楽しいミアという人
[シン]
「前に何かしたの?」
「何もないですよ」
「ずいぶん弟くんが好きなのね。これを飲んで。わたしの調合よ」
粉薬を水で流し込んだ。この世界の薬の効果はどれも苦いのか。ともかく飲んだ瞬間に死ぬ奴もいそうだと思った。吐き出したいが、吐けばまた飲まされる。
「シンとレイ、姉弟じゃないわね」
「そ、そうですね」
「でも一緒に旅してるんなら勘違いされる。姉弟設定しててもおかしくないわね。でも逆じゃない?」
どう考えても兄と妹の方が良くないかと言われたが、レイが姉がいいと言うからしようがない。
「でも意外に姉さんなところもあるんだよ。見てる分にはわからないだろうけど」
「やさしい人ね。ごちそうさま。ノロケ話は楽しいわね。ところであれからどこか具合悪くなってない?」
「薬はよく効いてる気がします。お世辞じゃなくて本当に」
「ありがとう。うれしいわ。でも揉めるかもね」
「何がですか?」
「セゴはレイに夢中よ。ルンルンしてるわよ。レイに部屋に鍵掛けとくように伝えてあるけどね。あれは羽根があれば飛んでるわね」
「レイはどう思ってるんだろ。幸せになるんならいいんだけど」
「どうも思ってないわね」
「はあ」
「レイにはあなたしか見えてない」
ミアはカップに残った液体を口に含んでまずいと顔をしかめた。我ながらまずいものを調合したわと笑ってみせた。でもよく効くのと。
「純粋な子ね。でも女は変わるものよ。気をつけておきなさい」
「気をつける?僕は彼女がこの世界で幸せになるようにしたい……」
「もうセゴはお付き合いを申し込むわよ。申し込むのは結婚かも」
「でもセゴには僕たちは婚約者と話してあるんだよね」
「だから何?」
「え?」
シンは当惑した。レイのウェディングドレス姿を思い浮かべた。
「二人のことだから……」
「レイがセゴに応じたら?」
「話を変えませんか」
「こ・と・わ・る」
これは診療ではなく、ただの茶飲み話だ。シンは窓から見えている街の炎と立ち込める黒煙を見た。
「でもここが安住の地になれるとは思えない。二万の軍で取り囲まれた国だよ。しかも命を賭して持ち帰ってきた剣を扱える者もいない」
「わたしの弟は犬死になの?」
ミアが笑おうとして、込み上げてくるものを抑えた。涙がこぼれた。それでも指で涙を拭いて続けた。
「ごめんなさい」
「そうならないために僕がしなきゃならないんですよ。だからずっとどうすればいいのか考えてました」
「あなたに義務はないわ。どう考えても王や王子がすることよ」
「でもどちらがにせよ、難しいとは思うんです。あの剣は扱えなければ死ぬんです。使い手の生気を奪う」
「あの剣を扱ったことがあるんでしょう?今のあなたは死にかけよ」
「だから」
「考えた末、レイを捨てる結論に至ったわけね?」
「でもそんなにひどい?」
「わたしも塔の街で呪術を学んでいたのよ。信じてほしいわ」
「僕は川の上の橋なんですよ。人は通れたときにはありがたさに気づかない。なくなったときに気づく」
「あなたは臆病者よ」
「レイがいなくなるのは怖い。でもいつまでも連れ回せない」
「わたしも治療したらすぐ帰ろうかと思ってたんだけど、あなたとなら話せそうだと思っちゃった。弟のこと話してくれないかな。結局ね、わたしも臆病なの。わたしが塔の街にいた間、弟は立派な剣士に成長してた。近づき難くてね。だから今さら弟のことを聞きたいと思うのはエゴなんじゃないかと」
「そうでもないです。ただ申し訳ないけど、弟さんのことについては話すことなんてない」
シンは少し身を起こした。ミアが楽になるようにクッションを背中にずらしてくれた。
「よく剣を持って帰れた。教会の封印があるとはいえ、よほどの精神力がなければ惑わされてる。精神的に追い詰められていたはずなのに」
「凄いことした?」
「もちろんです。僕は剣に魅入られた人も見た。でも彼は耐えた」
「任務のことしか考えてなかったのかもしれないわね」
「家族や仲間のことだけを考えていたのかもしれない。だからこそ僕はあの剣を活かしてやらないといけないと思うんです。なぜ塔の街の呪術学校へ?」
「小さい頃よ。わたしは自分に力があることに気づいたの。父が成功するんじゃないかと考えた」
ミアは水差しから水を汲んで、一つを僕に渡した。もう一つは彼女が両手で覆うように持った。
「初めは父と一緒に塔の街に行ったのよ。父は商人でね。塔の街での生活には自信があったみたい。でも塔の街を舐めてたのね。父は冬にちょっとした風邪がもとで死んじゃったわ」
シンが帰ろうとは思わなかったのかと尋ねると、ミアは借金があるからと答えた。
「だからわたしは学んだ。気づいたら三年。ほとんどの人はすぐに辞めていった。友だちもいない校舎で学んだわ。お金持ちの子は遊んでたけどね。あなたも学んだみたいだからわかるわよね。趣味の人もいた。わたしの呪術も使えるか使えないか何とも言えないくらい」
ミアは片付けながら続けた。
「弟のためにもね。こんなんで帰れないと薬学も学んだ。こっちの方が得意みたい。教官にアイデアも技術も褒められた。帰ってきてからは王族に召し抱えられた。基本は医療部所属だけどね。恵まれてるわ」
「王族もこのくそまずいのを飲んでるのか」
「味を何とかしろと言われるけどね。でも贅沢言わないで。庶民が飲めない薬よ」
ミアはおどけた。シンはいつまでも消えない苦味と渋みを舌で惑わそうとしながら尋ねた。
「姫様も文句言うの?」
「カザミ姫とお会いしたの?」
「話しました。剣を使いこなしたいと話しかけられた。いずれ城のために戦わなければいけなくなると」
「そんなことをね。あの子は苦いお薬はギャンギャン泣いたわ」
ミアは「言うことを聞かないと苦いおくすりを持ったミアが来る」と脅されていたらしい。
「ひどい話よね。でも姫様がそこまで考えてるなんて驚きね」
「人それぞれ意地があるのかもね」
レイは村から捨てられた。シンたちが塔の街にいたのは一年前だ。塔が消えたときだ。
死ぬ前に白亜の塔というものを見たかったのかもしれない。聞いたことがあるのか記憶を掻き混ぜた。
「あなたと一緒が幸せなら?」
「始終こんなことに巻き込まれて幸せなわけがないですよ。今も僕は吐血して倒れたんだからね。幸せは平穏にこそあるんじゃないかなあ」
「あの子は一緒にいられるならどこでもいい。平穏は心にあるのよ」
「やめよう」
「や・め・な・い」
ウラカ、フィリ、ミア、そしてレイ……シンの周りにはこんな女しか集まらないのかと嘆いた。これこそ呪われた剣のせいだ。
「今ね、レイと一緒にお風呂に入ってるの。いい子よね。いろいろ話してくれるわ」
シンは薬湯を飲み干した。これからの話は込み上げてくる苦さで紛らわせるしかない。
「どんな話するかわかる?」
「まったく」
「あなたとのことよ」
「ほとんど一緒にいたからね」
いずれシンがどこかへ消えてしまうこと。どこかでいなくなることを考えていて怖くなるということ。
「旅に出た。角の獣に追いかけられたの?塔の街はでの暮らした。生きてるのに間違われて墓に埋められたこと。もうおかしくて笑い転げて聞いてるわ。湖を壊したこととか」
「湖……あれは……」
「白亜の塔を壊した」
「たまたま……」
ミアは立ち上がると、遠く市街地を燃やしている炎を見つめた。閃光が彼女の顔を照らした。
「もうわたしは父とも弟とも話せないわ。たぶん近いうちに他の人とも話せなくなる気がするのよ」
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