものより“余計な項目”の方が多い。
──【物資調達費:不明】
──【道路補修費:担当者不在】
──【接待費:***ゴールド(明細無し)】
──【駐屯地特別手当:支払い過多】
──【現地協力費:未承認のまま支出】
──【不良兵士による私的流用と思われる記録】
極めつけは――。
「……賄賂の痕跡が露骨すぎる」
グレイは書類を指で弾き、静かに呟いた。
副官は小さく頭を下げる。
「前任の大佐が、現地の有力者と癒着していたようで……。
帝国軍としては目を瞑っていた部分もありましたが……」
「今日から、それは終わりだ」
グレイは短く断言した。
その瞳は、一切揺らいでいなかった。
⸻
日が沈んだ頃、駐屯地の全兵が中庭に集められた。
ざわざわとしていながら、どこか締まりのない緊張感。
兵たちは皆、
「またどうせ形式的な挨拶だろ」
「若造のくせに何を言うんだ」
「本国で失敗したやつはだいたい小物」
と、好き勝手に呟いている。
そんな中――グレイが壇上に立った。
月明かりが軍服の肩章に反射し、中佐の徽章が重々しく輝く。
「静粛に」
静かだが通る声。
数秒後、ざわめきは消えた。
「俺がこの駐屯地に配属された理由を、好き勝手に推測している者も多いようだが――」
兵士たちが気まずそうに顔を見合わせる。
「その想像はどうでもいい。
ただひとつだけ、ここで明確にしておく」
グレイはゆっくりと視線を横に流した。
「俺が来たからには、“今まで通り”だと思うな」
静寂。
「今日確認しただけでも、業務の怠慢、物資の横流し、賄賂、私的流用、不法徴収、報告の改ざん……。
この駐屯地は、帝国軍として崩壊寸前だ」
兵士たちの顔がこわばる。
「明日から全ての部署で検査を実施する。
帳簿、物資、訓練、勤務態度――隠し事は全て明るみに出ると思え」
ざわめきが広がる。
「腐敗は切り捨てる。
犯罪行為には軍法を適用する。
内部の不正を黙認するつもりは一切ない」
震える兵士さえいた。
しかしグレイの声は淡々としている。
「言っておくが――俺は“罰するため”に来たわけではない」
表情は冷静だが、その奥には確かな意志が宿っていた。
「ここを、本来あるべき“帝国軍”の姿に戻すためだ。
それができる者だけが、俺についてくればいい」
その言葉に、初めて兵士たちが息を飲んだ。
威圧ではない。
怒りでもない。
ただ揺るぎない“指揮官”としての覚悟だけが、そこにあった。
(……本物だ)
(噂と違う……)
(この人なら……)
兵たちの視線が、わずかに変わっていった。
⸻
翌日。
グレイはさっそくグラルド政府との会談を行った。
グラルドは小国だが、王政ではない。
選挙によって選ばれた行政長と、数名の評議員による自治体のような構造を持つ。
会談場所は山の斜面に建つ政府庁舎。
窓の外には渓谷の絶壁が広がっており、空には鷲が舞っていた。
「ようこそ、グラルドへ。
お噂は聞いておりますよ、アークライト中佐」
落ち着いた声で迎えたのは、行政長のカダン・ベラルド。
白髪混じりの髪に、細い目。
交渉に慣れた、熟練の政治家という印象だ。
他に、
● ソレイン・タルミド(財務担当評議員)
● マルダ・キース(防衛担当)
● ユグラ・ルオス(外交担当)
と、主要評議員が顔を揃えていた。
「ご存知の通り、我々グラルドは今、深刻な財政難に直面しております」
「帝国からの援助金がなければ、行政機能が止まる状態です」
「しかし、援助に頼り続けるわけにはいきません」
評議員たちはそれぞれの資料を示しながら状況を説明する。
(予想以上に逼迫している……)
グレイは静かに耳を傾けながら、時折メモを取った。
会談の途中、カダン行政長が言った。
「帝国は、グラルドを西方防衛の重要拠点と見ています。
しかし、この国が自立しなければ、帝国への負担も大きい。
中佐……あなたは、どうお考えです?」
グレイは即答した。
「依存を断つための内政改革が必要だ。
行政、財務、軍事、流通……全てを見直す必要がある」
評議員たちが互いに顔を見合わせる。
彼らは半信半疑だったのだろう。
だが、グレイの声音には不思議な説得力があった。
「帝国軍は軍事を担当します。
しかし、行政の自立はあなた方が主役だ」
ソレイン財務評議員が小さく息を吐いた。
「……中佐。
帝国から来た人間に、そこまで言っていただけるとは思いませんでした」
「強い国は、自ら立つ者によって作られるものだ」
その言葉に、評議員たちの表情が少し柔らかくなる。
「……あなたを信用しましょう、中佐アークライト」
「協力して、グラルドの未来を立て直してください」
こうして、
グレイ=アークライトはグラルド政府から強い信頼を獲得した。
これが後に、帝国とグラルドの“運命の結び目”となる。
⸻
会談も終わりかけたころ、
防衛担当のマルダがふと資料を取り出した。
「……そうだ、中佐。
今回の議題とは少し外れますが、どうしてもお伝えしたい人物がいます」
「人物?」
「はい。このグラルドの山林で狩人として暮らしている男なのですが……」
マルダは資料を机に置いた。
「“ボルガンドラーク”。
昔は名のある雷術士だったとも噂されております」
グレイの指がピタリと止まった。
(……ボルガン)
聞き慣れた名。
セイクリッドルート――雷の理を司る男。
「今は狩りで生計を立てており、収穫量、野獣討伐数、どれを取っても規格外。
グラルドの食糧供給の三割近くを“ひとりで”賄っているんですよ」
「三割……?」
常識では考えられない数字だ。
「本人はあまり人前に出ませんが……政府としても彼は重要人物です。
一度、会ってみてはいかがでしょう?」
「会いたい。段取りを頼めるか」
評議員たちが頷いた。
「もちろんです、中佐。
数日中に案内役をつけましょう」
グレイは静かに息を吐いた。
リヴィアを、セイクリッドルートへ導くため。
その過程で自分もまた、理へと近づいてきた。
グラルドの山奥で、雷の化身が息を潜めている。
⸻
会談を終えた帰り道、グレイは渓谷の風を感じながら歩いていた。
遠くで狼の遠吠えが響く。
岩肌に建った家々の明かりが、夜の山を照らしている。
(腐敗した駐屯地の改革。
財政難のグラルドの自立支援。
ボルガンドラークへの接触――)
どれも簡単な仕事ではない。
だがグレイの足取りは重くなかった。
(この国を立て直すことは、すなわち――
俺自身の“使命”を果たすことに繋がる)
リヴィアがムラサメへ向かうように。
自分もまた、“雷の理”へ辿り着く場所に立っている。
「……待っていろ、ボルガン」
低く、夜風に溶けるような声。
そして、翌朝――。
ヘリも車両も使えない岩山地帯。
グレイは最低限の装備だけを背負い、単身で山道に踏み込んだ。
案内役の同行を勧められたが、行き道だけを聞き、同行は断った。
冷たい風が岩肌をなで、谷底からは川の轟音が絶えず響いている。
足場は狭く、崩れかけた山道を慎重に進まなければ、一歩で奈落だ。
(リヴィアは今ごろ、シキナか……)
ふと、別方向へ向かった少女の姿が脳裏をかすめる。
(俺も、ここで立ち止まっている暇はない)
帝国は動いている。
レムナスで流れた血は、きっとまだ序章に過ぎない。
止められる手札があるなら、どんな危険だろうと取りに行く価値はある。
やがて、風向きが変わった。
空気の匂いが違う。
乾いた岩の匂いに、焦げた鉄のような、鼻を刺す気配が混じる。
(……魔力だな)
谷をひとつ回り込んだ先。
狭い平地がぽっかりと開け、その中央に、丸太と石で組まれた簡素な小屋が一つ。
その前に――男が立っていた。
髪はぼさぼさの灰色、無精ひげに、分厚い肩。
毛皮を雑にまとい、片手には奇妙な形の槍を引きずっている。
槍というよりは、雷を落とす避雷針のような、黒い金属の棒。
グレイが一歩踏み出すと、その男の金色の瞳が、こちらを真っ直ぐに射抜いた。
「……帝国の匂いがするな」
低く、地鳴りのような声だった。
「ボルガンドラーク」
グレイは名を呼ぶ。
「ディナシア帝国軍中佐、グレイ・アークライトだ。話があって来た」
「話だとよ。山奥までご苦労なこった」
ボルガンは鼻で笑い、槍の石突きを地面に突き立てた。
ゴッ、と鈍い音が響く。
同時に、足元の土が一瞬だけ白く光ったような気がした。
次の瞬間。
「っ――!?」
グレイの身体に、見えない何かが巻きついた。
重い鎖のような抵抗。
四肢に力を込めようとしても、まるで自分の身体ではない。
視線だけ下に落とすと、土の中から伸びた“光の鎖”が、いつの間にかグレイの腕と足首を絡め取っていた。
「山に入ってきた時から分かってた。帝国の魔力は、山の外でも鼻につく」
ボルガンがゆっくりと歩み寄る。
「この谷は俺の領分だ。踏み込んだ瞬間、お前の動きは全部“雷脈”に流れ込む」
グレイは、わずかに息を吐いた。
(……これが、セイクリッドルート)
先ほどの動きには、一切の“詠唱”も“構え”もなかった。
ただ槍を地面に触れただけで、あらかじめ仕込んでいた罠が発動したのだとしても、その精度と速度は常軌を逸している。
「本来なら、このまま谷底に落としてもいいんだがな」
ボルガンはグレイの目の前に立ち、見下ろした。
近くで見ると、その身体に否応なく目を引きつけられる。
山で鍛え上げられた筋肉。
なのに、その筋肉よりさらに濃く感じるのは、“魔力の筋”だ。
皮膚の下を走る雷光のようなものが、時折ちらりと見える。
人間の枠を、どこかで踏み外している。
「帝国兵は嫌いだ。山を削り、雷を怖がり、金で人を縛る」
ボルガンの声が低く荒ぶ。
「グラルドに兵を置いてるのも気に食わねえ。あいつら、本気で山を守ろうなんざ思っちゃいねえからな」
「……知っている」
グレイは短く言った。
「腐っている部分も、利権も、全部とは言わないが、ある程度は見た」
「で?」
ボルガンの眉がわずかに動く。
「だから何だ? 情けを乞いに来たか?」
「違う」
グレイは、鎖に縛られたまま、真っ直ぐに男を見返した。
「修行をつけて欲しい」
ボルガンの瞳が、ぴたりと止まる。
「……は?」
「雷のセイクリッドルート、ボルガンドラーク。あんたの力が要る」
グレイは続けた。
「帝国は、このまま行けば世界を相手に戦争を仕掛ける。レムナスは、そのための“導火線”だ」
言葉に感情が乗る。
レムナスの炎と鐘楼の崩壊、カラムの最期、リヴィアの焦げた肌が、脳裏に焼き付いている。
「このままじゃ、小国は皆潰れる。革命軍も呑まれる。天界も魔界も、どこかで巻き込まれるかもしれない」
「…………」
「それを止めるには、帝国の中枢に、戦場に、深く入り込む必要がある」
グレイの声は静かだが、その奥に焦燥がある。
「俺一人でどうにかできるとは思ってない。でも、やれることは全部やる」
ボルガンは黙って聞いていた。
「そのために力が要る。あんたのような“理”に触れた者の力が」
「……帝国の犬が、偉そうに“理”だとよ」
ボルガンは呆れたように笑った。
だがその笑いには、先ほどまでの露骨な敵意は薄い。
「鎖を締めてやろうかと思ったが、口だけはよく回る」
「口だけじゃない」
グレイは言った。
「少なくとも、黒幕にはかなり近づいてる」
「ほお?」
「名前を出しても知らないだろうが、ヴァルグレイス将軍。軍務部統括レイリット。議会のハイゼン議員」
淡々と名を挙げていく。
「この三人のどこか、あるいはその間に、何かがいる。
“人間”ではない何かが」
ボルガンの金色の瞳が、そこで初めて鋭くなった。
「……面白えな」
ごりっと音を立てて、男が槍の柄を握り直す。
「人間のくせに、そこまで嗅ぎつけてるとは」
足元の光の鎖が、一瞬だけ強く締め付け――
次の瞬間、ふっと消えた。
身体の自由を取り戻し、グレイは僅かによろめきながらも、すぐに姿勢を立て直す。
「雷に焼かれた感覚は?」
ボルガンが尋ねる。
「正直に言うと、二、三日寝込みたい気分だ」
グレイは額の汗を拭った。
「でも、断られたとは、まだ聞いていない」
「ははっ」
ボルガンは、喉の底から笑い声を漏らした。
山にこだまする、豪快な笑いだ。
「いいだろう。気に入った」
「……?」
「帝国が嫌いでも、世界が嫌いとは言ってねえ。そこがまだマシだ」
槍の先端が、グレイの胸元を軽く突く。
魔力は乗っていない。ただの軽い合図。
「俺はボルガンドラーク。雷のセイクリッドルートだ」
あっさりと、自身の正体を口にした。
グレイは一瞬だけ目を見開き、すぐにそれを飲み込む。
「セイクリッドルートってのはな」
ボルガンは小屋の前の丸太にどっかと腰を下ろした。
「世界の“理”に、半分足を突っ込んじまった連中だ。人の枠からはみ出してるぶん、やたら面倒くさい」
「風のオルド。木のミラ。土のネフェリス。斬のムラサメ」
一本一本、指折り数えていく。
「それから、俺――雷のボルガンドラーク」
最後の一本の指を、少しだけ間を置いてから立てた。
「光のヴァルルシオン」
その名を聞いた瞬間、空気が変わった。
山の風がぴたりと止まり、谷底の水音が遠くなるような感覚。
「……ヴァルルシオン」
グレイは復唱する。
「光の理。昔の伝承に、うっすらと記録が残っていた名前だ」
「ああ。昔はそう呼ばれてた」
ボルガンの声に、わずかな苦味が混じる。
「だがこいつだけは、他の連中と違った」
「違った?」
「他のセイクリッドルートはな、だいたいが“理の暴走”を押さえ込むために、自分の身体を器にした連中だ」
ボルガンは淡々と語る。
「世界の均衡を守るために、“余った力”をどこかに逃がす必要があった。その行き先が俺たちだ」
「お前が会いに行こうとしてる連中も、みんなそうだろうよ。
オルドにしろ、ムラサメにしろ、ミラにしろ」
グレイは頷く。
リヴィアをムラサメのもとへ向かわせた理由が、あらためて胸の中で形を持つ。
「だが、ヴァルルシオンだけは違う」
ボルガンの目が細められる。
「奴は、“自分の理のために世界を利用する”タイプだった」
その言葉に、嫌な予感が背筋を走った。
「世界の調和だの均衡だの、言葉は綺麗だったさ。
だが本音は違う。“正しい形”に揃えたがる。自分の決めた“光のルール”に、全部当てはめたがる」
「それは……」
「絶対に、戦争を悪用するタイプだ」
グレイの胸の内で、何かがカチリと噛み合う音がした。
「昔、ヴァルルシオンは封印されたはずだった」
ボルガンは続ける。
「天界と魔界の揉め事に首突っ込んで、色々やらかした結果な。
“光の理”そのものを封じたはずだ」
「はず、ってことは」
「どうも、その封印が怪しい」
ボルガンは谷の向こう、帝国のある方角を顎でしゃくった。
「ここ数十年、帝国の“光属性兵器”の伸び方がおかしい。
魔導砲、照準装置、魔力無効化装置の基礎理論……
あれらの背後に、“光の理”に触れてる奴の影を感じる」
グレイは言葉を失う。
「最初は、帝国に優秀な技術者がいるだけかと思った」
ボルガンは肩をすくめる。
「だが、レムナスの一件を聞いて、確信に変わった」
「……確信?」
「封印されたはずのヴァルルシオンが、どこかで目を覚ましてる」
金色の瞳が、グレイを射抜く。
「しかも、“人間の皮”をかぶってな」
グレイの脳裏に、一人の男の顔が浮かんだ。
白銀の髪。
穏やかな笑み。
軍帽の下で、時折冷たく光る瞳。
ディナシア帝国軍・光の将軍。
英雄にして、軍の象徴。
――ヴァルグレイス将軍。
「まさか……」
グレイは息を呑む。
「ヴァルルシオンが、“ヴァルグレイス”として帝国に紛れ込んでいると?」
「名前なんざどうでもいい」
ボルガンは言う。
「光の理が帝国軍に肩入れしてるのは、ほぼ間違いない。
そいつが“世界大戦”なんてお膳立てを始めたら――」
山の空気が、急に冷たくなった気がした。
「お前の言う通りだ」
ボルガンは槍を肩に担ぎ直す。
「帝国一国の問題じゃ済まねぇ。人間界だけの話でも済まねぇ」
「だからこそ、止めなきゃならねえ」
グレイは静かに言った。
ボルガンは数秒、黙ってグレイを見つめ――やがて、にやりと口角を上げた。
「いい目をしてるじゃねえか、アークライト」
「……光に目を焼かれそうだと言われたのは初めてだ」
「言ってねえ」
男は立ち上がり、グレイの背中をどん、と叩いた。
雷に打たれたような衝撃で、思わず前につんのめる。
「早く立て。生半可な気持ちできたんじゃねぇんだろ?」
ボルガンが言う。
「途中で山に埋まることになるが、それでもいいか?」
「望むところだ」
グレイは即答した。
「よし」
雷のセイクリッドルートは、満足そうに頷く。
「なら、まずは“雷の中で立っていられる身体”にしてやる」
「……穏やかじゃないな」
「世界が穏やかじゃねえんだ。今さらだろ」
山の上空で、遠く雷鳴が轟いた。
曇り空の向こうで、光が瞬く。
その光のどこかに、ヴァルルシオン――いや、ヴァルグレイスの影があるような気がして、グレイは歯を食いしばる。
(必ず、引きずり出す)
雷鳴を背に、グレイ・アークライトの、地獄のような修行の日々が始まろうとしていた。
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