第8話 変わったこと
その夜から、玲奈は繰り返し細女の夢を見るようになった。
三階の部屋から見下ろした夜の公園。
片方だけ揺れるブランコ。
髪の長い女。
手を振る細い女。
すぐにカーテンを閉める。
カーテンの隙間。
細女の昏い瞳がこちらを覗き込んでいる。
〈私が見えるんでしょう? 見えているんでしょう? だったら――〉
女のか細い声が聞こえる。
〈友達になって。ねぇ、友達になろう、玲奈ちゃん〉
名前を呼ばれて、飛び起きる。
「……っ!」
冬だというのに、背中にぐっしょりと嫌な汗をかいていた。
深夜二時。
外はまだ暗い。
カーテンを開けたら、そこに細女がいるような気がして、玲奈は速くなっている鼓動を落ち着かせようと、胸を押さえて深呼吸を一つした。
「いい加減にしてよ……っ!」
何日も繰り返し見る悪夢に苛立ち、窓に向かって枕を投げつけた。
そこに細女はいない。
夢だということはわかっている。
分かってはいるが、腹が立って仕方がない。
「私は、視えないの!! 聞こえないし、あんたと友達になんて絶対ならない!!」
何かがおかしい。
玲奈が細女の話を聞いたのは、去年の話だ。
今さらそれが視えるようになるはずがない。
それまで何も感じていなかったのに、どうしてなのか玲奈はわからない。
幽霊も妖怪も怪異も神だって玲奈は信じない。
今までこんなことは一度もなかった。
悪夢を見たとしても、一度きり。
こんなに毎晩うなされることはなかった。
何か原因があるのではないかと、玲奈は考えた。
最初に公園に細女がいたような気がしたのは、ごみ置き場が荒らされていたあの日の夜。
実家から戻って来て二日目の夜。
今思い返しても、あの家で何事もなく過ごせたということにも、違和感がある。
何か、以前と変わったことがあるはずだと、玲奈は考える。
「――まさか」
玲奈は棚の上に置いたまま、開けずに放置していた羊羹が入っている箱を見た。
実家の帰りに持たされた土産だが、まだ開封していない。
賞味期限は四ヶ月ほど先だったし、そもそも羊羹自体、あまり好きではない。
包装紙を破いて、店の名前が印刷された箱を見つめる。
開け口とは反対側――賞味期限のシールが張られている面に、一度開封して戻されたような形跡があった。
中身を確認すると、中袋に入った羊羹と一緒に見覚えのある黄色い御札が一枚。
「……やっぱり! これか」
それは、玲奈の実家の部屋の柱に貼ってある御札と同じもの。
美恵いわく、まったく視えない玲奈の力が目覚めるのを促進し、信之丞様が災厄から身を守ってくれる御札だ。
玲奈が羊羹をすぐに食べないのを見越して、美恵が仕込んだに違いない。
「……まさか、聡ちゃんの家の分にも、入ってるんじゃ?」
こんなものを見られたら、聡太の両親がどう思うか――考えただけで身の毛がよだった。
この女子寮に入る前、信之丞にまつわるものはすべて捨てた。
掛け軸や数珠が入っていた袋は電車の中に、鞄の底に仕込まれていた御札は駅のごみ箱に。
寮に入ってから、持ってきたすべての荷物をくまなく確認して、怪しいものは全部捨てた。
それなのに――
「はじめから、これが狙いだった?」
こんな気味の悪い御札を見たら、普通、不安になる。
いくら玲奈を可愛がってくれている人たちだとしても、家族が妙な宗教をやっていて、その上、土産にこんな気味の悪いものを持たせるなんて、頭がおかしい。
結局、結婚は家と家のつながりだ。
玲奈は、自分の両親がわざと玲奈の結婚が駄目になるように仕向けたんだと思い、怒り心頭。
「こんなもの、燃やしてやる」
上着を羽織って、机の引き出しを漁った。
出しの中に、秋に買ったライターが入っている。
先月先輩の誕生日会をするのに、ケーキの用意を頼まれた玲奈がろうそくに火をつける為に一度だけ使った。
ポケットにスマホと鍵を突っ込んで、階段を下りる。
部屋には火災報知器がついている為、寮の外で燃やそうと思った。
寮の花壇に水をやる為に、外に蛇口がついていることを玲奈は知っていた。
門限の時間はとっくに過ぎているが、門から内側に入ってれば問題ない。
運動部に入っている人は自主トレで寮の敷地内をよく走ったりしている。
もう少しで玄関――というところまで来た時、突然、火災報知器が鳴り響いた。
〈火事です火事です。火災が発生しました。速やかに避難してください〉
「え……!?」
〈火事です火事です。火災が発生しました。速やかに避難してください〉
反応した火災報知器は、玲奈が降りて来た階段と真反対に設置されていたもの。
すぐに避難が始まって、消防車のサイレンがこちらに向かってきているのが分かった。
「玲奈! 何してるの! 早く逃げないと!」
「え? あ、は、はい」
驚いて固まっていた玲奈の腕を、階段を駆け下りて来た先輩が引っ張て、避難場所である向かいの公園に駆け込む。
片側だけ、ブランコが揺れている。
そこに、細女はいなかった。
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