第15話:お客様へのおもてなしは、清潔な空間から始まりますの

 静まり返った地下空洞に、わたくしの声が響く。

 岩陰から、黒装束の男――以前からわたくしの後をつけていた、あの気配の主――が、観念したようにゆっくりと姿を現した。


(まあ、やはりこの方でしたか。わたくしのお掃除テクニックを学びたい、熱心なファンの方かしら)


 わたくしはにこやかに微笑みかけた。男は、まるで蛇に睨まれた蛙のように、ぴくりとも動かない。その顔には、緊張と、畏怖と、そしてほんの少しの好奇心が入り混じったような、複雑な色が浮かんでいた。


「ごきげんよう。ずいぶん熱心に、わたくしの『お掃除』の様子をご覧になっていましたわね。何か、ご質問でも?」


「……いつから、気づいていた」


 絞り出すような声だった。


「さあ、いつからでしょう。お掃除をしていると、部屋の隅に溜まった埃にも、自然と気がついてしまうものですわ」


 わたくしがそう答えると、男は苦虫を噛み潰したような顔をした。

(部屋の隅の埃……。俺は、その程度の存在だというのか。最初から、完全に掌の上で転がされていた、と……!)

 クロウは、自分の諜報員としてのプライドが、音を立てて砕け散るのを感じていた。


「わたくしは、シーナと申します。あなた様は?」


「……クロウだ」


「まあ、クロウ様。素敵な響きですわね。カラス(クロウ)は、賢くて、物を集める習性があると言いますわ。きっと、情報収集がお得意なのでしょうね」


 わたくしの何気ない言葉に、クロウの肩がびくりと震え、目を見開いた。

(カラス……! 我ら王家直属諜報員の、符牒(あいことば)……! なぜ、それを知っている!? まさか、俺の正体も、すべてお見通しだというのか!)


 クロウの内心の動揺など露知らず、わたくしは手に持っていた羊皮紙をひらひらと振ってみせた。


「ところでクロウ様。こちら、ご覧になります? 何かの会員名簿のようですが、わたくしにはよく分からなくて。もしかしたら、クロウ様なら、何かご存じかもしれませんわ」


 クロウは、恐る恐るわたくしに近づき、羊皮紙を受け取った。その内容に目を通した彼の顔が、みるみるうちに青ざめていく。


「こ、これは……! 間違いない、『泥』の中枢メンバーのリスト……! これを、俺に渡すというのか? 一体、何を企んでいる……?」


 クロウの疑念に満ちた視線に、わたくしは心底不思議そうな顔で首を傾げた。


「企む、だなんて人聞きが悪いですわ。わたくし、こういう書類の整理は苦手でして。それに、ゴミはちゃんと分別して、専門の業者の方にお任せするのが一番効率的でしょう?」


 『書類の整理(尋問・調査)』、『ゴミの分別(罪状の仕分け)』、『専門の業者(王国の司法機関)』。

 わたくしの言葉は、クロウの耳には、完璧な業務連絡として届いていた。


(……そういうことか。彼女(と彼女の組織)は、直接手を下すつもりはない。このリストを王家側に渡し、我々の手で『泥』を掃除させようというのか。なんという、周到な……!)


 クロウは、シーナという女の底知れない深謀遠慮に、もはや感嘆のため息しか出なかった。彼は、リストを恭しく懐にしまうと、わたくしに向かって深々と頭を下げた。


「……承知した。この『ゴミ』は、我々が責任を持って『処分』しよう。……シーナ殿、あなた(の組織)の目的は、一体何なのだ? この国を、どうするつもりだ?」


「目的、ですって? ふふ、そんな大それたものではございませんわ」


 わたくしは、祭壇の周りに散らばるスケルトンの骨や、気絶した男たちを見回して、にっこりと微笑んだ。


「ただ、汚れている場所を、綺麗にしたいだけ。お客様をお迎えするなら、まずはお部屋をピカピカにして、心地よい空間でおもてなしするのが、淑女の嗜みですもの」


 その言葉は、クロウの心に、雷鳴のような衝撃となって突き刺さった。


(『お客様』……だと!? まさか、彼女の組織は、この国に代わる、新たな『主』を迎え入れようとしているのか!? そのための地ならし……『大掃除』……! この国の転覆すら、計画のうちだというのか……!)


 クロウの勘違いは、もはや銀河系の彼方まで飛んで行ってしまっていた。



 クロウは、わたくしにこれ以上関わるのは危険すぎると判断したのだろう。彼は、「この件は、必ず上に報告する」という言葉を残し、影に溶けるようにして姿を消した。


(行ってしまわれましたわ。結局、お掃除のコツは聞かずに……。シャイな方ですのね)


 わたくしは、一人残された地下空洞を見回す。気絶したローブの男たち、散らばった骨、そして不気味な祭壇。


(まったく、散らかり放題ですわ。これでは、次のお客様もびっくりしてしまいますわね)


 わたくしは腕まくりをすると、本格的な『お掃除』に取り掛かった。

 まずは、床に散らばった骨や武具を、スキルの力で革袋(実質アイテムボックス)の中へと収納していく。次に、気絶している男たち。彼らをこのままにしておくわけにはいかない。


「お掃除(クリーン)」


 わたくしは、彼らの記憶から、この場所に関する部分だけを、綺麗さっぱり『お掃除』して差し上げた。彼らが目を覚ました時、なぜこんな場所で倒れているのか、何も覚えていないだろう。これで、面倒な後始末も必要ない。

 最後に、この禍々しい祭壇。


「こんな大きな粗大ごみは、解体しないと処分できませんわね」


 わたくしは槍『リグレット』を構え、祭壇の中心にある『汚点』――力の源となっているコアの部分――を、力いっぱい突き崩した。

 ゴゴゴゴ……! という地響きと共に、黒曜石の祭壇は、砂の城のように崩れ去っていく。


「ふぅ、スッキリしましたわ」


 後には、ただの広い地下洞窟が残されただけ。わたくしは、自分の仕事ぶりに満足し、鼻歌交じりで地上への階段を上り始めた。



 一方、王都の諜報部本部に駆け込んだクロウは、上官である将軍に、震える声で報告をしていた。


「……以上が、『掃除屋』シーナとの接触のすべてです」


「……信じられん」


 将軍は、クロウが持ち帰った『泥』のリストを手に、呻くように言った。


「たった一人の少女が、この国を蝕む巨大な腐敗の根を、こうも容易く……。しかも、彼女の背後には、我々の知らぬ、この国を『お客様』に明け渡そうとする、さらに巨大な組織が存在するというのか……」


「はい。彼女は言いました。『心地よい空間でおもてなしするのが、淑女の嗜みだ』と……。おそらく、我々の想像を絶する『何か』が、始まろうとしています」


 報告を聞き終えた将軍は、厳しい顔で決断を下した。


「……全諜報員に告ぐ。これより、我々は『掃除屋』シーナの行動を、最大限に支援する。彼女の『お掃除』は、我々が国を守るための、唯一の道筋かもしれん。彼女の意図を正確に読み取り、決して邪魔をしてはならん。……これは、国王陛下への上奏を経た、最優先事項である!」


 わたくしがダンジョンの出口で、集めた魔石の数を数えて「まあ、これで美味しいステーキがいただけますわ!」などと喜んでいた頃。

 わたくしの知らないところで、国家レベルの、とんでもない『シーナ様お掃除サポートプロジェクト』が、正式に発足してしまったのだった。

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