第12話:ダンジョンのお掃除は、まず入口から丁寧に始めませんと

 結局、わたくしは悩みに悩んだ末、空色シルクの可憐なセットと、夜闇色のレースが艶やかなセット、二つの下着を購入した。銀貨百枚という大金を手にした後では、その出費など微々たるもの。新しい下着を包んでもらった紙袋を抱え、『木陰の宿』への帰り道、わたくしの心はスキップでもしそうなほど軽やかだった。


(うふふ、これで明日から、気分も一新できますわね!)


 王女様との一件はすっかり頭から抜け落ち、わたくしはすっかり自分の世界に浸っていた。自室に戻り、ベッドの上に戦利品を広げ、その美しさにうっとりと溜息をつく。夜は、買ってきたばかりの夜闇色のランジェリーを身につけて眠りについた。滑らかなシルクの肌触りは、心なしか安眠効果もあるようだ。



 一夜明け、気分も新たにわたくしは冒険者ギルドへと向かった。何か新しい依頼はないかしら、と軽い気持ちだったのだが、街の様子が昨日とは少し違っていた。道行く人々が、何やらひそひそと囁き合っている。


「おい、聞いたか? アナスタシア王女殿下が、隣国との縁談を……」

「まさか、この時期に破談になんてなったら……」


 断片的に聞こえてくる会話に、わたくしは少しだけ胸騒ぎを覚えた。

(アナスタシア様……。まさか、本当に直談判なさったのかしら? だとしても、そんなに早く噂が広まるものかしら……)


 不安を抱えつつギルドの扉を開けると、そこには鬼気迫る表情のリリアさんと、腕を組んで厳しい顔で唸るギルドマスターのゴードン氏がいた。わたくしの姿を認めるやいなや、リリアさんが駆け寄ってくる。


「シ、シーナ様……! お、お待ちしておりました……!」


「まあ、リリアさん。まるで、床下の配管が詰まってしまったかのような、深刻なお顔ですけれど」


 わたくしが小首を傾げると、リリアさんがわなわなと震える声で言った。


「配管詰まりどころの騒ぎではございませんわ! シーナ様、昨日、あなた様が『絹の揺り籠』でアナスタシア王女殿下と接触され、例の政略結婚を破談に追い込むよう唆した、という噂が、すでに王都の一部にまで届いております……!」


(やっぱりー!? しかも唆したって! 人聞きの悪い! わたくしは、ただお洗濯のアドバイスを差し上げただけですのに!)


 どうやら、あの時の王女様の行動力は、わたくしの想像をはるかに超えていたらしい。


「この一件で、隣国との関係は一気に緊張状態に……。下手をすれば、開戦の口実を与えかねません。……シーナ様、これが、あなた様の描く『お掃除』の、次なる一手なのですか?」


 ゴードン氏が、探るような目でわたくしを見つめる。


(いいえ、違いますわ! ただの下着選びがきっかけですわ!)


 心の叫びは、しかし、口には出せない。ここで「実は下着を買いに行っただけです」などと言えば、これまで築き上げてきた(と彼らが勝手に思っている)プロフェッショナルなイメージが崩壊してしまう。わたくしは、曖昧に微笑むことしかできなかった。


「さあ、どうでしょう。汚れた洗濯物を一度に洗おうとすると、洗濯機が壊れてしまうこともありますものね。時には、一つずつ、丁寧に手洗いすることも必要ですわ」


 その言葉は、またしても彼らの頭の中で、壮大な計画へと変換されたようだった。

「『洗濯機が壊れる』……つまり、国家間の戦争という全面対決は避けると……!」「『一つずつ手洗い』……! まずは国内の『汚れ』、つまり腐敗貴族の粛清を優先する、という意味ですわね!」


(……もう、どうにでもなってくださいまし)


 わたくしは、半ば諦めの境地で、依頼ボードへと目を向けた。国家間の問題など、今のわたくしには荷が重すぎる。もっと、目の前の分かりやすい『汚れ』と向き合いたい気分だった。

 すると、Gランクの依頼の中に、ちょうど良いものを見つけた。


『緊急依頼:リンドブルムダンジョンにてアンデッド大量発生! 浄化を求む。報酬:銀貨三枚』


 このリンドブルムダンジョンは、地下十階層まである巨大な洞窟だと聞いている。アンデッド。生前の強い未練や執着が『汚れ』となって魂にこびりついた、哀れな存在だと本で読んだことがある。まさに、お掃除のしがいがありそうな相手ではないか。


「リリアさん、こちらの依頼、お受けしますわ」


 わたくしが依頼書をカウンターに持っていくと、リリアさんとゴードン氏は、またしても目を見開いて驚いていた。


「えっ!? こ、こんな雑魚モンスターの討伐依頼を、シーナ様が……?」


「ええ。大きな汚れに目を向けるのも大切ですが、足元の埃を疎かにしては、いずれ転んでしまいますわ。基本が、一番大事ですもの」


「足元の埃……! なるほど、王都の騒動という大きな問題から世間の目を逸らすために、あえて地味な依頼でカモフラージュを……! そして、この『アンデッド』とは、すなわち王政に巣食う『生ける屍』のような貴族たちの暗喩! ダンジョンという『社会の深層』に潜り、腐敗の根を断つという、強い意志表示ですのね!」


 リリアさんの想像力は、もはや天元突破している。わたくしは、ただ報酬の銀貨三枚が欲しくて、アンデッドなら楽に『お掃除』できそうだと思っただけなのだが。



 リンドブルムの街外れにある、巨大な洞窟。それが、ダンジョンの入り口だった。中からは、ひんやりとした、カビ臭い空気が流れ出してきている。この奥深く、十階層目には地上への転送装置があるという噂だが、そこまで行く冒険者は稀だという。


 わたくしが入り口に立つと、中から一体のスケルトンが、骨をガシャガシャと鳴らしながら現れた。その体には、ところどころに黒い瘴気のような『汚点』がまとわりついている。


(まあ、なんて可哀想に……。こんなになるまで、放っておかれて)


 わたくしが槍『リグレット』を構えると、スケルトンは錆びた剣を振りかぶってきた。しかし、その動きはあまりに緩慢だ。

 わたくしは攻撃を軽くいなすと、スケルトンの胸骨の中心にある、一際濃い『汚点』に、リグレットの穂先をそっと触れさせた。


「お掃除(クリーン)」


 スキルを発動した瞬間、スケルトンを覆っていた黒い瘴気が、光の粒子となって浄化されていく。そして、スケルトンの体が、足元からサラサラと塵になって崩れていった。

 その時、わたくしの脳裏に、断片的なイメージが流れ込んできた。


『……愛しい妻……生まれたばかりの我が子……もう一度、この手に抱きたかった……』


(……あら?)


 まるで、この骨に残された、悲しい物語を読んでしまったかのような、不思議な感覚。わたくしは、崩れた塵の山に向かって、そっと手を合わせた。


「この汚れ……なんだか、とても悲しい物語を語っているようですわ。もう、安らかにお眠りなさい」


 わたくしがポツリと呟いた、その時。

 後方の岩陰から、わたくしの様子を監視していた諜報員クロウは、全身に鳥肌が立つのを感じていた。


(な……なんだ、今の技は!? アンデッドに触れただけで、その存在そのものを消滅させた……! しかも、今、彼女は言ったぞ。『悲しい物語を語っている』と……!)


 クロウの頭の中で、最悪の仮説が組み上がる。


(まさか、対象に触れることで、その者の持つ情報や記憶……秘密をすべて読み取る能力を持っているというのか!? だから『掃除屋』……! ただ敵を消すだけではない。その者の持つ情報ごと『掃除』し、自らの武器とする! 恐るべきサイコメトリー能力者!)


 クロウが戦慄しているとは露知らず、わたくしは、初めてのダンジョンに少しだけ胸を躍らせていた。アンデッドを倒すと、魔石と、たまに錆びた銅貨を落とすらしい。


(さあ、どんどん綺麗にして、魔石とドロップアイテムで、お小遣いを稼ぎますわよ!)


 わたくしは、昨日購入したばかりの下着が入った紙袋を「お掃除」スキルで整理整頓された革袋(実質的なアイテムボックス)に大事にしまい込み、槍を構え直した。


「さて、大掃除の始まりですわね」


 ダンジョンの薄暗い闇の奥へと、わたくしは一人、足を踏み入れていく。その背後を、国家を揺るがす最終兵器を見るような目で、一人の諜報員が必死に追跡していることなど、夢にも思わずに。

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