第3話:局長レオン・クラッドのオフィスにて
月影最上階へと向かう専用エレベーターに乗っている間、アヴェラとエミリアは一言も言葉を発することがなかった。赤い絨毯の敷かれたステンレスの箱の中で、ただ重苦しい沈黙だけがじんわりと漂っている。
20階建ての広いビル内を歩き回ったエミリアの足は、すでに引きずりたいほど重たくなっており、しかしそんな状況下でもアヴェラ・ロッセは涼しい顔をして立っていた。
エレベーターから降りるとすぐ、アヴェラは目の前の扉へと真っ直ぐに向かっていった。少し広めのエントランスを、エミリアは置いていかれないようについていく。扉横にはプレジデントルームと書かれた小さなプレートが貼ってあり、その下には手のひら大の端末が取り付けられていた。その端末を、アヴェラは迷うことなく操作する。
「……レオン局長、アヴェラ・ロッセです。お客様をお連れしました。」
「……入れ。」スピーカーから低くて重い男の声が聞こえてくる。
アヴェラが端末に手首を近づけると、ピピっと軽い音がした後、カチリと金属音が鳴り、重厚そうな扉が自動で開いた。
「失礼します。」慣れた仕草で頭を下げたアヴェラに対してワンテンポ遅れをとりつつも、エミリアはぎこちない仕草で頭を下げる。
「君だな。……あぁ、楽にしてくれ。案内ご苦労だった。」正面から聞こえてきたのは、先ほどスピーカー越しに聞いた男の声だった。
エミリアは指示通り頭を上げると、まず部屋の内装に圧倒される。各セクションのリーダーズルームよりも広い、応接室と書斎を兼ねたような部屋には赤いカーペットが敷かれ、重厚そうなデスクの奥は一面ガラス張りになっていて、街の様子が一目で見渡せるようになっていた。
豪奢なように見えてくらくらとしたエミリアだったが、壁紙やデスクの装飾は存外あっさりとした色とデザインのものであり、落ち着いてみると高貴さと品の良さを兼ね備えた内装であることがうかがえた。そのうえ左側の壁には大きめのスクリーンボードが設置してある。
「……施設内は、一通り回り終えたのか?」男は少し掠れた声で、アヴェラに尋ねた。
「はい、局長。手続きも一通り終えておりますので、この後やるべきことはありません。全て滞りなく実行しました。」アヴェラがやや堅い、事務的な口調で返答する。
「そうか、ありがとう、ご苦労だった。……ではアヴェラ、君はもう下がってくれ。後はこちらで引き受けよう。」2人の間には、何か物々しい空気が立ち込めている。
「……承知いたしました。それでは、失礼いたします。」アヴェラは再び深く頭を下げると、それ以上は何も言わずに局長室を立ち去った。
「エミリア・バートン、だったか。」
「はい!……あ、その、エミリア・バートンです。Liberty Moon連合からの紹介状を持ってまいりました。」エミリアは緊張と驚きで咄嗟に答えた。
「ありがとう。……ふっ、まぁ緊張するのも無理はない。しかし、ふむ、そうだな、そこの椅子に座ってもらえるか。私もそちらに座ろう。」笑っているような気はするが、窓から差し込む光と落ち着いた照明のせいで、エミリアからは男の顔がよく見えない。
エミリアがソファに腰をかけると、デスクに向かっていた男もおもむろに椅子から立ち上がり、そして彼女の正面のソファへと座った。目の前の男は金髪碧眼の、やや無骨だが美しい顔立ちをしており、アヴェラのような白地の制服姿には、金色のラインの入った階級章がついている。戦術セクション長も兼ねているというその男は、確かに普通の男よりもいくらか身が厚いように見えて、エミリアは思わず体がすくむような気分になった。
「ふむ。私はレオン・クラッド。戦術セクションの長にして、この治安管理局・月影の局長だ。外部から新人以外で人が来るのは久しぶりでね。可能な限りサポートはするが、……至らぬところがあれば、言ってくれ。」男の物言いは堅苦しくかつ重々しいが、誠実さを感じられるという点でエミリアは少しばかり安堵していた。
「あ、はい。その、精一杯務めますので、どうぞよろしくお願いいたします。」しどろもどろになりながらもはっきりとした口調で言葉を発するエミリアに、レオンは軽く微笑みながらうなずき返した。
「……君の貢献には期待している。しかしこの街の状況は、おそらく君が考えているほど思わしくない。一歩外に出れば、危険が伴う可能性すらある。」
「……それは、どういう?」エミリアが詳細を伺いかけると、プレジデントルームの扉が開く音がした。
「おいレオン、報告書の作成後に決済のいるものがいくつかあるが……、来客中ですか、申し訳ありません。」入ってきたのは、エミリアが見上げるほどの長身の男だった。
体格のしっかりとしたレオンとは違い身長の割には細身に見える男だが、それでも並みの男とは比較にすらならないだろうとエミリアは思った。男が着ている服は制服のようには見えないものの戦術セクションを現す青のアクセントカラーが使われており、手には複数の書類の束と、タブレット型端末を重ねて持っている。
「出て行きましょうか。」男は淡々とした口調でレオンに尋ねた。
「いや、構わない。決済の完了した書類はデスクの上だ。……新しい書類と、交換しておいてくれ。」ため息交じりにレオンが言うと、男は一言「了解。」とだけ答えてレオンのデスクの方へと向かう。
エミリアは数秒ほど男の姿を目で追うも、男はエミリアの存在を一切気にかけるふうでもなく、レオンのデスクに辿り着き、書類を整理し始めた。
「すまない、エミリア。話を続けよう。」レオンは金髪碧眼の柔和な顔に、軽く微笑みを浮かべてエミリアに向き直る。
「正直なところ、連合からは君の身の置き所について、これといった指示がない。何しろ急な動きでもあってね、確認もまだとれていないことが複数あるんだ。」レオンはその立場には似つかわしくないほど率直に状況を明かした。
「……?はい。」しかしエミリアは正直状況が掴み切れてはいなかった。
「連合からどの程度の情報を受け取っているかはわからないが、この街はいま非常に治安が悪い。……自分で言っていて情けなくなるほどにはな。つまり、君の身の安全の確保までは手が回り切らない可能性がある、ということだ。」レオンは真摯に説明を続けた。
「なるほど。」
「連合から特に話はなかったが、居住先について指定があるか聞いてもいいだろうか。」エミリアはレオンの言葉を受けて、数週間前の連合とのやり取りを思い返す。
「いえ、何も。とにかく行ってこいとだけ、言われました。必要なことは、現場がどうにかするだろうと。……すみません。」エミリアは、自分がもっと深く掘り下げなかったことをひどく後悔して俯いた。
「……構わない。それはこちらでも予想がついていたことだ。」レオンは軽くため息をついた。
例の男は書類の整理を終えたのか、レオンのデスク脇で直立している。それは彼の所属を思えば当然のことなのだろうが、エミリアはこれまで以上の息苦しさを無視できないでいる。
「ふむ、それならば、月影の官舎に部屋を借りるのはどうだろう。」
「えっと、それは……。」エミリアはレオンの提案を受け、少しばかり考え込んでみたものの、月影の官舎はどうも居心地がいいとは思えなかった。
「どのみち街には出ないといけませんし、どこかに家を借りられないでしょうか。」恐る恐る伝えるエミリアに、レオンは目を閉じて考え込むようなそぶりを見せる。
「……ふむ。それなら、一つ伝手を紹介しよう。何も知らずに街に出るよりはいくらかマシになるはずだ。」レオンは一際強くエミリアを見つめると、デスク横に立つ男に向かって指示をした。
「アイン、端末を。」アインと呼ばれた男は即座に端末をレオンに手渡す。
というよりも、名前を呼ばれた時にはすでに手渡していた。まるでレオンが何を指示するか、あらかじめわかっているかのようだと、エミリアは感じた。
「……それから、街に出るのは明日からにした方がいい。今夜は官舎に泊まっていきなさい。官舎の手続きはこちらでしておく。君は疲れているだろうから、もう部屋に入って休むといい。アイン、すまないが彼女を別棟の官舎に案内してくれ。E305が空いているからそこで頼んだ。」
「了解。」レオンの指示にアインは軽く頷いた。
「それからエミリア、街へ出たらまずここへ向かいなさい。」レオンは住所を書き付けたメモ用紙をエミリアへと差し出し、それをエミリアは迷うことなく受け取った。
「あの、ありがとうございます。」ソファから立ち上がりつつ、エミリアはレオンに礼を言う。
「あぁ。……君の健闘を祈っている。」レオンもまたソファから立ち上がり、エミリアに対して握手を求めた。
「はい、失礼します。」エミリアは握手を返し、レオンに軽く頭を下げると入り口の方へと歩いていく。
「では、案内します。」低くかすれた声でアインが告げる。
改めて正面から見たアインの顔には、黒いゴーグルがかかっており、隠された彼の瞳の色まで推し量れはしない。しかしエミリアは、静かに自分を見つめる彼の視線をただまっすぐに受け止めていた。
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