第8話:血の汚れは、温水で洗い流すのが基本ですわ
「問答無用!」
ボルコフの野太い号令と共に、屈強な手下たちが雄叫びを上げて店内に雪崩れ込んできた。狭い空間に、むっとする汗と鉄の匂いが充満する。武器と武器がぶつかり合う甲高い音、そして店主であるドワーフの鬨の声が響き渡った。
「俺の神聖な仕事場を土足で汚すなあ、ゴロツキどもがぁっ!」
店主は巨大な戦斧を軽々と振り回し、ボルコフの手下を一人、また一人と薙ぎ倒していく。その姿は、まさに怒れる猪のようだ。
(まあ、ご店主様、お強いですわね。まるで、業務用の大型ポリッシャーのようですわ)
わたくしは感心しつつ、自身も構えた槍『リグレット』に意識を集中する。呪いという名の『汚れ』が落ちたこの子は、まるで生まれ変わったかのようにわたくしの手に馴染んでいた。
三人の男が、わたくしを囲むように同時に斬りかかってくる。
「死ねや、小娘!」
わたくしは慌てない。まるで長い柄のモップで床を磨くように、円を描く動きで槍を回転させた。リグレットの石突きが一人目の男の足首の『汚点』を的確に打ち、穂先が二人目の男の剣を弾き、柄の部分が三人目の男の鳩尾にめり込む。
一連の動作は、わずか一秒。三人の男たちは、何が起こったのかも分からないまま、呻き声を上げて床に転がった。
「まあ、なんて滑らかな使い心地。この絶妙なしなりが、遠心力を最大限に活かしてくれますわ。これなら、手の届かない場所の頑固な汚れも、一網打尽ですわね!」
新しい道具の性能を確かめ、わたくしは一人悦に入る。
次の一人が大上段に剣を振りかぶってきた。その鎧の胸元に、黒い『汚点』が見える。
(あら、あんなところにサビが。放置すると、金属が脆くなってしまいますのに)
わたくしは、錆を削ぎ落とすように、リグレットの穂先を軽く突き出した。
キィン、という甲高い音と共に、分厚いはずの鉄の胸当てが、まるで紙のように貫かれていた。男は信じられないものを見るように己の胸を見下ろし、そのまま崩れ落ちる。
「……素晴らしい切れ味ですわ。これなら、こびり付いた水垢も綺麗に落とせそうですわね」
わたくしの独り言を聞いていた店主は、戦斧で敵を殴りつけながら、内心で戦慄していた。
(水垢だと!? 馬鹿な、あの切れ味は、水魔法の防御結界すら貫くという意味か!? とんでもねえ……! この嬢ちゃん、一体どこまで底が知れねえんだ!)
◇
手下たちが面白いように片付いていくのを見て、ボルコフの顔が怒りと焦りで歪んでいく。
「雑魚どもが、下がってろ! 俺が直々に料理してやる!」
ボルコフは背負っていた巨大な両手剣(クレイモア)を抜き放ち、地響きを立ててわたくしに突進してきた。その剣筋は、これまでのチンピラたちとは比べ物にならないほど鋭く、重い。
風を切る音と共に、大剣がわたくしの頭上めがけて振り下ろされる。わたくしは体をひねってそれをかわすが、剣が叩きつけられた床の石畳が砕け散った。
(まあ、なんて乱暴な方。これでは、後のお掃除が大変ですのに)
ボルコフは休む間もなく、横薙ぎ、突き、と多彩な攻撃を繰り出してくる。わたくしはそれを、リグレットを巧みに操って受け流し、捌いていく。
その時、リグレットを握る手を通して、ボルコフのどす黒い感情と共に、断片的な映像が流れ込んできた。
『……密輸品のリスト……金貨の山……地下牢で泣く人々……』
(まあ、この方、ずいぶん色々なものを溜め込んでいらっしゃるのね。きっと、お部屋が散らかっているに違いありませんわ。不要なものは整理しないと、心の澱になってしまいますのに)
わたくしがそんなことを考えていると、ボルコフの大振りの一撃の軌道に、一瞬だけ黒い『汚点』が見えた。重心が僅かにぶれ、力が完全に乗り切っていない隙だ。
「そこですわ!」
わたくしはその『汚点』――ボルコフの踏み込んだ足元を、リグレットの石突きで正確に突いた。
「なっ!?」
体勢を崩したボルコフの体が、大きくよろめく。そのがら空きになった胴体に、一際大きく、禍々しい『汚点』が浮かび上がっていた。
「お掃除(クリーン)!」
わたくしの突き出したリグレットの穂先は、寸分の狂いもなくその『汚点』の中心――ボルコフの鎧の隙間を捉え、その動きを完全に封じた。穂先の冷気が、ボルコフの肌を粟立たせる。
「……な、ぜだ……。なぜ、俺の剣の癖が読めた……」
「癖、ですって? いいえ、違いますわ。ただ、あなたの重心がずれておりましたの。家具の配置が悪いと、お部屋全体のバランスが崩れてしまいますでしょう? それと同じことですわ」
ボルコフは、何を言われているのか理解できない、という顔でわたくしを見つめていた。わたくしは、これ以上店を汚すわけにはいかないと判断し、槍を引いた。
「これ以上お店を汚すのは、ご店主様に申し訳が立ちませんわ。お掃除は、これで終いです」
その言葉は、ボルコフには「ここで殺しはしないが、この件は終わりではない」という、冷酷な宣告に聞こえた。
◇
騒ぎを聞きつけた衛兵たちが、なだれ込むように店に入ってきた。彼らは武装したボルコフと伸びた手下たち、そして槍を構えたわたくしと戦斧を持つ店主を見て一瞬たじろいだが、すぐに状況を理解し、ボルコフたちを取り押さえた。
「お、覚えてやがれ、小娘……!」
連行されていくボルコフが、憎悪に満ちた目でわたくしを睨みつける。
「俺を潰しても、何も終わりゃしねえ! この街の『泥』の旦那方が、てめえを黙って見過ごすはずがねえからな!」
『泥』。その言葉に、店の外で様子を窺っていた諜報員クロウの眉がぴくりと動いた。
(『泥汚れ』……やはり、地方貴族のことか。マーチャント商会の背後には、やはり奴らがいたか。彼女は、そこまで見抜いた上で、このボルコフを生かしたのだ。すべては、本丸である『泥』を炙り出すために……!)
クロウは、シーナという『掃除屋』の、底知れない計画性に改めて戦慄した。
一方、そんな壮大な勘違いが繰り広げられているとは露知らず、わたくしは店主に深々と頭を下げていた。
「ご店主様、大変申し訳ございません。あなたの大切なお店を、こんなに汚してしまって……」
床には、砕けた石畳や、男たちの流した血で汚れている。
だが、店主は豪快に笑い飛ばした。
「はっはっは! 気にするな! こんな汚れ、すぐに掃除すりゃいい! それより嬢ちゃん、見事な腕前だったぜ! この『リグレット』も、おめえみてえな主に使ってもらえて、喜んでるだろうよ。代金なんざいらねえ! そいつは、おめえのもんだ!」
「まあ! よろしいのですか!?」
思わぬ申し出に、わたくしの顔がぱあっと明るくなる。
「ありがとうございます、ご店主様! この子のこと、毎日ちゃんとお手入れして、大切にいたしますわ!」
(これから毎日、この子でお掃除できるなんて、夢のようですわ!)
伝説の呪われた槍を、最新式の高級モップか何かのように思いながら、わたくしは満面の笑みを浮かべた。
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