第10話 青空の下の微笑み

白の塔の朝 ― いつもの光景


白の塔の中庭。

魔光花が朝露に光り、風が淡い香りを運んでいた。

芝生の上では、生徒たちの笑い声が響く。


「おーい、リヴィアぁっ! 待てってー!」


セリウス・クレイドが魔導書を片手に駆けてくる。制服のボタンは外れ、髪は少し跳ねていた。

息を切らしながらも、屈託のない笑顔を浮かべている。


リヴィアは振り返り、呆れたように息をついた。

「また寝坊? 今日は魔力測定の日なのに。」


「いいだろ、俺の魔力は寝ても減らねぇし。」


「……そういう問題じゃないの。」


けれど、その声にはいつもより柔らかい響きがあった。

リヴィアは、彼の無邪気さにだけは敵わない。


後ろからグレイが歩いてきて、腕を組む。

「セリウス、寝坊の常習犯は記録に残すぞ。」

「おいおい、グレイ。教師でもねぇのに説教すんなって。」

「誰が教師だ。」


いつもの朝。いつもの3人。

その何気ない時間が、なぜか胸の奥で温かく光っていた。



講義 ― 新任教官エイデン・ヴァルクス


講堂の中央に立つのは、新任の教官――エイデン・ヴァルクス。

淡い銀髪に整った顔立ち。帝国から派遣された研究者であり、魔導工学の第一人者と噂されていた。


「さて――今日のテーマは“魔力の機構と器”。」

エイデンの声は穏やかで、教室の空気を包むようだった。


「魔力とは個の資質ではなく、文明が正しく利用すべき“力”です。

 個人に宿るよりも、共有すればより大きな平和を生む。」


セリウスが首を傾げる。

「それどうゆう意味ですか?」

エイデンは微笑みを崩さず答える。

「個の力を“文明の力”に昇華するのです。」


リヴィアはその言葉に何か引っかかるものを覚えた。

魔法は、心の形――そう教わってきた。

なのに、まるで“魂を素材にする”ような響きに聞こえた。


隣でグレイが低く呟く。

「……帝国の人間の言葉みたいだ。」


授業後、リヴィアはひとり、教壇を見つめた。

エイデンの笑顔の奥にある“何か”を――無意識に感じ取っていた。



午前の座学が終わり、教室がざわめきに包まれる。

魔法陣の練習で焦げたチョークの匂いと、笑い声が混ざり合っていた。


「おいセリウス、また机焦がしたのかよ!」

赤毛の少女ティナ・ヴェルミリアが指をさす。

机の上には小さな焦げ跡。セリウスが気まずそうに笑う。


「ち、違うって! 魔力がちょっと漏れただけ!」

「それを焦がすって言うんだよ!」

黒髪の少年ダリオが突っ込み、教室は笑いに包まれた。


リヴィアはそんな騒ぎを遠くで眺めていたが、ティナが声をかける。

「リヴィア、次の魔力調整テスト、組もうよ!」

「え、私……」

「いいじゃんいいじゃん! アンタ、繊細だから私の荒っぽい魔法と相性良さそう!」

「……それ褒めてるの?」

「もちろん!」

リヴィアは照れたように笑いながら頷く。


教室の隅で、グレイが本を閉じる音。

「……セリウス、いいクラスメイトに囲まれてるな。」

「だろ?このクラス最高だぜ!」


「俺もそのクラスメイトだが?」


そのやりとりを、窓の外の陽光が静かに照らしていた。


――昼休み。


白の塔の裏庭に設けられた食堂テラスは、生徒たちの憩いの場所だった。

魔法で温められたランチプレートから香るシチューの匂いが漂う。


ティナ:「グレイ~こっち座りなよ!」

グレイ:「……俺は静かに食べたい。」

カイリ(少年・風魔法専攻):「静かに食うヤツがこの席に座るなよ!」

(どっと笑い)


リヴィアはその賑やかさを眺めながら、少し遅れてトレイを持って座る。

セリウスが隣に腰を下ろし、勝手にリヴィアのパンを半分取っていく。

「おい、勝手に……!」

「半分こ、だろ?」

「最初からそういう約束してない!」

グレイ:「お前ら、夫婦漫才か。」


カイリ:「夫婦!? え、そうなの!?」

ティナ:「違う違う、そう見えるだけ!」

リヴィア:「……どっちも違う!」

セリウス:「ま、今はまだな。」

リヴィア:「“まだ”って何の話!?」


食堂中が笑いに包まれた。

その笑い声が、今もどこか胸の奥に残っている――そんな午後だった。


午後 ― 中庭の小さな午後


陽光が眩しい午後。

セリウスは芝生に寝転び、魔導書を枕にしていた。

その周りには読みかけの本が散らばっている。


「……またサボってるの?」

「違う違う、瞑想中だって。」

「寝てるじゃない。」

「寝ながら魔力を整える修行だ。」

「……それ修行って言わない。」


そう言いながらも、リヴィアは呆れたように笑った。

セリウスの寝顔は本当に穏やかで、無防備で――見ていると、胸の奥がくすぐったくなる。


ふと、セリウスが目を開ける。

「なに、見てた?」

「み、見てないっ!」

「うそつけ、照れてんじゃん。」


リヴィアは顔を背ける。

「……ほんと、調子いいわね。」


「なあ、リヴィア。」

セリウスが少し真面目な声で言った。

「お前さ、最初は誰とも話さなかっただろ? 目も合わせないし。」


「……だって、怖かったの。自分がここにいていいのか、ずっと分からなかった。」


「俺、そんなお前が笑ったとき……ちょっと嬉しかったんだよ。」


リヴィアの時間が止まる。

風が髪を撫でる。

心臓の鼓動が、痛いくらい響いた。


「……もう、そういうこと言うの、ずるい。」


セリウスは笑った。

「褒めただけだよ。」


木陰からグレイの声がした。

「いちゃつくのもほどほどにしろ。先生に見られたら面倒だぞ。」

「うわ、聞いてたのか!」

「丸聞こえだ。」


リヴィアは顔を真っ赤にし、逃げるように立ち上がった。

その後ろ姿を見て、セリウスは苦笑する。



寮の女子棟。

明かりが落ちた廊下の中、リヴィアの部屋の扉がノックされる。


「リヴィア~、起きてる?」

「ティナ?」

ティナがパジャマ姿で入ってきた。手にはカップに入った温かいミルク。


「はいこれ。眠れないでしょ。」

「……ありがとう。」

「ねぇ、セリウスと仲良いよね。」

リヴィアの手が止まる。

「そ、そんなことないわ。」

「嘘。顔、真っ赤。」

「……違うの。ただ、あの人といると……怖くないの。」


ティナは少し笑って、リヴィアの肩に触れた。

「きっとそれが、“魔法より強い何か”ってやつよ。」

「……そんなの、あるの?」

「あるわよ。恋って言うの。」


ティナが軽くウインクして部屋を出ていく。

扉の外から聞こえる「おやすみー!」の声。

リヴィアはミルクを一口飲み、胸の奥で名前を呟いた。



夜 ― 白の塔の屋上にて


その夜。

リヴィアは眠れずに屋上へ出ていた。

冷たい風が髪を揺らす。

ペンダントが淡く光り、月明かりに反射する。


下の階から足音。

「……セリウス。いたのね、」


セリウスだった。

彼は肩に上着をかけ、リヴィアの隣に座る。

「リヴィア毎日屋上にいるよな。」


「だって……静かだから。」


「ていうかあなたに言われたくないわっ!」


「静かだと、考えすぎるだろ。」


リヴィアは少し間をおいて呟いた。


「ねえ、セリウス。……私、魔力を使うとき、時々怖いの。」

「怖い?」

「自分が、自分じゃなくなる気がするの。

 闇に引きずられるような……。」


セリウスは少し考えてから、リヴィアの頭に手を置いた。

「大丈夫だよ。リヴィアはリヴィアだ。誰がなんと言おうと。」


リヴィアはその手を見つめ、心臓の音を聞いた。

「……ありがと。」


沈黙。

やがて、セリウスが少し照れたように笑う。

「なあ、いつか――俺たちで、空飛ぶ魔法船作ろうぜ。」

「え?」

「上から世界を見てみたい。

 塔の上じゃ足りないんだ。もっと広い世界を、リヴィアと見てみたい。」


「……夢みたいな話ね。」


「夢でいいじゃん。叶えれば現実になる。」


リヴィアはその横顔を見つめる。

金色の髪が月光に照らされ、目の奥がきらめいていた。


「ほんと、あなたって―。」


風が吹き抜けた。

リヴィアはそっと目を閉じた。

この時間が、永遠に続けばいいのにと願いながら。



夜更け ― 静かな違和感


深夜。

グレイは講義室に戻っていた。机の上にノートを置き忘れたことを思い出したのだ。

扉を開けると、室内に微かな光が灯っている。


エイデン・ヴァルクスがいた。

講壇の上に奇妙な装置を置き、魔導式と電子機器を同時に操作している。


「……教官?」

グレイが声をかけると、エイデンは軽く振り向き、微笑んだ。

「ああ、夜分にすまない。少し実験をしていてね。」


「その装置は……学院の設備じゃないですよね。」

「帝国から持ち込んだ研究用だよ。安心していい、危険なものではない。」


グレイは装置の表面に刻まれた“帝国紋章”を見て、胸の奥がざらつく。

だが、問い詰める前に、エイデンが静かに言った。

「――若いうちは、疑うより、信じる力の方が強いほうがいい。」


「……そうですか。」


グレイはそれ以上何も言わず、ノートを取って部屋を出た。

背中に、エイデンの視線が突き刺さるように感じた。



青空の下の微笑み


翌朝。

リヴィアが中庭に出ると、いつもの芝生の上でセリウスが寝転んでいた。

「また寝坊?」

「朝日がきれいだから、な。」


「言い訳にしては上出来ね。」

そう言いながらも、リヴィアは隣に腰を下ろす。

空はどこまでも青かった。


セリウスが、そっと空に手を伸ばす。

「なあ、リヴィア。」


「なぁに?」


「気持ちいい太陽、美味しい空気、かわいい笑顔!今日も最高の日だな!」


リヴィアは顔を伏せて、小さく笑った。

「……ほんと、ずるい。」


風が吹いた。

光が揺れた。


そして――この瞬間を、誰もまだ知らなかった。

それが“最後の平穏”だということを。

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