死者のタイムライン ~祖父の戦争が、僕のSNSを乗っ取る~

ソコニ

第1話 死者のタイムライン ~祖父の戦争が、僕のSNSを乗っ取る~

1

祖父が死んだ日、僕のインスタグラムが勝手に更新された。

投稿されていたのは、朝食の写真だった。トーストとスクランブルエッグ、それにアイスコーヒー。構図も光の当て方も、完璧に僕のスタイルだった。

問題は、僕がその朝、何も食べていなかったことだ。

投稿時刻は午前七時十五分。僕は老人ホームからの電話を受け、実家に向かう電車の中にいた。スマホは鞄の中。一度も開いていない。

キャプションには「今日も良い一日になりそう☀️」

フォロワーからは「おしゃれ!」「今日も素敵」というコメント。

僕は削除ボタンに指を伸ばした。しかし、その瞬間、気づいた。

トーストの焦げ目が、文字に見える。

「昭和二十年八月九日」

祖父が死んだ日付だった。

2

翌日。また投稿があった。

今度は僕の部屋。デスクの上のノートパソコンと観葉植物。

「仕事モード💻 今日も頑張るぞ」

僕は会社にいた。部屋には誰もいないはずだ。

急いで帰宅する。部屋は施錠されたまま。デスクには埃が積もっている。少なくとも数日は触れられていない。

でも、観葉植物の葉の位置が、今朝水をやった時と同じだった。

画面を拡大する。ノートパソコンの画面に何かが映り込んでいる。

軍服を着た男。

午前三時。通知が来た。

真っ暗な写真。

「眠れない夜 #不眠症 #夜更かし」

明るさを最大にする。闇の中に顔が浮かんでいた。

祖父だった。若い頃の、僕が見たこともない顔。軍服を着て、銃を持っている。

その目は、こちらを見ていた。

3

投稿は毎日続いた。カフェ、図書館、夜景。すべて僕らしい写真。フォロワーは何も気づいていない。

でも僕には見える。すべての写真に、何かが隠されている。

ラテアートに浮かぶ「ガダルカナル」

本の背表紙が作る「飢餓」

ビルの明かりが描く「火葬」

パスワードを変更した。アプリを削除した。運営に報告した。

投稿は止まらなかった。

そして、写真が変わり始めた。


「今日のランチ🍝」

パスタの写真。

いや、違う。白いものは蛆だ。赤いソースは血だ。

フォロワーは「美味しそう!」とコメントしている。


「天気良くて最高☀️ #公園散歩」

公園の写真。

僕には死体が見える。木に吊るされた無数の死体。芝生を這う負傷兵。噴水が吹き上げる血。

木の幹に文字が刻まれている。

「私たちは飢えた。仲間を食べた。生きるために」


「鏡越しの自分 #selfie」

鏡に映っているのは、僕ではない。

痩せ細り、目だけが異様に大きい何か。口から血を垂らし、骨のような手を伸ばしている。

その背後に、軍服姿の祖父が立っていた。

祖父の口が動いた。

「お前も、知るべきだ」

4

僕は祖父の部屋に行った。

老人ホームの六畳一間。クローゼットに古い木箱があった。

従軍記録。手書きの日記。褪せた写真。

日記を開く。

最初のページは希望に満ちていた。「お国のために」「必ず生きて帰る」

しかし、文字が乱れていく。


「食糧が尽きた」

「田中が死んだ」

「川の水を飲んだら、三人死んだ」

「もう、歩けない者が出始めた」


そして、ある日のページ。文字が震えている。

「今夜、佐藤の死体を食べた。吐いた。でも、また食べた」


「人間の味を覚えた。もう、自分が人間だとは思えない」

「夜、みんなの目が変わる。誰が次に死ぬか、探り合っている」

「昨夜、山田が消えた。朝、焚き火の跡に骨があった」


最後のページ。

「生きて帰る。必ず帰る。そして、誰にも話さない。これは、なかったことにする」

写真を見た。骨と皮だけの兵士たち。目だけが異様に大きい。

中央に、祖父がいた。

5

その夜、投稿が加速した。十分おきに新しい写真。

すべて僕の日常のような写真。でも僕には見える。

カフェは野戦病院。

公園は墓場。

図書館は死体置き場。

フォロワーは増え続ける。「最近投稿多いね!」「アクティブで嬉しい」

誰も、気づいていない。


ある投稿。

僕の部屋。見たことのない角度。天井からの視点。

ベッドに僕が寝ている。枕元に祖父が立っている。

「もうすぐ、お前も分かる」

部屋を見回す。誰もいない。

でも、視線を感じる。

通知。ライブ配信が始まった。

画面に僕の部屋がリアルタイムで映っている。視聴者数が増えていく。百人、二百人、五百人。

コメント欄が流れる。

「わあ、ライブ配信だ!」

「部屋綺麗ー」

「本人映ってー!」

画面に祖父が映った。若い頃の祖父。軍服を着て、銃を持っている。

コメント欄が止まった。

祖父がカメラに向かって歩いてくる。

そして、口を開いた。音声はない。唇の動きで分かった。

「お前も、食べたことがあるだろう」

6

僕は覚えている。

小学生の頃、祖父に連れられて山に入った。

「肉を獲りに行こう」

罠にウサギがかかっていた。

祖父は僕に、ウサギを絞めるように言った。

「生きるためだ。殺さなければ、食べられない」

僕は泣きながら、首を絞めた。

その夜、祖父は焼いたウサギを差し出した。

「食べろ。お前が殺したんだ。食べる責任がある」

僕は食べた。

そして祖父は言った。

「人間も、同じだ」

当時は意味が分からなかった。

でも今、分かる。

7

ライブ配信は続いていた。

祖父が僕の部屋を歩き回る。本棚を指差す。デスクを撫でる。窓の外を見る。

視聴者数は千人を超えていた。コメント欄に何も流れない。ただ、見ている。

祖父がカメラの前に座った。

何かを話し始めた。音はない。字幕もない。

でも、分かった。

飢餓の話。共食いの話。仲間を殺した話。

そして、それを忘れようとした話。

でも、忘れられなかった。

毎晩、夢に出てきた。食べた仲間たちが。

祖父は普通の生活を送ろうとした。結婚し、子供を作り、孫ができた。

でも、心の中では、ずっと戦場にいた。

祖父がカメラに顔を近づけた。

画面が暗転した。

新しい投稿が上がった。

8

それは、未来の写真だった。

見知らぬ街。見知らぬ人々。老いた僕が病院のベッドに横たわっている。

「二〇六五年十二月三日 午後三時二十分」

今から四十年後。

写真は続いた。僕の葬儀。僕の墓。僕の部屋に別の人が住んでいる。

そして、最後の写真。

若い女性がスマホを見ている。画面には、僕のインスタグラムが映っていた。

彼女のキャプション。

「曾祖父のアカウント見つけた。今も更新されてる…怖い」

これは終わらない。

祖父から僕へ。僕から、まだ生まれていない誰かへ。

死者の声は、SNSという回路を通じて届き続ける。

9

僕はアカウントを削除しようとした。

でも、指が動かなかった。

これを消すことは、祖父を消すことだ。戦争を、なかったことにすることだ。

スマホが震えた。DM。送り主は、僕のアカウント。

「見たか」

僕は返信した。

「見た。でも、僕には関係ない」

「お前は、私の孫だ」

「それでも、僕は僕だ」

「そうだ。だから、選べ」

僕はしばらく考えた。そして、タイプした。

「どうすればいい」

返信はなかった。

でも、新しい投稿があった。


僕の手の写真。

何かを書いている。

文字が見える。祖父の字だった。

でも、何と書いてあるのか、読めなかった。

画面が歪んでいた。いや、僕の目が歪んでいた。

涙で、見えなかった。

10

一年が過ぎた。

投稿は今も続いている。

僕は、もう削除しようとしない。

代わりに、僕も投稿を始めた。

祖父の戦争について、調べたことを書いた。南方戦線の飢餓。共食いの記録。生還者たちのトラウマ。

最初は誰も反応しなかった。

でも、少しずつ、コメントが来るようになった。

「うちの祖父も、何も話さなかった」

「私の曾祖父は、帰ってこなかった」

「学校では習わなかった」

そして、ある日。

「私のアカウントも、勝手に更新されます」

僕は、その人にDMを送った。

同じ経験をしている人が、他にもいた。

死んだ家族が、SNSで語りかけてくる。

伝えられなかった何かを、死後も伝えようとしている。

僕たちは、小さなグループを作った。

「死者の声」

そこでは、死者からのメッセージを共有した。

戦争の記憶。虐待の記憶。貧困の記憶。

生前は語られなかった、痛みの記憶。

僕たちは、それを受け止めた。

忘れないことにした。

でも、理解はできなかった。

11

今日、新しい投稿があった。

祖父ではない。僕の投稿だ。

でも、撮った覚えのない写真。

それは、僕の手だった。

その手は、何かを握っている。

小さな骨。

画面を見つめる。骨は、人間のものだった。

指の骨。子供の。

キャプションはなかった。

コメント欄が荒れ始めた。

「これ何?」

「通報した」

「アカウント乗っ取られてない?」

僕は何も説明しなかった。説明できなかった。

なぜなら、その骨を、僕は知っていたからだ。

祖父が、山から持ち帰ったもの。

「お守りだ」と言って、僕にくれたもの。

僕は、それを捨てられなかった。

今も、机の引き出しにある。

写真を撮ったのは、誰だ。

僕は部屋を見回した。

誰もいない。

でも。

鏡に、誰かが映っていた。

軍服を着た男ではなかった。

痩せ細り、目だけが大きい、何か。

それは、笑っていた。

12

投稿は続いている。

フォロワーは減り始めた。

「不快」「怖い」「もう見たくない」

でも、一部の人は残った。

「見なければならない」

「これは記録だ」

「忘れてはいけない」

僕は、もう自分のアカウントを見ていない。

見ることができない。

なぜなら、最新の投稿が、僕の顔だからだ。

でも、僕ではない。

痩せ細り、目だけが異様に大きい、何か。

口から何かを垂らしている。

キャプションは、こうだった。

「継承、完了」

僕は、鏡を見ることができなくなった。

スマホの画面も、見ることができなくなった。

なぜなら、そこに映る自分が、自分ではないからだ。

でも、投稿は続いている。

誰が投稿しているのか、もう分からない。

祖父なのか。僕なのか。それとも、別の何かなのか。

ただ、確かなのは。

これは、終わらない。


最新投稿: 3分前

投稿者: 不明

フォロワー数: 3,847人

最終ログイン: 2026年8月9日

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