第7話:良い道具は、日頃のお手入れが肝心ですわ
裏路地に転がる五つの粗大ごみを放置し、わたくしは本来の目的地である武具屋へと足を運んだ。懐には八万ソル。これだけあれば、きっと素晴らしいお掃除道具……いえ、武器が手に入るはずだ。
目的の店『鋼鉄の心臓亭』は、いかにも質実剛健といった雰囲気の店構えだった。中に入ると、むっとする鉄の匂いと、油の匂いが鼻をつく。壁一面に剣や斧、鎧が所狭しと並べられており、そのどれもが鈍い光を放っていた。
「……何の用だ」
カウンターの奥から聞こえてきたのは、地の底から響くような低い声。そこにいたのは、背は低いが、丸太のように太い腕を持つ、見事な髭を蓄えたドワーフの男性だった。いかにも頑固一徹な職人といった風情だ。
「まあ、ご店主様。わたくし、槍を探しておりまして」
店主はわたくしを上から下まで値踏みするように一瞥すると、興味なさそうに鼻を鳴らした。
「槍ぃ? お嬢ちゃんが使うのか。やめとけ。槍ってのは、ただ長けりゃいいってもんじゃねえ。全身のバネを使えなきゃ、ただの長い棒だ。お貴族様のお遊びなら、他を当たんな」
冷たいあしらい。けれど、わたくしは怯まなかった。良い道具を作る職人ほど、その道具への愛が深いものだ。生半可な気持ちで触れてほしくない、という彼の矜持が伝わってくる。
「お言葉ですが、わたくし、棒状の道具の扱いには少々自信がございますのよ」
わたくしは壁に立てかけられていた、ごく普通の鉄製の槍を一本手に取った。ずしりとした重みが心地よい。
わたくしは、屋敷の長い廊下をモップがけする要領で、槍を構え、滑るように動かした。床を掃くように石突きで足元を払い、天井の隅を狙うように穂先を突き出し、壁を拭うように柄をしならせる。一連の動作に、一切の淀みはない。『お掃除』スキルが、わたくしの体を最適な動きへと導いてくれる。
「なっ……!?」
それまで興味なさそうにしていた店主が、目を見開いて身を乗り出した。
「この動き……無駄がねえ。まるで、水が流れるようだ。嬢ちゃん、あんた、何者だ?」
「何者、と申しましても……ただのお掃除好きですわ」
わたくしはにっこり微笑むと、手にした槍の感想を述べた。
「この長さと重さのバランス……。天井の高い場所にある蜘蛛の巣を払うのに、ちょうど良さそうですわ。穂先のこの鋭さ、こびり付いて取れない鳥のフンも、綺麗に削ぎ落とせそうですわね」
その言葉を聞いた店主は、ゴクリと唾を飲んだ。彼の脳内では、わたくしの言葉が、全く別の意味に変換されていた。
(『天井の蜘蛛の巣』は、高所の見張りや弓兵のことか……! 『鳥のフン』……空からの奇襲、あるいは空を飛ぶ魔物をも仕留めるというのか!)
わたくしは、さらに言葉を続ける。
「それに、この石突きも重要ですわ。これで床をトントンと叩けば、家具の隙間に隠れた埃も舞い上がってきますから。見えない汚れこそ、徹底的に排除しませんと」
(『床を叩いて隠れた埃を出す』……! 隠れた敵や罠を看破する技術だと!? とんでもねえ嬢ちゃんだ……!)
店主の態度が、180度変わった。
「嬢ちゃん……いや、お嬢様! あんたほどの使い手なら、こんな量産品のナマクラじゃ、すぐに汚れちまう! こいつを使ってみてくれ!」
店主はそう言うと、店の奥からビロードの布に包まれた一本の槍を持ってきた。
布が取り払われると、現れたのは月光を思わせる、白銀の輝きを放つ美しい槍だった。芸術品のような見た目だが、その穂先からは、不気味なほどの冷気が漂っている。
「そいつは、ミスリル銀で作られた『リグレット』。最高の素材を使った至高の一本だが、持ち主を次々と不幸にする呪われた槍だ。俺の親父が打ったんだが、あまりの業物に、嫉妬した魔術師に呪いをかけられてな。以来、誰にも扱えねえ代物になっちまった」
わたくしがその槍に手を伸ばすと、確かに、槍全体がどす黒い『汚点』に覆われているのが見えた。まるで、ヘドロがこびりついているようだ。そして、その汚れの奥から、悲しい声が聞こえるような気がした。
(まあ、なんて可哀想に……。こんなに汚されてしまって。きっと、泣いておりますのよ、この子)
わたくしは、槍を優しく両手で包み込んだ。
「大丈夫ですわ。わたくしが、綺麗にして差し上げますからね。お掃除(クリーン)!」
わたくしがスキルを発動すると、槍を覆っていた黒い瘴気が、みるみるうちに浄化されていく。まるで、頑固な錆が落ちるように。そして、数秒後には、槍は本来の眩いばかりの銀色の輝きを取り戻した。
「な……なんだと!? 長年、誰にも解けなかった呪いを、一瞬で……『掃除』しただと!?」
店主は腰を抜かさんばかりに驚いている。わたくしは、輝きを取り戻した槍を手に、満足げに頷いた。
「ええ。汚れは、溜め込む前に処理するのが鉄則ですわ。これで、この子の性能も十全に発揮できるでしょう」
わたくしは、すっかりこの槍が気に入ってしまった。
「ご店主様、こちら、おいくらで譲っていただけますか?」
「そ、そいつは……まともに買えば金貨一枚(100万ソル)はくだらねえ代物だが……」
(ひゃ、百万ソル!? 八万ソルでも大金だと思ったのに、桁が違いますわ!)
さすがに手が出ないと、わたくしが諦めかけた、その時だった。
店の外が急に騒がしくなり、乱暴に扉が開け放たれた。
「『掃除屋』はここにいると聞いたぞ! 出てこい!」
そこに立っていたのは、片目に眼帯をした、いかにも悪役といった風貌の大男。その背後には、昨日わたくしが伸したチンピラたちよりも、さらに屈強そうな手下が大勢控えている。
「ボルコフ! マーチャント商会の……! てめえら、俺の店で何をする気だ!」
店主が怒鳴るが、ボルコフと名乗られた男は、わたくしが持つ槍に目を留め、舌なめずりをした。
「ほう、そいつは伝説の『リグレット』じゃねえか。ちょうどいい。その槍もろとも、お前をいただくぞ、小娘!」
どうやら、面倒なゴミが、また集まってきたらしい。
(せっかくお買い物を楽しんでいたのに……。本当に、空気が読めない方たちですわ)
わたくしは、まだ代金も支払っていない『リグレット』を構え、店主に向かって優雅に微笑んだ。
「ご店主様。お買い上げの前に、少しだけ、試し使いをさせていただいてもよろしいかしら?」
店主はニヤリと笑うと、カウンターの下から巨大な戦斧を取り出した。
「おう、構わねえ! そいつらの血で、存分に切れ味を確かめな! 俺の店を汚す奴らは、俺が掃除してやる!」
わたくしの背後で、頼もしい(勘違いした)助っ人が仁王立ちする。
目の前には、血に飢えたハイエナのような男たち。わたくしは、初めて手にする本格的な武器の感触を確かめながら、静かに息を吸い込んだ。
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