第16話:料理の基本は、下ごしらえと火加減ですわ
ダンジョンでの大掃除を終えたわたくしは、すっかり上機嫌だった。集めた魔石とドロップアイテムを換金すれば、かなりの収入になるはず。何より、頑固な汚れを根こそぎ綺麗にした後の達成感は、何物にも代えがたい。
(うふふ、今夜は奮発して、街で一番と評判のレストランに行ってみましょうかしら!)
わたくしは鼻歌交じりでギルドへ向かい、カウンターで換金を申し出た。リリアさんは、わたくしが差し出した、スケルトンやらグレイブ・ウォーカーやらの魔石が詰まった袋を見て、目を丸くしている。
「こ、こんなに大量のアンデッドを、お一人で……! しかも、この大きな魔石は、まさかダンジョンの小ボス級のもの……!」
「ええ、少し湿気が多くて、カビの繁殖には最適な環境でしたもの。一掃させていただきましたわ」
わたくしの言葉に、リリアさんは「は、はあ……」と、もはや感心を通り越して呆れたような返事をするしかできないようだった。換金された金額は、銀貨十五枚。予想以上の臨時収入に、わたくしの心はさらに浮き立った。
その日の夕暮れ、わたくしは少しお洒落をして、目的のレストラン『黄金の麦穂亭』の扉をくぐった。そこは、冒険者たちが集う酒場とは一線を画す、落ち着いた雰囲気の高級店だった。
「あら、可愛らしいお嬢さん。お一人様かしら?」
物腰の柔らかい支配人に案内され、窓際の席に着く。メニューを開くと、そこには聞いたこともないような豪華な料理名が並んでいた。
(まあ、どれも美味しそうですわね……。よし、今夜は贅沢に、この『炎龍鶏(ファイヤードレイク)のグリル』というのをいただいてみましょう)
炎龍鶏は、火山地帯に生息する希少な魔物で、その肉は極上の旨味を持つという。わたくしが注文を済ませ、運ばれてきた食前酒のグラスを傾けていると、ふと、店内の空気が変わったことに気づいた。
入り口に、見覚えのある紋章を掲げた騎士たちが現れたのだ。月見草に似た、禍々しい植物の紋章――ルナール公爵家の騎士団。
彼らに先導され、店の中へと入ってきたのは、銀髪を肩まで伸ばし、貴族然とした美しい顔立ちながらも、その目には冷たい光を宿した青年だった。
「おや、これはこれは、アレクシス様。このような庶民の店に、どういった風の吹き回しで?」
支配人が、慌てて駆け寄る。
アレクシスと呼ばれた青年――ルナール公爵家の嫡男――は、店内を見回すと、一人で食事をしていたわたくしの席に目を留め、ふ、と興味深そうに口元を歪めた。
「構わん。少し、腹が減ってな。……ちょうど良い、そこのご令嬢と相席させてもらおうか」
「えっ!?」
突然の申し出に、わたくしは思わず声を上げた。アレクシスは、有無を言わさぬ様子で、わたくしの向かいの席に腰を下ろす。彼の背後には、護衛の騎士たちが壁のように立ち塞がった。
◇
「……驚かせてしまったかな? 俺はアレクシス・ド・ルナール。見ての通り、しがない田舎貴族だ」
彼は、芝居がかった口調で自己紹介をした。その瞳は、値踏みするように、わたくしのことを見つめている。
(まあ、なんて綺麗な顔立ち。ですが、なんだかひどく汚れていらっしゃいますわね。心の澱が、瞳にまで滲み出てしまっているようですわ)
わたくしは、優雅に微笑み返した。
「わたくしはシーナと申します。アレクシス様こそ、このような場所で庶民の食事とは、何か特別なご事情でも?」
「フッ……。どうやら、ただの世間知らずな小娘ではないらしいな」
アレクシスは、面白そうに喉を鳴らした。その時、注文していた『炎龍鶏のグリル』が運ばれてきた。ジュージューと音を立てる熱々の鉄板の上で、香ばしい肉の香りが立ち上る。
「ほう、炎龍鶏か。良い趣味をしている」
アレクシスは、自分の分も同じものを注文すると、わたくしがナイフを入れる手元を、じっと見つめていた。
わたくしは、肉の中心にナイフを入れる。完璧なミディアムレア。外はこんがり、中は美しいロゼ色を保っている。一口食べると、口の中に濃厚な旨味が広がり、思わず笑みがこぼれた。
「……素晴らしい火加減ですわ。料理というものは、下ごしらえも大切ですが、最終的な決め手は火加減ですものね。どんなに良い食材も、火加減を間違えれば台無し。弱火でじっくり火を通すべきところを、強火で一気に仕上げようとすれば、表面だけが焦げ付いて、中は生のままになってしまいますわ」
純粋な料理への感想。だが、その言葉を聞いたアレクシスの目の色が変わった。
「……火加減、か。言い得て妙だな」
彼の脳内では、わたくしの言葉が、全く別の意味に変換されていた。
(『良い食材(優秀な駒)』、『火加減(計画の進め方)』……。『弱火でじっくり(時間をかけて周到に)』やるべき計画を、『強火で一気に(性急に)』進めれば、『表面だけが焦げ付き(計画が露見し)、中は生(目的は達成できない)』……だと!?)
ボルコフが捕まり、マルザスが逃亡したことで、彼らの計画――『泥』の計画――は、大きな修正を迫られていた。焦った父であるルナール公爵が、強硬策に打って出ようとしているのを、アレクシスは危惧していたのだ。
わたくしの言葉は、その彼の懸念を、的確に言い当てていた。
「君は、何者だ? ただの冒険者ではあるまい」
「さあ、何でしょう。ただ、わたくし、美味しいものをいただくのが好きなだけですわ。そのためには、手間暇を惜しんではいけない、と思っておりますの」
「手間暇……か。なるほどな」
アレクシスは、何かを納得したように頷くと、運ばれてきた自分の炎龍鶏にナイフを入れた。そして、一口食べると、静かに言った。
「……父上が、焦っておられる。近々、王都で大きな『祭り』を催すおつもりだ。俺は、それを止めたいのだが……どうすれば、父上の『熱』を冷ますことができると思う?」
まるで、謎かけのような質問。だが、わたくしには、ごく簡単な料理の質問にしか聞こえなかった。
(お父様が、お料理に夢中になりすぎて、火加減を間違えそうになっている、ということですわね。よくあることですわ)
「まあ、簡単ですわ。お鍋が熱くなりすぎた時は、一度火から下ろして、濡れ布巾の上に置いて差し上げるのが一番ですわ。急激な温度変化で、余計な熱を冷ましてあげるのです。そうすれば、頑固な焦げ付きも防げますわよ」
料理の豆知識。それが、アレクシスの心を、大きく揺さぶった。
(『濡れ布巾』……! 外部からの、予期せぬ『冷や水』……! そうだ、父上の計画を頓挫させるには、外部からの介入、例えば、隣国との緊張関係を煽るなどして、国内に目を向けさせている余裕をなくさせれば……!)
アレクシスは、はっと顔を上げた。その目には、先ほどまでの冷たさは消え、ある種の光明を見出したかのような、熱い光が宿っていた。
彼は父を止める術を見出したようだ。父ルナール公爵を上手く抑え込み、泥舟からいち早く脱出するつもりなのだろう。
「……シーナ、と言ったか。君は、面白い女だ。俺の『料理』の、最高のスパイスになってくれるかもしれん」
彼はそう言うと、一枚の金貨をテーブルに置き、颯爽と店を去って行った。
◇
レストランの外の通り、その向かいの建物の屋上から、一部始終を監視していたクロウは、信じられないものを見たというように、望遠鏡から目を離せずにいた。
(馬鹿な……! 『泥』の黒幕、ルナール公爵家の嫡男アレクシスと、直接接触しただと!? しかも、何やら、彼に重大な示唆を与えたように見えたが……!)
クロウには、二人の会話の内容までは聞こえない。だが、アレクシスが店を出る時の、吹っ切れたような表情は、はっきりと見えた。
(一体、何を話したのだ? アレクシスは、公爵家の中でも穏健派として知られている。まさか、彼女は……敵の内部に協力者を作り出し、内側から組織を『お掃除』するつもりなのか!?)
とんでもない仮説に、クロウは身震いした。
一方、当のわたくしはといえば、
(まあ、金貨を一枚も! 100万ソルですわ! 気前の良い方ですこと。これで、デザートに最高級のパフェもいただけますわね!)
と、目の前の炎龍鶏と、これから食べるであろう甘いデザートのことで、頭がいっぱいなのだった。
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