第13話:カビ汚れは、根こそぎお掃除するのが基本ですわ

 ダンジョンの第一階層は、じめじめとした洞窟だった。壁にはびっしりと苔が生え、足元からは常に水の滴る音が聞こえる。空気はひんやりと冷たく、そして、死の匂いがした。

 わたくしの進む先々で、地面からスケルトンやゾンビといったアンデッドたちが次々と姿を現す。けれど、彼らはもはや敵ではなかった。


「お掃除(クリーン)」


 わたくしが槍『リグレット』でその身にまとわりつく『汚点』に触れるだけで、彼らは満足したかのように光の粒子となって消えていく。その度に、様々な残留思念が流れ込んできた。


『お腹が空いたなあ……』

『故郷の母さんに会いたい……』

『あの時、告白しておけばよかった……』


 どれも、生前のささやかな、そして悲しい後悔の念。

(まあ、皆さん、色々なものを溜め込んでいらっしゃったのね。お部屋も心も、溜め込む前に整理整頓しないと、カビが生えてしまいますのに)

 わたくしは一体浄化するごとに、そっと胸の前で手を組み、彼らの魂が安らぎを得られるよう祈った。もちろん、ドロップアイテムの魔石と銅貨を拾い集めるのも忘れはしない。これも、彼らが残した大切な遺品。わたくしが有効活用して差し上げるのが、一番の供養になるはずだ。


 探索を始めて一時間ほど経った頃だろうか。洞窟の奥から、若い男性の悲鳴と、何かが激しくぶつかり合う音が聞こえてきた。


「ぐあっ! ダメだ、こいつ、今までの奴らと違う!」

「リーダー! しっかりしろ!」


(あらあら、どなたかお困りのようですわね)


 人助けは淑女の嗜み。わたくしは音のする方へと、足早に向かった。

 開けた空間に出ると、そこでは三人の若い冒険者パーティが、一体の大きなアンデッドに苦戦していた。全身をぼろぼろの鎧で固め、その隙間からは不気味な紫色の瘴気が漏れ出している。手にした巨大な戦斧を振り回し、冒険者たちを追い詰めていた。


「嬢ちゃん、危ない! そいつは『グレイブ・ウォーカー』だ! 早く逃げろ!」


 リーダー格らしき、腕から血を流した剣士の青年が叫ぶ。

 わたくしは、そのグレイブ・ウォーカーの全身を覆う、禍々しい『汚点』に目を凝らした。


(まあ、なんてしつこいカビ汚れ……。これは、かなり根が深そうですわね)


 ただの埃やシミとは違う、まるで生き物のように蠢く、悪質な汚れ。こういうものは、表面だけ綺麗にしても意味がない。


「お嬢さん、聞こえてるのか!? 早く!」


 魔術師の少女が、涙声で叫んでいる。

 わたくしは、彼らに向かって安心させるように微笑みかけた。


「ご心配なく。カビは、放置すると建材の奥まで侵食してしまいますから、早めの対処が肝心ですわよ」


「は? カビ……?」


 冒険者たちが呆気に取られている間に、グレイブ・ウォーカーが咆哮を上げ、その戦斧をわたくしめがけて振り下ろしてきた。

 わたくしは慌てない。まるで、屈んで床の隅を拭くように、ごく自然な動きで身をかがめて攻撃を回避する。そして、がら空きになったグレイブ・ウォーカーの胸の中心、瘴気が最も濃く渦巻いている『汚点』――カビの根源――へと、リグレットの穂先を寸分の狂いもなく突き立てた。


「お掃除(クリーン)!」


 わたくしのスキルが発動すると、グレイブ・ウォーカーは断末魔の叫びを上げる間もなく、その巨体を内側から浄化の光に焼かれ、塵となって崩れ落ちた。



 静寂が戻った洞窟で、三人の冒険者たちは、目の前で起きたことが信じられない、という顔で立ち尽くしていた。


「う、そだろ……。あのグレイブ・ウォーカーを、一撃で……」

「魔法じゃ、ない……? 槍で突いただけ……?」


 わたくしは、グレイブ・ウォーカーが消えた場所に落ちていた、一回り大きな魔石を拾い上げると、彼らに向き直った。


「皆様、お怪我はございませんか?」


「あ、ああ……。助かったぜ、あんた、一体何者なんだ?」


 リーダーの青年が、戸惑いながらも礼を言う。わたくしは、彼の腕の傷に目を留めた。


「たいした傷ではなさそうですが、放っておくと化膿しますわ。傷口のばい菌も、お掃除しませんとね」


 そう言うと、わたくしは革袋から、以前採取した月見草で作っておいた軟膏を取り出し、青年の傷に優しく塗って差し上げた。

 その時、グレイブ・ウォーカーを浄化したことで流れ込んできた、これまでとは質の違う、明確な情報が頭の中で整理された。


(まあ、この汚れ、ずいぶん具体的なことを教えてくれますわね)


 わたくしは、思わず独り言を呟いてしまった。

「このダンジョンの地下十階層から、さらに奥へ続く隠し通路があるようですわ。そこは街の古い地下水道と繋がっていて……『黒い聖水』なるもので、何やら汚れた儀式が行われている、と。……それに、『泥』の印、ですって。きっと、泥汚れのマークでもあるのかしら」


 その言葉を聞いた瞬間、冒険者たちの顔色が変わった。


「『黒い聖水』だと!? そ、それは禁断のネクロマンシーの儀式に使うという呪物じゃねえか!」

「『泥』の印……まさか、このアンデッド大量発生は、街から逃げたマルザス男爵の残党の仕業だっていうのか!?」


(あら、わたくしの独り言で、何かを閃いたようですわね)


 彼らが何やら深刻な顔で話し合っているのを横目に、わたくしは一礼した。


「それでは、わたくしはこれで。汚れの元を断ちに行きませんと」


 原因が分かっている汚れを放置するなど、お掃除屋の名が廃るというもの。わたくしは、彼らが止める間もなく、ダンジョンのさらに奥へと続く階段の方へと歩き出した。



 一部始終を、遠くの物陰から監視していたクロウは、かつてないほどの興奮と戦慄に体を震わせていた。


(やはり、彼女はすべてを知っていた! このアンデッド騒ぎが、ただの自然発生ではないことを!)


 そして、シーナの最後の独り言。それは、クロウにとって、衝撃的な情報だった。


(『黒い聖水』……! 王家の禁書庫の記録にのみ残る、古代の呪具の名だ! 『泥』……地方貴族どもが、そんなものまで持ち出しているというのか!? シーナは、それを追ってこのダンジョンに来たに違いない! 王女の縁談破談騒ぎは、陽動……! 本命は、こちらだったのだ!)


 クロウは、自分の浅はかさを恥じた。あの女の描く壮大な計画の、ほんの表層しか見えていなかったのだと。


 一方、わたくしはといえば、

(地下の儀式場ですって……。きっと、珍しい宝石とか、高価な燭台とか、色々なお宝が埃を被っているに違いありませんわ! それを綺麗にお掃除して、ついでにいくつか頂いていけば、今日の夕食は豪華にできそうですわね!)

 などと、不純な動機で胸をときめかせながら、暗い階段を一段、また一段と下りていくのだった。

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