第14話:水回りの汚れは、酸性とアルカリ性を見極めるのが肝心ですわ
地下へと続く階段を延々と下り続ける。本来なら十階層まで進むのは至難の業のはずだが、わたくしのスキルは「汚れの流れる道」を感知できるようだ。
(こっちが風通しが悪くて、こっちが汚水が流れている……つまり最短ルートですわね)
お掃除に最適なルートを選んで進んでいくと、いつの間にか最深部である第十階層、さらにその奥にある広大な地下空洞に到達していた。
階段を下りきると、そこは人工的に拡張されたような巨大な空間になっていた。天井からは鍾乳石がいくつも垂れ下がり、その先端から滴る水滴が、不気味な音を立てて水たまりに落ちている。そして、空間の中央には、黒曜石を切り出したかのような、禍々しい祭壇が鎮座していた。
祭壇の上では、ローブを深く被った三人の人影が、何やら怪しげな儀式を行っている最中だった。彼らの足元には魔法陣が描かれ、紫色の光を放っている。
「古の盟約に従い、我らが主にさらなる力を……」
「『泥』の栄光のために、この地の死者を糧とせよ……!」
ローブの男たちが呪文を唱えると、祭壇の周りに溜まっていた水が、まるで墨汁を流したかのように黒く濁っていく。あれが、残留思念の言っていた『黒い聖水』に違いない。
(まあ、なんてひどい排水の詰まり方。これでは、お魚も住めませんわ。生活排水は、きちんと浄化してから川に流すのがマナーですのに)
環境破壊を憂いていると、儀式をしていた男たちの一人が、わたくしの存在に気づいた。
「何奴だ!?」
三人の男が、一斉にこちらを振り返る。そのローブの下から覗く顔は、生気がなく、目の下には深い隈が刻まれていた。
「おやおや、お取り込み中でしたか。ですが、見て見ぬふりはできませんわ。その汚れたお水、わたくしが綺麗に浄化して差し上げます」
「小娘が、何を言っている……! 我らがマルザス様より賜りし、この聖なる力を邪魔する者は、死の兵団の餌食となるがいい!」
リーダー格らしき男が杖を掲げると、黒く濁った水面から、ぶくぶくと泡が立ち上り、中からおびただしい数のスケルトンたちが姿を現した。その数、ゆうに三十は超えている。
「ふふふ、この『黒い聖水』は、触れた死者を意のままに操る呪いの水。お前のような小娘一人、骨も残さず喰らい尽くしてくれるわ!」
スケルトンの群れが、骨を鳴らしながら一斉にわたくしへと迫ってくる。まさに、絶体絶命のピンチ。
しかし、わたくしの心は、不思議と落ち着いていた。なぜなら、目の前の光景は、わたくしにとって見慣れたものだったからだ。
(まあ、これは……お風呂場のぬめりと、キッチンの油汚れが混ざったような、厄介な複合汚れですわね)
ぬめりはアルカリ性の汚れ。油汚れは酸性の汚れ。性質の違う汚れを落とすには、それぞれに合った魔法の粉(洗剤)を使わなければならない。
以前なら苦戦していたかもしれない。でも、今のわたくしは違う。ここまでの冒険で、『お掃除』のコツをより深く理解している。
「お掃除の基本、お見せいたしますわ」
わたくしは槍『リグレット』を構え、まず、スケルトンを生み出している黒い聖水そのものに意識を集中した。
(この汚れの性質は、酸っぱい臭いがするから酸性……いえ、これは呪いという名の、特殊なタンパク質汚れに近いですわね。ならば、魔法の粉で中和するのが一番ですわ!)
「お掃除(クリーン)!」
わたくしがスキルを発動すると、黒く濁っていた水たまりが、みるみるうちに浄化され、元の透明な水へと戻っていく。
すると、どうだろう。水から這い出てきていたスケルトンたちが、供給源を断たれたかのように動きを止め、次々と崩れ落ちていくではないか。
「な、なんだと!? 聖水が、ただの水に……!?」
ローブの男たちが、信じられないといった表情で狼狽えている。
「さて、次はあなた方、こびり付いてなかなか落ちないカビ汚れのお掃除ですわ」
わたくしは、残ったスケルトンたちを薙ぎ払いながら、一直線に祭壇へと突進する。
◇
ローブの男たちは、慌てて懐から黒い短剣を取り出し、わたくしに斬りかかってきた。彼らの動きは素早く、連携も取れている。マルザス男爵の私兵の中でも、手練れの暗殺者なのだろう。
しかし、わたくしの『お掃除』スキルによって最適化された動きの前では、赤子の手をひねるようなものだった。
右から迫る剣を、棚の上を拭くようにいなし、左からの突きを、床のシミを擦るようにかわす。そして、正面の男が振り下ろした杖の先端に見える『汚点』を、リグレットの石突きで正確に弾く。
体勢を崩した三人の男たちの急所――喉元、心臓、眉間――に、それぞれ黒い『汚点』が浮かび上がる。
(まあ、なんて分かりやすい汚れ。これでは、お掃除してくださいと言っているようなものですわ)
わたくしは、流れるような三連撃で、それぞれの『汚点』を的確に突いた。男たちは呻き声一つ上げる間もなく、その場に崩れ落ちる。
「ふぅ……。お掃除、完了ですわね」
わたくしが息をついていると、気絶した男の一人の懐から、羊皮紙が滑り落ちた。拾い上げてみると、そこには何やら難しそうな文字で、たくさんの名前が羅列されている。
「まあ、これは……? 『泥』の構成員リスト、かしら。何かの会員名簿のようですけれど、ずいぶん汚れたお名前ばかりですわね。それに、この紋章……どこかで見たような……」
羊皮紙の隅に押された印は、月見草とよく似た、しかしもっと禍々しい意匠の植物の紋章だった。
わたくしがそれをまじまじと眺めている、その時。
◇
地下空洞の入り口で、息を殺して戦いの行方を見守っていた諜報員クロウは、もはや驚きを通り越して、畏怖の念を抱いていた。
(……馬鹿な。古代の呪具である『黒い聖水』を、一瞬で浄化しただと!? あれは、聖属性の最上級魔法でもなければ、浄化は不可能のはず……! 彼女のスキル『お掃除』とは、一体何なのだ……!)
そして、シーナが手にした羊皮紙。クロウは、遠目からでもそれが何であるか、瞬時に理解した。
(あれは……! マルザスが王都で接触しようとしていた、反王家派閥の貴族たちのリスト! 『泥』の組織の、中枢メンバーの名が記されているはずだ! 彼女は、このリストを手に入れるために、すべてを仕組んだというのか!)
ボルコフを捕らえ、マルザスを泳がせ、王女の縁談を破談にさせて王都を混乱させ、その隙にダンジョンのアジトを叩き、中枢リストを手に入れる。
点と点だった事件が、クロウの頭の中で一本の線で繋がり、シーナという『掃除屋』の、恐ろしくも壮大な計画の全貌が浮かび上がった。
(そして、あの紋章……! あれは、ルナール公爵家のもの! 『泥』の黒幕は、やはり……!)
クロウが戦慄していると、シーナがふと、こちらに視線を向けた。
そして、くすりと、天使のように可憐に、しかしクロウには悪魔のように不気味に微笑んだ。
「あら、そんなところに隠れていないで、出てきたらいかが? 埃っぽいところにずっといると、喉に悪いですわよ」
気づかれていた。最初から、すべて。
クロウは、冷たい汗が背中を伝うのを感じながら、ゆっくりと、岩陰から姿を現した。
目の前に立つのは、血と瘴気を浴びながらも、一点の曇りもなく清廉に佇む、銀槍の少女。
その瞳は、クロウの心の奥底まで、すべてを『お掃除』してしまいそうなほど、澄み切っていた。
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