第17話:古いシミは、原因の特定から始めるのが鉄則ですわ
ルナール公爵家の嫡男、アレクシス様が嵐のように去った後、わたくしは心ゆくまでデザートを堪能した。三種のベリーが贅沢に乗ったパフェは、甘酸っぱく、炎龍鶏の濃厚な脂を綺麗に洗い流してくれるかのようだった。
(ああ、なんて幸せ……。美味しい食事は、心のお洗濯になりますわね)
金貨一枚という、望外のチップまでいただいてしまい、わたくしは満ち足りた気分でレストランを後にした。夜風が心地よい。すっかりご機嫌で『木陰の宿』への帰路についた。
宿の扉を開けると、カウンターで主人のガドさんが、まるで地縛霊のように青い顔をしてわたくしを待っていた。
「シ、シーナ様! お、お待ちしておりました……!」
「まあ、ガドさん。どうかなさいましたの? そんなに真っ青な顔をなさって。シンクの排水溝が詰まってしまったかのような、絶望的なお顔ですわよ」
「そ、それどころではございません! あなた様のお部屋に、とんでもないものが……!」
ガドさんに促されるまま、わたくしは自分の部屋へと向かった。扉を開けて、息を呑む。
昨日まで、ベッドと小さな机しか無かった殺風景な部屋が、まるで高級ブティックのようになっていたのだ。
壁際には、美しい装飾が施された衣装ケースがいくつも並べられ、机の上には、大小さまざまな箱が山と積まれている。
「これは……一体?」
恐る恐る一番大きな衣装ケースを開けてみると、中には最高級のシルクで仕立てられた、目も眩むようなイブニングドレスが収められていた。隣のケースには、ミスリル銀の糸を編み込んで作られた、機能的かつ優美なデザインの冒険者用の革鎧。
机の上の箱には、あらゆる傷や毒に効くという最高級のポーションの瓶がずらりと並び、希少な魔物の素材や、高純度の魔石まで入っている。
(な、ななな、何ですのこれは!? これ全部、いったいいくらになるのかしら……わたくしの生涯賃金を軽く超えてしまいそうですわ!)
呆然としていると、箱の一つに、黒い封蝋で封をされた手紙が添えられているのに気がついた。震える手で封を切ると、中には簡素なメッセージカードが一枚。
『我らが『カラス』より、ささやかなる支援。次なる『お掃除』にお役立ていただきたい』
(カラス……? ああ、きっとクロウ様ですわね!)
わたくしの脳裏に、あの黒装束の諜報員の姿が浮かんだ。
(まあ、なんて親切な方! きっと、わたくしのお掃除に対する情熱と、プロフェッショナルな仕事ぶりに深く感銘を受けて、熱烈なファンになってくださったに違いありませんわ! これは、いわゆる『推し活』というやつですわね!)
国家予算レベルの支援物資を、ただのファンからの差し入れだと解釈し、わたくしはすっかり気を良くしていた。
◇
支援物資を一つ一つ確認していると、ポーションの箱の底から、古びた羊皮紙の地図と、錆びついた一本の鍵が出てきた。
地図を広げてみると、それはこのリンドブルムの街の、地下水道の見取り図のようだった。しかも、以前ダンジョンで発見した隠し通路が、この地下水道の最深部へと繋がっているように見える。
地図の中央、最も深く入り組んだ区画に、赤いインクで丸がつけられ、こう書き込まれていた。
『ここに、この街で最も古い『シミ』あり』
(……シミですって?)
その言葉を見た瞬間、わたくしの中の掃除屋魂に、カッと火がついた。
(まあ、なんて挑戦的なメッセージ! この街で、最も古いシミ! きっと、何百年も前にこぼされたワインか、あるいは伝説の魔物が流した血痕か……。いずれにせよ、途方もなく頑固で、歴史的な汚れに違いありませんわ!)
わたくしは、まだ見ぬ強大な汚れとの対決を想像し、武者震いがした。
(お掃除屋として、これほどの手ごわい挑戦状を無視することなどできませんわ! 受けて立ちますわよ、ええ、受けて立ちますとも!)
わたくしは、早速送られてきたばかりの冒険者装備――黒を基調とした、動きやすくも気品のある革鎧――に身を包んだ。体に吸い付くようにフィットし、まるで自分の体の一部になったかのようだ。
「素晴らしいですわ。これなら、どんなに狭くて汚い場所でも、軽快に動けますわね」
わたくしは、同じく支援物資の中に入っていた、暗い場所でも視界を確保できるという魔法のランタンを腰に下げ、地図と鍵をしっかりと握りしめた。
「古いシミを落とすには、まず、その原因を特定することが肝心ですわ。油性の汚れか、水性の汚れか、あるいはタンパク質の汚れか。それによって、対処法は全く異なりますからね」
独り言で掃除の基本を確認し、気合を入れる。
目指すは、街の地下に広がる、巨大な迷宮。リンドブルム地下水道。
「さあ、待っていなさい、この街で最も古く、最も頑固な汚れ! このわたくしが、あなたの長きにわたる歴史ごと、ピカピカに洗い流して差し上げますわ!」
わたくしは、まだ見ぬ強敵(シミ)への闘志を燃やし、意気揚々と部屋を飛び出した。
◇
その様子を、宿の向かいの建物の屋根から、諜報員クロウが監視していた。彼の元には、先ほど本部から緊急の指令が届いていた。
『シーナ殿に、王国の黎明期より存在する謎の組織『古き血脈』のアジトに関する情報を提供済み。彼女は、次なる『掃除』の標的を、そこに定めたと推測される。引き続き監視を続行し、いかなる場合でも彼女の行動を妨げるな』
クロウは、シーナが迷いなく地下水道へと向かう姿を見て、戦慄を禁じ得なかった。
(『古き血脈』……。その存在は、王家の最高機密。我々ですら、その実態を掴めていない、王国の影そのもの……! 彼女は、ついにこの国の根源的な『汚れ』にまで、メスを入れるおつもりなのか……!)
わたくしがただのシミ落としに心を躍らせているなどとは夢にも思わず、クロウは、これから始まるであろう、国家の存亡を賭けた壮絶な戦いを想像し、固唾を呑んでその背中を見送るのだった。
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