第十章 第二話 この目で、確かめたい

 昼休み。

 教室の中は、どこか穏やかで、ゆるやかな時間が流れていた。

 窓から射し込む陽光が机の上に伸び、白い光が紙の端をやわらかく照らしている。


 彩音は頬杖をつきながら、ペンをくるくる回していた。

「私ね、休みになったらバイトするの。お小遣い稼いで、服買って、あとライブも行きたいんだ~。」


 彼女は小さく笑い、体を揺らす。

「惠美もどう? 一緒に行こうよ。まさか……ずっと家で論文書くつもりじゃないよね?」


 惠美はノートを閉じ、静かに顔を上げた。

 その瞳は、まっすぐで揺るぎない。


「私は、北京へ行く。」


「……え!?」


 彩音の手からペンが転がり落ちた。

「い、今なんて言った? 海外? しかも中国!?」


 惠美は小さくうなずく。

「母の出張に同行します。父も一緒です。」


「うそ……」

 彩音は口をぱくぱくさせ、信じられないという顔をした。

「前の惠美なら、絶対そんなこと言わなかったのに。

 でも今は……本当に変わったね。なんか、キラキラして見える。」


 惠美は小さく笑った。

「行きたい、というより――行かなくてはならないの。」


「行かなくては、って……どういうこと?」


 惠美は窓の外へ目を向けた。

 午後の日差しが頬を照らし、その横顔はどこか遠い。


「見たいの。自分の目で、時代の“呼吸”を……」


「見たい……呼吸……?」


王朝おうちょうの終わりも、時代の移り変わりも。」

 惠美の声は静かだったが、どこか鋭いものを含んでいた。

「たとえ時が流れても、万里ばんり長城ちょうじょうも、紫禁城しきんじょうも、

 その石に刻まれた傷は――まるで歴史の剣痕けんこんみたい。

 私は、それをこの目で確かめたいの。」


 彩音の胸の奥で、何か小さな音が弾けた。

 熱いのか、くすぐったいのか、自分でもわからない。

 そして、笑いながら息を吐く。


「……相変わらず、中二っぽいこと言うよね。

 でも……なんか、ロマンチックかも。」


「見なければ、わからない。

 ――この時代に、どう生きるべきなのか。」


 その言葉に、彩音はまた言葉を失った。

 理解できないはずなのに、なぜか心の奥が静かに震える。


 彼女は視線を落とし、ペンの先でノートに小さな線を描いた。

「……やっぱり、惠美ってすごいな。」


 ぼそりと呟くその声は、誰に聞かせるでもなく。

 けれど、その口元には小さな笑みが浮かんでいた。


 次にチャンスがあれば、私も行こう。

 惠美と一緒に、あの空の向こうへ。


 そんなことを思いながら、彩音は窓の外の青を見つめた。

 まるで、その向こうに続く風景が、もうすでに見えているかのように。

 その空の下に、自分の知らない“未来せかい”が確かに息づいていると、そう感じながら……

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