推理ゲームの宿敵とバディになりました~悪役侯爵と秘密の謎解き契約

綾瀬アヲ

第1話 目覚めたら宿敵のベッドの中でした

 その日の夕方、榎本玲奈えのもとれいなは最寄駅からアパートまでの道を鼻歌まじりに歩いていた。


 ちょうど今は帰宅ラッシュ時間。

 行き交う人波の中、信号待ちのたびに交差点では人が溜まる。玲奈も足を止めると、イヤホンを耳に差してスマホの画面に目を落とした。


「あ、配信されてる!」


 ホーム画面に自動インストールされたアイコンを見つけて、迷わずタップする。


 新作アプリ《ロンドン幻想譚ファンタズマ》――舞台は十九世紀のヴィクトリア朝ロンドン。

 天才探偵と共に事件を解決しながら、攻略対象との恋も育むという乙女系推理ゲーム。SNSの広告で見かけたときから気になっていて、リリース日を楽しみにしていたのだ。


『ようこそ、ミステリーと幻想の都ロンドンへ』


 霧に包まれた街並みと遠景に見えるビッグベン。

 その後にはゲームの人物紹介が始まる。


 ゲームのメインヒーローである探偵ウィリアム・ハント、その助手のオリバー・マイルズ。ロンドン警視庁スコットランドヤードのリヴィングストン警部……次々と流れるオープニング映像に自然と顔がにやける。


「ふふ、やっぱりこの雰囲気最高だなぁ~」


 何を隠そう、玲奈は生粋のミステリーオタクだ。

 今の大学で英文学科を専攻したのも、大好きな英国ミステリーを思う存分研究したかったからに他ならない。

 そんな玲奈のオタク心をくすぐる理想の世界観に、テンションが上がる。


 今日はバイトもなく、明日の一限は休講。ゲームをやり込む時間はたっぷりあるのだが、玲奈は待ちきれずに画面のスタートボタンを押した。


 その瞬間―――けたたましいクラクションの音が、耳に飛び込んできた。


 顔を上げると、交差点に突っ込んでくる一台のトラック。

 眩しいハイビーム、誰かの叫び声。迫ってくる巨大な影に足が竦んで、まるで時が止まったように体が動かない。


 そして最後に見たのは、真っ白な光だけだった。



 ◇◆◇



 柔らかなシーツの感触が、沈んでいた玲奈の意識をゆるりと押し上げた。


 重い目蓋をおそるおそると開けてみる。

 カーテン越しに差し込む光が部屋に淡い光と影をつくり、どこかで時計の針が規則正しく律動する音が聞こえた。


(あれ、私どうなったんだっけ……?)


 頭の奥がかすかに重いが、不思議と痛みはない。


 寝起きのぼんやりとした思考の中で、自分の記憶を辿ってみる。

 大学からの帰り道に信号待ちしていた光景。鳴り響くクラクション、眩しいライト、自分にめがけて突っ込んでくるトラック。


 その先からは、ぷっつりと記憶が途切れている。


 あの事故で一命を取り留めたなんて、にわかに信じられない。けれど実際のところ体のどこも痛くないし、見たところケガをした様子もなかった。


「……っていうか、ここはどこ?」


 上体を起こすと、そこは病院でも見慣れた自室でもなかった。


 天井には真鍮のシャンデリア、濃紺色のビロードに覆われた天蓋。広すぎるベッドにはクラシカルな刺繍が施された寝具が掛けられていて、シルクのような手触りがする。

 目に入ってくるものすべてが、異国の香りを漂わせていた。まるで、美術館の展示室か何かに迷い込んだような――


「ようやく目覚めたか」


 不意に、隣りから届いた低い声。

 まさか自分以外の人間がいると思わず声が出そうになった瞬間。


(え……っ、)


 玲奈は文字通り目を丸くした。


 そこにいたのは、一人の男性だった。

 彫像のように寸分の狂いなく整った顔立ち。その秀麗な顔には、印象的な翠色すいしょくの瞳が仄昏ほのぐらく輝いている。


 その顔に玲奈は見覚えがあった。


「ア、アレクシス・マキシミリアン………?」


 玲奈は思わず、その名前を口にしていた。


 グレンフォード侯爵アレクシス・マキシミリアン。


 《ロンドン幻想譚》に登場する、天才探偵ウィリアム・ハントの最大の宿敵。侯爵貴族でありながら『死の貿易商』と恐れられ、陰からロンドンを支配しようと暗躍するヴィラン中のヴィラン。

 シャーロック・ホームズでいうところのモリアーティ教授のような危険人物として、ゲームでは宿敵として立ちはだかる。


 そんな画面越しに見たラスボスが今――目の前で息づいている。


(そんなことってある!?っていうか、何でこの人と私が同じベッドにいるわけ!?)


 これは絶対に夢だ、と玲奈は思う。

 事故に遭って打ちどころが悪くて、おかしな夢か幻覚を見ているに違いない。けれど否定するにはあまりにも、すべてがリアルで生々しい。


「な、ど、どうしてここに……」

「どうしても何も、ここは我がグレンフォード侯爵邸の寝室だ。私の、な」


 薄く微笑む男を前に、玲奈は信じられない一つの可能性に思い至った。


 これは夢でも幻覚でもなく。

 は推理ゲーム《ロンドン幻想譚》の世界そのものなのではないか。


(ありえない、そんなマンガみたいなことが……)


 そのとき、枕元に一枚のカードが落ちていることに気づく。

 玲奈はおそるおそる手に取った。


『ようこそ《ロンドン幻想譚》の世界へ。待ち受ける事件をクリアし真相に辿りついてください。Have a nice dead……or day!』


 玲奈の指先が震えた。

 これは事故に巻き込まれる直前、ゲーム開始画面で見たものと同じだったからだ。


(嘘でしょ?私、本当にゲームの世界に飛ばされちゃったの……!?)


 よりによって攻略対象外かつ――最も危険な男の元に。

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