第2話 チュートリアル

「しかし、女性が紳士のベッドに夜這いとはなかなか大胆だな」


 この世界で最も危険とされる侯爵は、翠の瞳と細めた。


「この国では見ない風貌だが……東洋人か?」

「そ、そうです……」

「それだけか?色素は薄いが、どこかの血が混じっている」

「それは、祖母がイギリス人なので…」


 これは本当のことだ。

 二年前に亡くなった父方の祖母はイギリス人で、玲奈はクォーターである。玲奈が英国文化やミステリーにハマったのも祖母の影響だった。


(中学生のころ、誕生日にホームズ全集の原書をプレゼントしてくれた。あれがきっかけだったんだよね…)


「なるほど、混血か。面白い」


 低い声でそう呟くと、珍しい鉱石でも観察するような眼差しで玲奈の瞳を覗き込んだ。

 そうだった――アレクシス・マキシミリアンは貿易商だが、裏では違法な取引もしているという設定があった気がする。


(どうしよう、もしかして私売り飛ばされる……!?)


 混乱する玲奈をよそに、アレクシスはその頬に手を伸ばす。

 ひやりとした感触に、背筋がぞわりと震えた。


「君は何者だ?どうやってこの屋敷に入り込んだ?変わった身なりといい、ただの娼婦には見えないが」

「これは私の意思ではなくてですね……?言うなれば事故というか神様の手違いというか……っ」

「つまり誰かに私を篭絡ろうらくするよう指示されて、つたない色じかけに出たと?」

「断じて違います!!」


 驚くくらいに話が嚙み合わないし、通じない。


 ただ、アレクシスの反応はもっともだった。自分のベッドに見知らぬ女が眠りこけていたら誰だって怪しむ。叩き出されていないだけ、まだマシな扱いだ。紳士を自称するだけのことはある。


 とはいえ、謂れのない疑いを向けられる側としてはたまったものではないわけで、どうしたものかと玲奈は頭を抱えそうになった。


 この間にも、アレクシスは玲奈の襟元を興味深そうに指先でもてあそんでいる。

 本当にここがゲームの世界なら、時代は十九世紀のロンドン。ゆえに、見慣れない衣服が珍しいのだろうが――その仕草すら優雅で、どこか危うい。


(どうしよう……)


 男の首筋にかかる髪がさらりと揺れるだけで、部屋の温度を変えてしまう。

 それほどに、この男の持つ存在感は支配的だった。


 このままアレクシスの纏う雰囲気に吞まれそうになったとき。


「アレクシス様、坊ちゃん!ここをお開けください!」


 激しくドアをノックする音と、年配の女性の叫び声がした。

 アレクシスはわずかに眉を寄せ「ここで待っていろ」と言い残すと、ベッドから軽やかに降りた。


「どうしたルイーズ、騒がしいな」

「大変なんですよ!坊ちゃんの懐中時計が無くなりまして…!」


 アレクシスは静かに息をつき「詳細を聞こう」とだけ言って、部屋を出ていった。


 扉が閉まり、静寂が戻る。

 取り残されたベッドの上で、玲奈は緊張で強張った体の力を抜いて呼吸を整えた。


(なんか分かんないけど、助かった……)


 ほっとしたのも束の間、玲奈の目の端で何かがチカッと光った。

 まるで空中に浮かぶように、視界に青いシステム文字が現れたのだ。


『Case1:紛失した懐中時計』


 その文字は、ものの十秒ほどで消えてしまった。


 呆然としながらも、あることを思い立って慌てて枕元を探る。

 もう一度カードに書かれた文面に目を走らせて、玲奈は息をのんだ。


 『待ち受ける事件をクリアし真相に辿りついてください』


「まさか、この世界で起きた事件を解かなきゃ帰れないってこと?」


(いや“dead”って……失敗したら死ぬの?私が?それとも……他の誰かが?)


 完全にゲームの世界に入り込んでしまった。信じられない展開の最中さなかに放り込まれながらも、自分の内から何かが騒ぎ出している。

 ミステリーオタクとしての血が、こんな非現実的な局面でも反応しているのだと笑い出したくなった。


(……望むところよ。そういうことならまずは情報収集っと!)


 アレクシスにはここにいろと言われたけれど、じっとしていたって事件は解決できない。


 玲奈はベッドから降りると、そっと扉を押し開けた。

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