第10話 依存
カレン視点。
―――
まずい、と。カレンは全身から血の気が引くのを感じる。
いま眼前には、王国騎士団と宮廷魔術師団、それぞれの最高戦力を破った男が一人。
いや、あのアルベルトが負けたと言えるかは微妙なところか。しかし、よくも下手を打ってくれたものだ……と。
いまカレンの胸中を占めるのは、明確な脅威であるあの大男より、魔道具越しに乾いた吐息だけを響かせる主のこと――。
『――……ぁ。……っ? っは、っはぁ。……は、ァ……っ!』
ああああ、まずい。カレンはこれ以上があるのかというほど全身から血の気が引くのを感じる。
以前もそうであったが。近頃のキルリエラは、少し常軌を逸した思いをアルベルトへ向けている。任務で短い期間離れると言われただけで、ひどい癇癪を起して夜すすり泣く声が聞こえてくるほどなのだ。
結局は仕事で身動きできない自分の代わりにカレンを遣わすことで、なんとか、ギリギリ……納得? はしてくれた。それとてあの男が懇々とキルリエラに言い聞かせ、おまけにあの男自身にも利があることと姫が判断した末なのだが。
しかして、その結果は――。
「すけこましめぇ。どうせあの程度なんともないだろうに、おかげでご主人が……」
ああどうしたものか。
大男が口にしたのは【転移】という呪文。であれば、どこかへ飛ばされたとてあやつの実力なら心配無用と。……そう言ったところで聞いてくれるキルリエラではない。
カレンは思う。小生が……いや、あやつが帰ってくるまでに、ご主人が早まった行動を起こしはしまいか、と。
と、とにかく今は、なんとかキルリエラを落ち着かせねばならない。
カレンがそう、悲壮な決意を固めたその時であった。
『――パパ、は……。……い、言ってたわ…………!』
「え……?」
『もう、わたしを置いていなくなろうとはしないって……。王宮の留守は任せるよって……っ。――――いい子に、できるね? って……!』
「……!」
魔道具の向こうから聞こえる声は震え、涙が混じっているのが分かる。
まるで、留守番の子どもが心細く親の帰りを待つように。言いつけを守れば帰ってきてくれると信じる、無垢な幼子のように。
普段の気丈な王女像からの乖離――。
「……ッ」
ここまでなのかと、カレンは臍を噛む。きっとこれは、これまでカレンを含めた多くの者が、キルリエラの心を蔑ろにしてきた結果なのだ。
強いから、賢いから、何でもできる天才だから。そんな言葉を言い訳に、彼女に仕えようとするものはおれど、弱さを支えようなんて思う者は誰一人いなかった。そもそも弱さがあると気づいた人間すらいなかったろう。
その結果がこれ。
アルベルトという驚異的な才能を持つ善良な一個人への――――度が過ぎた、依存。
『そう、そうよ……。だから、わたしはいい子にしてなくっちゃ。いつも通り、国の問題を解決して、下卑た貴族をあしらって、後進を育成して。それで、それで……――――パパをこんな目に遭わせたジキールと………………発情犬の、スカーレットを――』
その依存は時に、国を左右する力を持つキルリエラの判断を狂わせ、彼女自身の安全を脅かす。けれど。
『そしたら。――――――パパ、どれだけ褒めてくれるかな?』
陶然としたその声と。かすかに聞こえた、机に涙が落ちた音。
分離不安じみた癇癪を抑えられたと喜べばいいのか、それともまた振り切った行動を起こしそうだと憂えばいいのか。
ともかく、いまカレンがすべきことはと言えば。
「うむむ。三十六計、逃げるに如か――」
『――ぜったい、パパの行き先の手掛かりを』
「あ、はい。……ご主人の命、しかと承った……」
が、しかし。実際問題、スカーレットと凄まじい戦いを繰り広げたあの大男を、カレンたち残存戦力でどうにかできるとは思えず……。
こっそり固有魔術【静寂】を発動させたカレンは、姿を隠して近づいてみたのだが。
あの男、さっきからなにをしているかと思えば。
「――はァ。重いったらない、コイツら……」
こちらには目もくれず、周囲に散らばったお仲間を回収している。気を失ったまま一か所に積んでいるのは、【転移】で安全圏に逃れるつもりか。
「しかし。――あの女、とんだ掘り出し物だった。まさかあれほど質の高い気の使い手が手に入るとはな……。これでまた目標に近づく」
『この、クソ男。雌犬の身柄が目的で……?』
「よし……と。こんなものか。それじゃ――」
あ、またさっきの固有魔術を。倒れた王国騎士には目もくれず、先ほどより長く魔力を練って、とんでもなく巨大な魔術陣を……!
他になにか手がかりは? キルリエラが満足する程度の……と。
そう焦りを露わに姿を消したまま大男へ近づくカレンだったが、男は偶然なのか一瞬こちらに視線を向ける。
そして。男がおもむろに口を開くと。
「――バレてるぞ、嬢ちゃんよ。それ以上近づくな」
「……ッ!」
まさか、と。思わず背後に誰かいるのではと確認したカレンだったが、そんな都合のいいことがあるわけなく。
分かったことは、この男が気と魔術を高いレベルで使いこなす猛者でありながら、見た目に反して繊細な知覚能力まで持っているということ。
そして、男は何らかの目的で気の使い手の身柄を集めている。つまり、巻き込まれたアルベルトも【転移】して即死亡、なんてことはなかっただろう。
これ以上の接近を制されたカレンは、その情報だけを手に入れて、耳元で叫び続ける主人の言葉を泣く泣く聞き流す。
『とめて! ソレからはパパの情報をもっと……!』
「うーむ、無茶な……。ご主人、申し訳ないが小生、とてもあやつを止められる力は……」
そうしている間にも、大男の魔術陣は眩い光を放ち、今にもその姿を消そうとする。
『――ッとめてぇ! 倒して!』
無理に決まっておる。そういうのはあのアルベルトの領分だ、と。
そんなカレンの心の声は誰にも拾われることなく。
視線の先の男はとうとう、「【転移】」と、その一言だけを残して。
――カレンたちの眼前には、きれいさっぱり人がいなくなった更地だけが広がっていた。
『――あああ!? ッ魔術陣、すぐ解析して……! 魔力が残ってるうちに! パパの手掛かりぃ!』
こ、これちゃんと周りに声聞こえない設定にできておるよな?
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