第9話 優しい義母
運よく全員避難できたため、寮生たちは軽症で済んだ。
しかし、もうこの寮は使えない。
食堂やランドリー等、一階に集約されていた共同スペースはほぼ全焼、火元に近い寮生の部屋も同じく。
見た目にはたいして燃えていないように見えても、他の部屋も煙の焦げ臭い匂いがまだ残っていた。
玲奈の部屋は火元とは真反対の場所に位置していたため、なにも燃えてはいなかったが、他の部屋と同じく焼け焦げた匂いが酷かった。
元々、一年後には現在建設中の新しい寮に移る予定でていたが、まだ使い物にならない。
この町に数件しかないホテルや民宿は団体客の予約ですべて埋まっていて、行き場のない寮生たちはしばらく大学構内の空き教室で寝泊まりするしかなかった。
大学が引っ越しの費用を一部負担することにはなっているが、時期があまりにも悪すぎた。
一人暮らし用の手ごろな家賃のマンションやアパートも空きがほとんどない。
そんな玲奈の状況を聡太から聞いた義両親は、息子をしかりつけた。
「――怒られちゃったよ。今すぐうちに連れて来なさいって」
新しい部屋なんて探す必要はない。
少し早いが、一緒に暮らせばいい。
男なら、それくらいのことを言え、と、四十歳を過ぎてこんなに怒られてしまった。
「本当に、いいの?」
「いいよ。母さんも父さんも、玲奈と一緒に暮らせるの楽しみにしてたし」
御札のこともあって、玲奈は義両親から嫌がられると思っていた。
「……羊羹は?」
「羊羹? ああ、帰り際にお義母さんが持たせてくれたやつ?」
「うん」
「それなら、帰ったその日に美味しくいただいたけど?」
「え?」
「え? 何その反応……何か問題でもあった? 賞味期限切れてたとか?」
「いや、そうじゃなくて、一緒に何か入ってなかった?」
「うーん、開けたのは母さんだし、特に何も言ってなかったけど?」
どうも聡太から話を聞く限り、聡太が持たされた羊羹には御札は入っていなかったらしい。
思い返せば、渡された紙袋は二つあり、玲奈の方には混同しないように名前が書いてあった。
「とりあえず今は貴重品だけでも持っていって……布団はあるから、今日のところはそれ使って。部屋は好きに使っていいから、必要なものはあとで買いに行こう」
「うん、わかった」
聡太の家は、築年数は古いが玲奈の廃寺をそのまま使っている実家と違い、一度、五年前にリフォームしている。
和室は一階の仏壇がある一部屋のみで、残りはすべてフローリングのバリアフリー設計だ。
高齢の祖母のことを考えてのリフォームだったが、その祖母はリフォームが完成してわずか一年で亡くなってしまった。
一階は居間と直結の和室の他に洋室が三つ、二階には洋室が二つ。
風呂は一階にしかないが、聡太の趣味が料理の為、二階にも居間とキッチン、トイレがある。
風呂は共同になるが、聡太が結婚した時の為に半二世帯住宅のような作りになっていた。
「いらっしゃい、玲奈ちゃん。大変だったわね」
「お義母さん、お世話になります」
玄関先で待っていた聡太の母・
若い頃に海外で暮らしていた為、ついついその頃の習慣で、親しい人や感情が高ぶっているとついついハグをしていしまうらしい。
玲奈は最初こそ戸惑っていたが、今はもう慣れてしまった。
むしろ、ありがたい。
本当に、心から自分のことを心配してくれているのだと実感できるからだ。
実の母親の美恵にだって、こんな風に抱きしめられた記憶がない。
登紀子はまさに玲奈が思い描いている理想の母親そのものだった。
いつも顔色ひとつ変えず、口元だけ穏やかに微笑んでいるだけ。
何を考えているのかさっぱり汲み取れない美恵とは違い、登紀子はとてもわかりやすい。
くるくると変わる表情は、六十代後半にも関わらず可愛らしさすら感じる。
登紀子は顔立ちも良く、若い頃はかなり人気があっただろうなと察しがついた。
「夜中に火事だなんて、怖かったでしょう? それもニュースでやってたけど、放火だって?」
「は、はい。びっくりしました」
「寝ている間に火事になるなんてねぇ」
実は御札を燃やすために起きていた、なんて玲奈は口が裂けても言えなかった。
ライターも所持しているところを見られたら厄介だと思い、とっさに上着のポケットに突っ込んで、そのままだったことにこの時気がつく。
早く処分しなければ……と、玲奈は頭の片隅で考えていた。
「もし玲奈ちゃんが一人暮らしだったらって思ったらぞっとしちゃったわ。寮だから火災報知器がちゃんと作動して、逃げられたんでしょうね。そういうのついてない古いアパートもこの辺りはたくあんあるし……」
確かに仮に寮ではなく一人暮らしをしていて、あんな時間に火事が発生したら、気づいたころには手遅れだったかも知れないと玲奈は思った。
一応、防災訓練もしていたし、避難経路も分かっていが、あの時は、たまたま悪夢を見て、その上外に出ようとしていた所だったから無事だった。
玲奈の隣の部屋を使っていた同期生は、ぐっすり眠っていて逃げるのが遅くなり、煙を吸ってしまって、救急車で運ばれている。
大事には至らなかったが、警報が鳴ったことには気づかず、向かいの部屋の後輩にドアを叩かれ、そこでやっと気づいたらしい。
もしあの時玲奈も眠っていたら、起きていなかったら、同じように救急車に乗っていた可能性があった。
「それに放火だなんて……本当、世の中物騒で困るわ。日本人は平和ボケしすぎてる部分があるけれど、ある程度の自衛は大事よ」
「そうですね」
「うちも何日か前に……――あぁ、この話は別にいいわね。とにかく、今日から玲奈ちゃんは片山家の人間になるんだから、よろしくね。あと、二階に荷物を降ろし終わったらでいいから、今日はお祖母ちゃんの月命日だから、聡太と一緒にお仏壇にお線香をあげてね」
そう言って、登紀子は玲奈を家に引き入れると、家事の途中だったようで、台所に戻っていた。
玲奈は言われた通り荷物を二階の六畳の部屋に運び込んだ。
以前来た時、そこは普段は使われていなくて、聡太の友人がたまに遊びに来て泊まる部屋だと玲奈は聞いている。
ほぼ荷物置き場で、布団一枚敷けるくらいのスペースしか空いていなかったが、綺麗に片付けられていた。
「片付けたの?」
「あー……実は、玲奈と結婚したら、この部屋を使えるようにしなくちゃなと思って……実家に挨拶に行った後から、片付け始めてたんだ」
火事が起こらなければ、玲奈がこの部屋を使うことになるまで二年以上ある。
浮足立って、その日のうちに片づけを始めたのが少し恥ずかしかったのか、聡太は自分の後頭部を掻いた。
照れている時によくやる聡太の癖だ。
「そうなんだ。ありがとう、聡ちゃん」
優しい婚約者と、優しい義母。
まだ何もないが部屋も綺麗で、玲奈は心の底から嬉しかった。
荷物を運び終えて、居間に降り、言われた通り聡太と一緒に仏壇にお線香を上げようと仏壇の前に座るまでは。
「え……?」
「ん? どうした? 玲奈」
仏壇に置いてあった数珠が、火村家にあるあの鋼の珠で出来た長い数珠と全く同じものだと、気がつくまでは。
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