第9話:洗濯物は、汚れの種類によって洗い方を変えるのが常識ですわ
マーチャント商会の支部長ボルコフを捕縛したという一件は、あっという間に街中に広まった。わたくしがギルドへ向かう道すがら、すれ違う冒険者たちがヒソヒソと噂話をしているのが聞こえてくる。
「おい、聞いたか? あの『掃除屋』のシーナって新人が、ボルコフを一人で捕まえたらしいぜ」
「まじかよ! あのボルコフをか? Eランクの新人じゃなかったのか?」
「それが、とんでもない凄腕らしい。ギルドマスターも一目置いてるって話だ」
(まあ、わたくしの評判が、ずいぶん上がっているようですわね)
少し気恥ずかしいような、誇らしいような、複雑な気持ちだ。わたくしはただ、目の前の汚れを掃除しただけなのだが。
ギルドに入ると、昨日までとは明らかに空気が違った。畏怖と尊敬の入り混じった視線が、わたくしに突き刺さる。わたくしがカウンターへ向かうと、モーゼの十戒のように、冒険者たちが道を開けた。
「シ、シーナ様! この度は、誠に、お見事でございました……!」
受付のリリアさんは、興奮で頬を上気させながら、深々と頭を下げた。
「ボルコフの奴、衛兵の尋問に、あっさりと悪事のすべてを白状したそうです。密輸、違法薬物の栽培、人身売買……。これで、この街のマーチャント商会は壊滅ですわ! これもすべて、シーナ様が『根本からお掃除』してくださったおかげです!」
(あらあら。わたくしはただ、あの方の足元がふらついていたのを正して差し上げただけですのに。よほど良心に響いたようですわね)
どうやら、わたくしの膝蹴り……いえ、愛の鞭が、ボルコフの歪んだ心を綺麗に洗い流してくれたらしい。素晴らしいことだ。
「それで……ボルコフが最後に、何か気になることを言っていたと伺いました。『泥の旦那方』がどうとか……」
リリアさんが、声を潜めて尋ねてくる。
「ええ、確かにおっしゃっていましたわ。この街の『泥』……。おそらく、泥汚れのことでしょう。泥汚れは、繊維の奥に入り込むと、なかなか落ちない厄介な汚れですものね。きっと、この街には、それだけ根深い汚れが蔓延っているということですわ」
わたくしが掃除の豆知識を交えて答えると、リリアさんは「なるほど……!」と、何かを深く納得したように頷いた。
「根深い汚れ……! この街の領主代行、マルザス男爵のことですわね! あの男が、ボルコフの後ろ盾だったに違いありませんわ!」
(まるざす……? どなたかしら)
わたくしが首を傾げていると、リリアさんは一枚の依頼書を差し出してきた。
「シーナ様、実は、あなた様のような『プロ』の方にしかお任せできない、極秘の依頼がございますの。マルザス男爵主催の夜会に潜入し、彼の不正の証拠を『お掃除』……いえ、確保していただきたいのです」
報酬額は、なんと金貨一枚――100万ソルだった。
(ひゃ、百万ソル!? も、もちろんお受けいたしますわ!)
わたくしは、二つ返事で依頼を引き受けた。貴族の夜会は、幼い頃から何度も経験している。潜入など、お手の物だ。何より、報酬が魅力的すぎる。
◇
その夜、わたくしはギルドが用意してくれた、深紅のドレスに身を包み、マルザス男爵の屋敷にいた。招待状は、ギルドが『しかるべき筋』から手に入れてくれたらしい。
きらびやかなシャンデリア、優雅に流れる音楽、着飾った紳士淑女たち。かつてわたくしがいた世界と、何も変わらない。けれど、そこにいる人々の心のうちは、きっとひどく汚れているのだろう。
(さて、まずは情報収集ですわね)
わたくしは、給仕からシャンパンを受け取ると、壁の花を装って、貴族たちの会話に耳を澄ませた。
「聞いたかね? マーチャント商会のボルコフが捕まったそうだ」
「ああ。どうやら、マルザス様は尻尾切りをなさったらしい」
「これで、あの『黒い薬』のルートも消えるな。我々も、しばらくは大人しくしているしかないか……」
(黒い薬……? まあ、きっと漢方薬か何かですわね。体に良いものでも、用法用量を守らないと毒になりますから。節制は大事ですわ)
わたくしは、雑学を思い出しながら、さらに聞き耳を立てる。
すると、テラスの方で、マルザス男爵らしき肥満体の男が、若い令嬢に言い寄っているのが見えた。令嬢は怯えた様子で、顔が引きつっている。男爵の手が、いやらしく彼女の腰に伸びた、その時。
「まあ、男爵様。そのような場所で、何をなさって?」
わたくしは、優雅に微笑みながら二人の間に割って入った。
「なんだ、貴様は? 見ない顔だな」
マルザス男爵が、不機嫌そうにわたくしを睨む。わたくしは、怯える令嬢をそっと自分の背後にかばいながら、カーテシーをした。
「わたくしは、通りすがりの者ですわ。ただ、洗濯の基本もご存じない殿方がいらっしゃるようですので、忠告にまいりましたの」
「洗濯だと? 何を言っている、この小娘」
「ご存じありませんこと? 泥汚れと、木綿の服についたワインのシミとでは、洗い方が全く違いますのよ。一緒くたに洗ってしまえば、どちらも駄目になってしまいますわ。汚れの種類を見極め、それぞれに合った対処をすること。それが、お洗濯の基本中の基本ですわ」
わたくしの言葉に、マルザス男爵の顔色が変わった。
彼の目には、わたくしの言葉が、こう聞こえていた。
『泥汚れ(お前のような地方貴族)と、木綿の服(ボルコフのようなチンピラ)は、物が違う。一緒にするな。お前の罪は、ボルコフとは別に、きっちりと清算させてもらうぞ』
男爵の額に、脂汗が滲む。
「……貴様、何者だ」
「さあ、何でしょう。ただ、わたくし、汚れているものを見過ごせない性分なだけですわ」
わたくしが微笑むと、男爵はゴクリと喉を鳴らし、後ずさった。
その時、彼の胸ポケットから、一枚の羊皮紙がはみ出しているのが見えた。その羊皮紙には、どす黒く、禍々しい『汚点』がまとわりついている。
(まあ、あれが不正の証拠に違いありませんわ!)
わたくしは、男爵が他の貴族と挨拶を交わすために背を向けた一瞬を狙った。
すれ違いざま、まるでダンスを踊るように華麗なステップで、男爵の懐から羊皮紙を抜き取る。お掃除スキルによる身体最適化は、スリの技術にも応用できるらしい。
「失礼いたしますわ」
誰にも気づかれることなく証拠を手に入れたわたくしは、優雅に一礼し、その場を後にした。
◇
屋敷の庭園で、息を殺して一部始終を見ていた諜報員クロウは、我が目を疑っていた。
(……馬鹿な。マルザス男爵を、言葉だけで完全に威圧しただと!? しかも、あれほど厳重に隠していた密約書を、一瞬で抜き取った……! あれは、ただのスリの技術ではない。空間認識能力と、相手の心理の死角を突く、超一流の諜報技術だ!)
クロウは、自分の諜報員としての能力が、シーナの足元にも及ばないことを痛感し、愕然としていた。
「『泥汚れ』と『木綿の服』か……。ボルコフとマルザスを、明確に『分別』して『洗濯』すると宣言した。つまり、それぞれに相応しいやり方で社会的に抹殺する、ということか……。恐ろしい女だ……!」
クロウの勘違いが、さらなる深みへとハマっていく。
その頃、証拠の羊皮紙をドレスの谷間に隠したわたくしは、夜会のデザートビュッフェに目を輝かせていた。
(まあ、美味しそうなチョコレートケーキ! 任務も完了しましたし、少しだけ、ご褒美にいただいてもよろしいですわよね?)
甘い誘惑と戦いながら、わたくしは次の行動計画を練り始めた。
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